2011-05-26 第177回国会 参議院 外交防衛委員会 第11号
例えば、ある種の国家の儀礼であれば、それには様々な供物ですとか祭器類、そういうものが使われるわけですし、都城の造営ですと、例えばソウルの南に今、水原という都市がございますが、ここに華城という都城を十八世紀の末に造営をいたしますが、このときの儀軌などを見ますと、それに使った様々な工具類、滑車とか石を積むためのいろいろな道具類ですとか、あるいはそうやって造られた城そのものの絵ですとか、そういう城そのものですとか
例えば、ある種の国家の儀礼であれば、それには様々な供物ですとか祭器類、そういうものが使われるわけですし、都城の造営ですと、例えばソウルの南に今、水原という都市がございますが、ここに華城という都城を十八世紀の末に造営をいたしますが、このときの儀軌などを見ますと、それに使った様々な工具類、滑車とか石を積むためのいろいろな道具類ですとか、あるいはそうやって造られた城そのものの絵ですとか、そういう城そのものですとか
また、各地域におきましては、その地域の特性を踏まえまして、多様な地域の資源を活用しながら幅広くこれを利用していこうということで、それぞれの地域の独自の観光目標というものを進めていただくことを私たちは奨励していこう、また、後押ししていこうということで、できれば愛知万博のときに名古屋城そのものを一つのパビリオンにしようというふうに私は提案をして、そうすると、そのもの自体がパビリオンとして外国の皆さんに見
城そのものは、戦国時代の末、常陸を領しておりました佐竹氏が関ケ原の戦いの後に、秋田に国がえされることに伴いまして廃城となっておるわけでございますが、この間、南北朝の動乱期には、南朝方につきました小田氏が北畠親房を迎えたために、関東における南朝方の中心となったわけでございまして、この城で北畠親房が神童正統記などを執筆したということが著名であるわけでございます。
小田城そのものは、先ほど申しましたような歴史上の非常に価値の高い史跡でございまして、既に指定をしてから長い年月がたっているわけでございます。それで、このいろいろな史跡がある中で、では小田城だけについては今後現状変更についてそれをやりやすいように規制を緩和していって、それで史跡の保存の目的が達成されるかと申しますと、これはなかなかに難しい問題であろうかと思うわけでございます。
それからもう一つ、小田の城は現在は焼けて城そのものはありません。長い間あったケヤキの木も燃えてしまってない。そこへやはり有名だからたくさんの人たちがバスで見にくるわけですね。ところがそこには道路も何もできてない。ただ、そこには小田城跡ということしかない。
本来この土地というのは首里城の跡地であるわけで、ですからこの土地の問題がはっきりしないことには首里城そのものは建てられないわけですね。建てようがないわけです。今国有地、文部省が管轄していらっしゃる、こういうことなんですね。この土地の経過からしまして、あのような荒れほうだいで放置されているというのは極めて好ましくないと思いますね。
この場合、文化財といたしましては、復元されるといいましょうか、お建てになる城そのものは、これは指定をいたしておりません。