1974-03-12 第72回国会 衆議院 運輸委員会 第14号
全日本木船相互保険組合の定款というのを拝見をいたしますと、この中に、五十条にありまして、「填補の範囲」は「組合は、保険の目的たる船舶について沈没、坐礁、膠砂、火災、衝突、接触、その他海上危険による事故によって生じた損害を、以下各条の規定により、填補する。」
全日本木船相互保険組合の定款というのを拝見をいたしますと、この中に、五十条にありまして、「填補の範囲」は「組合は、保険の目的たる船舶について沈没、坐礁、膠砂、火災、衝突、接触、その他海上危険による事故によって生じた損害を、以下各条の規定により、填補する。」
○政府委員(太田康二君) まず新潟県のジュリアナ号の坐礁によりますところの油流出による損害の問題でございますが、この問題につきましては、私どもといたしまして、直ちに現地に調査官を派遣いたしまして、被害の実情を調査し、応急対策を講ずることといたしますと同時に、その後、私どもの日本海区水産研究所がございますから、これが中心となりまして、漁場の復旧をどうしたらよろしいかとか、あるいは実際に被害がどういう状況
この船が一九六七年の三月十八日に英国の西南のシリー諸島の沖合いで坐礁いたしまして、この船が積んでおりました原油約六万トンが流れ出まして英国の西南部の海岸をはじめとしまして、対岸のフランスのブルターニュ半島北部の海岸一帯に至るまでばく大な損害をもたらした事件であります。
防衛庁の第一号は、三十二年十二月下関吉見港で坐礁破損した駆潜艇「きじ」の復旧費が六百万円ばかり高すぎるという指摘であります。現地説明では、船乗りは余裕をみるのがあたりまえだという説明もありましたが、吉見港での坐礁には関係者のミスがあったことが明らかになりましたし、指摘の点についても、意見を異にする実質的根拠はなかったのであります。 次に佐賀県下の干拓の問題であります。
もう一つこれは農林大臣に聞いておきたいんですが、昨年千葉県の銚子沖で、アメリカ側の輸入小麦の船舶が暗礁に乗り上げて坐礁した。そうして小麦がほとんど流失しまして、非常な損害をこれは受けたんですが、そのときの一体補償はどちらがやったのか。
そうなつたときに乗客を下船せしめなかつたということは、そういう目的で出港した場合はやむを得ないかもわかりませんが、大体坐礁して船が転覆をしてからも、この救済処置というものが十分に講じられておらない。
一方風や波のために流されてだんだんと岸の方へ行き、そして最後は結局安全に砂地に坐礁しようと思つたと思われるのでございますが、海底に非常な変化が起つたのではないか。あの場所の水深と船の吃水というようなことから考えまして、むしろあそこに大きな海底の変化が起つて、そして砂山と申しますか、盛り上つた砂に乗り上げたのではないか。
それをおろさずに、青森向けに仮泊して台風の通過を待つておるうちに、吹き流されて坐礁して、それが直接の原因になり、転覆してあれだけの惨事を引起した。甲板におる人も相当死骸になつて浜に打上げられたのはニュース映画で見ております。しかし助かつた人はほとんど甲板におつた人なんです。
もつと早くにその処置は講じて、救難本部をつくる手配はしておるのでございますが、ただ全般的に言いまして、一般の場合でありますと、あちらこちらに故障が起きて、あるいは坐礁ということになるまでには相当の時間がかかるというのが常であります。
調査団といたしましては、坐礁を決意したということを報告書に申し上げますにつきましては、ある程度の真相をつかまえてお話申し上げたのでございます。まずその真相と申しますのは、三等客室のボーイ長をやつておりまする高岡外治郎さん、五十二才になる方の証言がございますので、それを御参考にここで読み上げます。
従つて責任ある海難審判庁その他の結論がいずれ出るでありましようが、私といたしましてはその結論に信頼をして、この問題はこの程度にいたしますが、もう一つはこの報告書にもありまするように、船長は坐礁を決意して、そして船の平衡と乗客の退避に備えようとしたというふうに言つております。これは大体機関部ないし機械部の状態がどのようなときに、こういう坐礁を決意されたのでありましようか。
この坐礁を決意したかどうかということにつきましては、実は私どもも的確にそうだというふうに断定するほどの資料もないのでございまして、まつたく予測しない非常な強い波と風によりまして、むしろ流されて行つたのではないか。
