2019-04-12 第198回国会 衆議院 国土交通委員会 第6号
なお、この道路事業と並行して浦添の拡幅事業も行っておりまして、城間交差点から安謝交差点までの延長二・九キロの六車線から八車線に拡幅する事業でございます。ことし四月九日には用地説明会を実施したところでございます。
なお、この道路事業と並行して浦添の拡幅事業も行っておりまして、城間交差点から安謝交差点までの延長二・九キロの六車線から八車線に拡幅する事業でございます。ことし四月九日には用地説明会を実施したところでございます。
続く豊見城市長選挙、那覇市長選挙でも、オール沖縄の山川仁さん、城間幹子さんがそれぞれ当選をいたしました。県民の民意は明確に示されたわけであります。 玉城知事は、十月十二日、安倍総理と会談し、今回の選挙で辺野古新基地建設を認められないという民意が改めて示された、新基地建設に反対する、このように伝え、早急に話合いの場を設けることを求めました。総理は、県民の気持ちに寄り添うと述べました。
これに一番熱心に取り組んできた那覇市などは、以前から子供の貧困対策に力を入れて取り組んできましたけれども、同市の城間幹子市長は、内閣府の支援員の配置施策を高く評価しておりますが、支援員の配置、これは来年度以降も同じ仕組みで続けてほしいと要望しています。
実際、浦添市の北側の方から牧港、港川、城間、屋富祖、宮城、仲西、勢理客、こういうふうに続いていくんですけれども、この地域では、計測もいたしました。計測もしたところ、やはり朝の時間帯に生活道路に一般車両がどんどん入ってくる。そして、ちょうどこの時間帯というのは、小学生が学校に行く登校の時間ともばっちり重なっているという実情があるわけであります。
同時に実施されました那覇市長選挙、こちらも、県と那覇でオール沖縄の旗を掲げた城間幹子候補が当選をいたしました。これ知事選挙とダブルで勝利を勝ち取ることができたわけですが、実はこのような状況になったのは、仲井眞知事が、御自身の四年前の知事選挙での公約、そのことは、まず埋立てを承認ということではなくて、仲井眞知事は、あくまでも普天間の基地の県外移設、このことを公約にして当選をいたしました。
辺野古の大城区長さん、豊原の城間区長さん、久志区の比嘉区長さんが二十五日に沖縄防衛局を訪ねまして、久辺三区全住民挙げて阻止する決意であると、こういうように伝えていらっしゃいます。 旧政権時代、十三年も名護市民を分断して、あるいは翻弄して、コミュニティーそのものをずたずたに切り裂いてきたわけであります。
国道五十八号線は、ちょうど浦添市の城間から勢理客というところにかけて、朝のラッシュは福岡を抜いて九州でワーストワンであります、朝の交通渋滞は。
さらに、那覇市の城間紅型工房を訪れました。紅型はすべて手作業による伝統的な染物で、大変貴重なものですが、本県を代表する伝統工芸として近年注目を集めるようになってきたとのことでした。 次に、沖縄本島から石垣島へ移動し、石垣市役所を訪れ、説明を聴取しました。
一九八二年三月に金武町で城間さんという方が殺される、こういう事件が起きました。これは、もちろん米兵によってです。現行犯でないが、基地責任者の同意を得て、基地内で被疑者を起訴前に逮捕しています。 今回の事件でも、アメリカが同意をすれば、日本の警察が逮捕、拘禁できたのです。
復帰後の昭和四十七年九月には、栄野川盛勇さんが勤務先のキャンプ・ハンセン内でライフルで射殺され、昭和五十七年三月には城間孝栄さんが町内の墓地で今回と同じくセメントブロックで撲殺され、昭和五十八年二月には、タクシー運転手の目取真興栄さんがキャンプ・ハンセンの基地内でナイフで刺殺され、さらに昭和六十年一月には、前泊寛一さんが自宅で殺害されるという事件が発生しているのであります。
粟山局長は覚えていると思いますから繰り返しませんが、その前に、きょうの電話で知ったことなんですが、防衛施設庁那覇防衛施設局の職員が今——城間幸栄、これが殺されたのですが、この原告五名、それから法廷代理人の弁護士新垣勉、この新垣勉のところへ二回、それから原告にもみんなそれぞれ会って、国を相手に今訴訟を起こしているのですが、この訴訟をもし取り下げなければ補償金やらないということを、むしろ脅迫的なことを言
○小澤説明員 城間さんの件につきましては、先ほどお答えいたしましたが、現在公務上の事案についての裁判がそのまま続行しておるというふうに承知しております。
ただいまの先生御指摘の城間さんの件につきましては、ただいま先生からお話がございましたように、城間さんの方から国を相手取りまして公務上の損害賠償ということに関して裁判が起こされているということは承知しております。また、本件につきまして米側と公務外の事案として示談がそれぞれ現在成り立って、補償金についての慰謝料の支払いが行われているということも承知しております。
