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41件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1974-03-09 第72回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第5号

そこで、大臣に御質問を申し上げたいわけでありますが、歴代建設大臣は、坪川大臣以来、この問題に対しては親しく現地に足を運んで、実情を調査しながら積極的な取り組みの見解を常に表明してきておられるわけでありますが、大臣は、この現地を調査する意思があるかないか、あるいはまた、これらについて、歴代大臣に比較して積極的に取り組む決意であるかどうか、この点についてこの際、ひとつお答えを願いたいと思います。

佐野進

1973-09-14 第71回国会 衆議院 地方行政委員会 第52号

江崎国務大臣 私が担当坪川大臣からの話を聞いておりますところによると、すみやかに出したい、そして、すみやかに審議を進めていただくという方向で自分はいま動いておるが、ぜひ同調してくれということですので、いや、もとより同調しましょう、これはぜひ今国会で通すことが望ましいですねと言って、私は同調しておるわけでございます。  

江崎真澄

1973-07-27 第71回国会 衆議院 内閣委員会 第46号

これは、将来はたして直轄型の大型の工事をどのような形で考えていくのかということにも、実は関連してくるかというふうにも考えておりまして、私どもといたしましては、現在の機構の議論といたしましては、北海道をはずすことはやむを得ないというふうに見ておりますけれども、御指摘のように、将来考えるということになれば、坪川大臣からお答えいたしましたように、私どもとしては、一元化するということがやはり理想ではないかというふうに

下河辺淳

1973-07-19 第71回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第11号

坪川大臣も当時は閣僚でなかったかもしれませんけれども、こういうことばはそのまま生きているのではないかと思います。  その年の六月十七日に、佐藤総理大臣の協定にサインをした直後の談話がありますが、この中にもこうあります。「また沖繩県民の米国に対する請求の問題についてば復帰後国内的にも適切な措置を講ずる方針であります。」、こうはっきり言明されております。

安井吉典

1973-07-18 第71回国会 衆議院 法務委員会 第43号

方法、道としてはどういう方法があるかといえば、法律をつくりましてその法律の第一条で、いま参考人がお話しになりましたような寸まことに申しわけがなかったという意味を十分にそこへ示すことによりまして、この法律によって御遺族に対して扶助料を差し上げるという道がなかろうか、それをすることができますならば、これがただ一つの法制的な名誉の回復のやり方となるのではなかろうか、これをどうするかということが坪川大臣のお

田中伊三次

1973-07-06 第71回国会 衆議院 建設委員会 第26号

これが参議院においてどうなるかということを私に言えという仰せでございまするが、坪川大臣からもお答えございましたように、われわれは法案を国会へ提案いたしまして、この付託は国会委員会においておきめをいただくことになっておりますので、さような御決定をまって、私ども、どこへおきめいただこうとそこへ参りまして、十分御審議していただくという考えでおるわけでございます。

小坂善太郎

1973-06-28 第71回国会 衆議院 決算委員会 第19号

に、まあ閣議の際でもいいと思うのですよ、この問題をあなたから積極的に提起して、政府としての統一的な、これらの好ましからざる人事行政については根本的にこれを改革するという改革案を策定して、そしていままでの実態がどうであったかという問題を整理して、委員会に内容を提出してもらうと同時に、今後どのような改善策を講じてこれを実行する、この点を委員長に申しますが、当委員会の適当な機会に、総理府総務長官である坪川大臣

芳賀貢

1973-06-28 第71回国会 衆議院 決算委員会 第19号

芳賀委員 きょうは主として担当大臣質問するということになっておるわけですから、私が坪川大臣質問して大臣が明確な答弁はできないという場合、その旨を委員会に告げて、政府委員から答弁させますということにやってもらわぬと、あなたが先走って答弁しても、国務大臣でも何でもないでしょう。そうじゃないですか。いやしくも大臣を軽視しないような形で審議に当たってもらいたいと思います。  

芳賀貢

1973-05-09 第71回国会 衆議院 建設委員会 第15号

たとえば議事録を調べてみますと、この公示法が制定をされた六十一国会ですか、昭和四十四年の当時の建設大臣である坪川大臣この公示法に対する趣旨説明を読んでみると、明らかに地価を抑制するということが言われておるわけです。そして四十四年の四月の十六日の当建設委員会委員質問に答えて、大臣はこういうふうに言っておられるのですね。