一つは第六真盛丸という船でございますが、この船は大分風に流されまして、現在洞爺丸が沈んでおりますもつと浜寄りに、殆んど近くでございますが、坐礁しておるということになつております。それからもう一ぱい、アメリカのLSTというのが、これが大分沖へ流されまして、非常に位置は離れておりますが、そちらのほうで欄座いたしました。大体今お話の通り人命には問題はなかつたように聞いております。
欠航したときの状態というのは、気象情報なんか聞いたつて、新聞にわいわい書かれたほどじやなかつたこともあるので、その船を桟橋につけておいたら、併しあふりをくつて坐礁するということはあるかも知れませんが、そいつを離したということは何といつても大きな結果を生んだんでしようが、そういう点について、この風の速さ或いは気象台の予報などをお考えになつて、課長さんはよく現地についておわかりだと思うのですが、最善の策
これが青森県の尻屋崎で坐礁いたして、早速函館の海上保安本部から七百トンのだいおう、それから四百五十トンのおくしり、りしり、以上三隻が出動いたし、救助いたして釜石港に引張つて行つたわけであります。船体もすべて安全であつた、これらに対して早速同会社から深甚な謝意が表せられました。なおこの米船運航は一年くらい前でありましたが、下津の近所でも事故がございまして、このときも無論応急救援に行つております。
御承知の通り先般来三笠丸の坐礁、或いは又衝突した虻田丸、まだいろいろの問題がたくさんある。そうして今四十七度以南の鮭鱒流し網の許可を受けて行つておるが、四十七度以南では商売にならん、それで五十一度まで是非一つ許可してもらいたい、或いは又十五日間ぐらい期間を延ばしてもらいたいという要請で、今全国の鮭鱒流し網の代表者諸君が運動をいたしております。
遭難中のもの五十三隻、救助されたもの五隻、自力で帰港したもの二十隻、沈没五十五隻、坐礁八隻、大破八隻、中破十四隻、小破百九十、合計三百五十三隻というようになつております。それからなおこれはまあ遭難したとはつきり言い得ないのでありますが、いずれにしてもこの消息が不明という船が昨日の正午現在で八十二隻あつた。これは警察が掴んだ数字でございます。乗組員が六百十八人、これが消息不明であります。
○国務大臣(保利茂君) 千葉県の白浜押合五百メートルくらいの大変いい漁場であるそうでございますが、そこでお話のパナマの輸送船が小麦を一ぱい積んで坐礁顛覆をしたために、積んでおつた小夜が大量に流失をし、併せてその重油が流失いたしましたために、海草類や或いは貝類が非常に被害を受けた、早速その重油の流失を防ぐような緊急措置をとるように、そうして又流失の小麦はできるだけ早く陸へ上げて、そうして飼料になるものは
○千田正君 この前の予算の審議の際に、農林大臣にお伺いしましたいわゆる今度の補正予算に出て来ておる根本でありますところの小麦の輸送船が、九十九里の沿岸で坐礁したそのときの損害は、農林大臣のおつしやる通り保険等に付けてあるから、積荷に対するところの損害はない、これは食管会計からの考え方で無論そうであるのでありますが、先般千葉県沿岸を調査した際に、この沿岸の漁民からの陳情があつたのであります。
その船はもう坐礁しましてまあ難破するような哀れな船であります。
これらの船が毎年十数隻を数えるのでありまして、更に現地におきまして最も悲しむべきことは、濃霧や時化のためにすぐ目の前にあります歯舞諸島の岩礁に坐礁して、我々が目の先に見ながら救助に行くことができない、又出漁して何日も帰港しない場合、僚船の確認でもない限りは遭難か拿捕か不明でありまして、たとえそれらの漁場の関係から百パーセント拿捕であるということが我我にはわかつておりましても、我々には何らのなすべき術
それから昭和二十八年の七月三十一日に大黒丸、これは坐礁をして遭難をいたし、沈没をしております。同じく拓洋丸というのが四月十二日、これ又坐礁沈没をいたしておるわけでございます。以上二十七年、三十八年を通じまして五隻の遭難船を出しておりますが、この海域におきましては、完全な行方不明と断じられるのは昭和二十七年三月二十四日栄福丸一艘になつております。
只今お話の瀬戸内海の航路のうちで、備讃瀬戸と申しておりますが、この備讃瀬戸は瀬戸内海の主要航路の大事な所にございまして、而もこの航路附近には暗礁とか砂洲等がございまして、本船が航行します場合に衝突或いは坐礁等の海難事故がこれまで相当多かつたのであります。
そうしましたならば、このコースに入れて走つたならば、彼らの言う位置が正しいとしたならば、海鳳丸並びに松寿丸は済州島の山の中に、八マイルのところに入つて、すでに坐礁しなければならん状態にある。逆に城山浦という港が最終地点として一番はつきりしておるのでありますが、この地点から逆算で以てそのコースを入れて行きますとこの地点になつて来ておる。