次に移りますが、この事件は城間幸栄が殺された問題で、この点について補償金を四千百九十六万四千四百七十六円要求しておりますが、那覇地裁の決定額が三千九百五十六万八千二百二十円。ところで、この二枚目にありますように、アメリカが裁定した金額が二千四百十六万二千二百四十一円。この数字を挙げたのは、裁判の決定はもちろん要求額上り少ないが、やはり裁判の決定は要求額に近づいております。
また、去年も城間さんという方が殺害されておりますし、近辺においては米兵による婦女暴行等々不安な状態があるというふうなことも言われているわけです。
この名松線はほとんど全線にわたって災害を受けまして、一時全線をストップさせざるを得ない状況であったわけでございますが、その後、手前の方から復旧に入りまして、八月九日には松阪ー家城間二十五・八キロを開通させました。九月一日に家城から伊勢竹原まで入りまして開通させたという経緯をとったわけでございます。
八月一日に台風が参りましてから名松線が不通になったわけでありますが、被害の軽い松阪-家城間はすでに九日に開通してございます。 いま先生がおっしゃいました奥の美杉村の部分、家城-伊勢奥津間十七・七キロでございます。
災害の規模が比較的少なかった松阪-家城間、これは二十六キロございますが、この間につきましては八月九日昼に開通しておりますけれども、家城-伊勢奥津間十八キロにつきましては、雲出川の増水による護岸の倒壊とか築堤崩壊、あるいは斜面の崩壊や土石流による土砂流入とか橋梁の被害等で線路がなくなってしまったようなところもございまして、壊滅的な被害が発生しております。
松阪-家城間につきましては、被害が軽くて九日に開通いたしましたが、奥につきましては、先ほどの川崎先生の御質問でもお答えいたしましたけれども、まだ被害の全貌そのものがつかめない状態で、専門の岐阜工事局の手をかりまして、とにかくどういう状態なのか、被害の額その他もまだつかんでおらない、こういう状態で、もちろん技術力がないというふうには考えておりませんが、とても直ちに、たとえば一カ月とか二カ月とかということで
そこいらの土地の買い上げといいますか、賃貸借はいろいろあると思うのですが、特に軍用地関係、城間から那覇、第二兵たん部隊一帯等、嘉手納、それから北谷があるわけですね、宜野湾を含めて。そういった、おもに那覇から嘉手納間の軍用地に食い込む部分の面については、米側との話し合いはついているのかどうか、説明をいただきたいと思うのです。
その商社の本社は浦添市の字城間という場所にありまして、コーラル・アイル・モーターズの支店がそこにあるわけなんです。——これが支店なんですね。そこは、六九年から、軍人軍属を対象とする自動車売り場にしておるわけなんです。このことが、一体、安保条約第六条——陸海空軍が日本国において施設及び区域の使用を許されるという六条に照らして、そのらち外であると私は思いますが、このことを私はまず問題にしたい。
なお、事件後におきまして、同行されました三人の立法院議員が屋良主席を訪れまして、事件当時の事情を説明しておりますが、五人の議員がピケを張っておった城間ゲートに激励に行ったというわけであります。それで安里委員長はゲート側におりて、そのときピケを張っておる全軍労の組合員十数名が委員長の姿を見て、安里氏のところに集まってきた。それを見たMPが基地の外に出て、さらに一号線のまん中まで出てきた。
基地に突入されることに対しましては、米側といたしましてもこれを絶対に確保する、堅持するという態度をとっておりますことは当初から米側が表明しておるところでありまして、さような状態だったのでありまするが、たまたま起こりました城間ゲートというのはかなり離れたところであり、あまり米側としても守備的に重視しなかったところである。
しかし、今回の場合におきましては、七十何カ所、しかも城間ゲートというのば、かなりはずれたところであって、ふだんはあまり人の往来の多くないところであり、したがって、民警察も十分手が回らなかった。しかも、その直前に学生がそこから基地に突入した。そうして内部の警備員がそれを押し返したという実態にあるところへたまたま安里委員長がかけつけたという形になっております。
ところが、このゲートの警備に当たっていました米側のMP三名が、五日午前九時ごろ激励のため第二兵たん司令部城間ゲートを訪れました社会大衆党の議員団を、カービン銃で道路の反対側に排除しようといたしました。ところが、この際、安里委員長が左手と胸と肩に軽傷を負いまして、このゲートの近くにいました他の数名の方々がやはり軽傷を負っております。そういう事実を報告受けております。