浦井洋

1973-02-06 第71回国会 衆議院 予算委員会 第7号

安宅委員 たとえば、こういうことは言えませんか、坪川大臣。単純労務を提供する労働者に対してはストライキ権は必要だと思う、ただし国家公務員の地位はワク外にするという、その使用者側の意見というものは、ストライキ権は与えなければならないんだなという、いま国家公務員として従事をしておる職種の中に、そういう人がおるんだという考え方で使用者も出してきたんだ。

安宅常彦

1971-02-05 第65回国会 衆議院 建設委員会 第2号

一名という県も、去年の審議のときには相当あったわけでありまして、それでは鑑定委員会が、大都市だけでやるならば必要はないが、最終的には二十万都市も十万都市までもやりたいと大臣は――その当時は坪川大臣ですが、そこで答弁をされております。そういう点からいって、二人や三人のところは困るのじゃないか。

天野光晴

1970-05-11 第63回国会 衆議院 建設委員会 第17号

会議建設業法改正案坪川大臣によって提案説明がされ、私は社会党を代表して質問をいたしました。この質問の問題に文句がついて、懲罰委員会に付されたことをいま思い出すのであります。しかし私は、この業法の登録から許可へというこのねらいは、前回懲罰に付されるほど激しく追及したその疑念というものはいまだに実は、説明をずっと受けましたけれども、その疑念を解くわけにいかぬのであります。

阿部昭吾

1970-04-18 第63回国会 衆議院 建設委員会 第13号

言われてはおりますけれども、昨年の国会におきましても、このルート決定はひとつ国会が済んでからやらしていただけないかということは、当時の坪川大臣が盛んに言ったのです。台風の目があるからともかくやめるんだということを坪川さんも暗に申しておるのです。暗にも、また明らかにもおっしゃっているのです。したがって、この経済効果がどういうようなものであるか。

井上普方

1970-04-10 第63回国会 衆議院 建設委員会 第11号

坪川大臣は、去年の二月に、経済効果の策定というものはできておると言った。工事技術難易性というものも学界で発表しました、いずれのルートもできます、この橋のルート優先順位というのを八月にはきめます、こうここでも言明していたのです。それが八月が九月になり、十月になり、十二月に在り、今日に及んでいるのです。その優先順位決定する際には、こういうことばを使っております。

井上普方

1970-04-10 第63回国会 衆議院 建設委員会 第11号

井上委員 これは坪川大臣の当時からそういうお約束になっておるはずなんです。八月には発表します、こういうことを当局は盛んにおっしゃっておったはずなんです。道路局長、聞いておいてくださいよ。それが九月になり、十月になり、あるいは渡米前に発表するとか言ってみたり、それには当然経済効果というのはくっつけて発表するのだ、こういう理解が全委員においてなされておったはずだ。

井上普方

1970-03-18 第63回国会 衆議院 建設委員会 第4号

ところが、いままでの大臣でございましたならば、との大臣——西村大臣にいたしましても保利大臣にいたしましても、あるいはまたこの間の坪川大臣にいたしましても、いずれも予算の効率的な運用、あるいはまた清らかな姿勢を保ち続けますということをおっしゃっているのですが、あなたの場合には特にそれがなかったのですね。

井上普方

1969-08-15 第61回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第11号

総務長官並びに小沢農林政務次官から積極的な御答弁をいただいて感謝を申し上げておりますが、一番重要なメンバーである坪川大臣に最後にお尋ねをしたいわけであります。  そこでお尋ねをしたいことは、これは事務当局でけっこうですが、七月六日の集中豪雨公共土木施設関係査定見込み額だか査定額は幾らか、七月末は幾らか、七号台風は幾らか、今回は幾らか、その合計は幾らになりますか。

小沢貞孝

1969-07-23 第61回国会 衆議院 建設委員会 第33号

われわれは、さすがは坪川大臣と、実は感心したのであります。それが、たしか七月二日の運輸委員会では、あなたが七月と言われたのが八月に延び、そこにいらっしゃる保利官房長官は、八月はちょっと無理だろうと言う。同じ閣内におってそういうニュアンスの違いがそこに露呈されてきた。ようやく十九日に両大臣が視察された。

山崎始男