1969-06-19 第61回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第16号
なお、事件後におきまして、同行されました三人の立法院議員が屋良主席を訪れまして、事件当時の事情を説明しておりますが、五人の議員がピケを張っておった城間ゲートに激励に行ったというわけであります。それで安里委員長はゲート側におりて、そのときピケを張っておる全軍労の組合員十数名が委員長の姿を見て、安里氏のところに集まってきた。それを見たMPが基地の外に出て、さらに一号線のまん中まで出てきた。
なお、事件後におきまして、同行されました三人の立法院議員が屋良主席を訪れまして、事件当時の事情を説明しておりますが、五人の議員がピケを張っておった城間ゲートに激励に行ったというわけであります。それで安里委員長はゲート側におりて、そのときピケを張っておる全軍労の組合員十数名が委員長の姿を見て、安里氏のところに集まってきた。それを見たMPが基地の外に出て、さらに一号線のまん中まで出てきた。
基地に突入されることに対しましては、米側といたしましてもこれを絶対に確保する、堅持するという態度をとっておりますことは当初から米側が表明しておるところでありまして、さような状態だったのでありまするが、たまたま起こりました城間ゲートというのはかなり離れたところであり、あまり米側としても守備的に重視しなかったところである。
しかし、今回の場合におきましては、七十何カ所、しかも城間ゲートというのば、かなりはずれたところであって、ふだんはあまり人の往来の多くないところであり、したがって、民警察も十分手が回らなかった。しかも、その直前に学生がそこから基地に突入した。そうして内部の警備員がそれを押し返したという実態にあるところへたまたま安里委員長がかけつけたという形になっております。
ところが、このゲートの警備に当たっていました米側のMP三名が、五日午前九時ごろ激励のため第二兵たん司令部城間ゲートを訪れました社会大衆党の議員団を、カービン銃で道路の反対側に排除しようといたしました。ところが、この際、安里委員長が左手と胸と肩に軽傷を負いまして、このゲートの近くにいました他の数名の方々がやはり軽傷を負っております。そういう事実を報告受けております。
今朝九時ごろ、上記三名の立法院議員と安里委員長並びに社大党与座康信議員の五名は、全軍労がピケを張っている城間ゲートに激励に行った。古堅、与座、崎浜の三名は、ゲートの反対側のカルテックス会社側におりた。安里と知花はゲート側におりた。そのときピケを張っていた全軍労の組合員十数人が安里の姿を見て、安里のところへ集まってきた。それを見たMPは、基地の外へ出て、さらに一号線の道路のまん中まで来た。