2012-03-14 第180回国会 衆議院 国土交通委員会 第2号
さらに、球磨川中流部の宅地かさ上げ等につきましては、これまでに十八地区を完成させておりますけれども、平成二十三年度には、藤本地区、大門地区、大坂間地区において整備を実施してまいります。 今後とも、着実に整備を進め、治水対策案の早期の取りまとめに努めてまいりたいと考えております。
さらに、球磨川中流部の宅地かさ上げ等につきましては、これまでに十八地区を完成させておりますけれども、平成二十三年度には、藤本地区、大門地区、大坂間地区において整備を実施してまいります。 今後とも、着実に整備を進め、治水対策案の早期の取りまとめに努めてまいりたいと考えております。
○坂間説明員 教科書のとおり読みながらやるというような授業はなるべくしてもらわないように私どもで指導しているわけです。
○坂間説明員 そのとおりだと思います。
○湯山委員 それから、算数の坂間さん。
○坂間参考人 ちょっと……。これはここで申し上げてよいかどうかわからぬのですが、実は向うで、小包みの中に入っておりますグラフ等の写真を、向うが検査をしてくれます際に、こういう問題が一つあります。と申しますのは、これはいつでありましたか、議会におきます騒ぎの写真が相当入っておったのであります。それを向うの者が見て、これは何だ、これは何だといって聞く、そうしますと、議会のあの騒ぎの写真が出てきた。
これより海外同胞引揚に関する件について調査を進めますが、本日は、特に本件に関し、去る十九日、ソ連地区より舞鶴に引き揚げて参りました引揚者の方々より、抑留同胞の実情を聴取いたしたいと思いますので、引き揚げてこられた坂間訓一君、瀬島龍三君、小日向和夫君、木村忠男君に御出席を願っておきましたが、参考人として事情を聴取するに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
では、初めに坂間参考人より、総括的に、抑留同胞の実情及び引き揚げについての事情を伺うことといたしますが、他の参考人の方々には、それぞれの立場より、あまり重複しないよう、抑留地における実情及びまだ残っておられる同胞の状況等をお話し願いたいと思います。坂間訓一君。
坂間さんもそう言っています。私たちのことを思う余りに、日本の外交交渉が不利にならないようにがんばってくれ、医薬の不足、体力の低下、病者の続出でもおれたちはあくまでがんばると言っている。
○野溝参考人 これは昨日も申し上げましたが、われわれも抑留者の方々にお会いした際に、大体意見を集約いたしまして坂間さんから意見並びに質問を含んでの開陳があったのでございます。私はそれを一番公けのものと見ております。それに対して責任を負うことは当然であるし、またその点に対しては明らかに回答してきました。
○野溝参考人 先ほどからお答えした通り、数多い中ですから、大体坂間さんが代表として意見を中心にしてやってきた。あとの一千名近くの人々が個人的に言ったのを、一々どういうふうに取り扱っていくかということについては、なかなか私は判断ができかねるものでございますから、私は公開主義を選んできたのでございます。
大多数の意見であるといって坂間代表を取り上げている。そういう意味で、あなたは少数だということによってこれを発表しなかったのか。私は、あなたが発表したと言われるとは思われない。何ら公式な手続を踏んでいない。ここを私は追究したいためにあなたにそれを申し上げているのです。
○木村(文)委員 参考人が午前の私の質問に対してお答えになった中に、坂間代表の意見は、これは公式に取り上げる意見であって、あとのことについては、そのときによって参配したいと思うというような意味の御発言のように私にはとれたのでありますが、私をして言わせるならば、坂間代表があなたに対して言われたことは、これは意見ではなくして、あなたに対する質問であった、こうとるのです。
いよいよ議員が来るから出迎えしろ、ただし議員に対する質問市預ということは坂間元少将、その当時からわれわれの一分所におられます少将を通じて質問をしろ、ただし政治向きのことについてはこれをなすことを許さないといったようなソ側の命令なんです。
それに先だって、われわれはすでに訪ソ議員団を迎える準備として、坂間元少将を長とする委員会なるものを結成いたしまして、その委員会によって、各自がばらばらに発言したのではなかなか収拾がつかぬ、あらかじめ各人の意見を取りまとめようじゃないかということになって、委員が各ブリカーダ、いわゆる組ごとにいろいろ意見を聞いて、坂間元少将が意見をまとめられました。
尚入りました将官で刑を受けましたのが、先程申しました方々の外に、これは今日実は控室で聞いたのでありますが、坂間少将、濱田少将、松村少将が刑を受けられてシベリアに残つている、又下村満洲国外交部次長、このお方も刑を受けられてシベリアに残つているということを、控室で他の証人から聞きました。
次いで第二の北鉄問題に関しましては、私がモスコーに参りましたのは二十二年の十二月三日でありまして、そのときには北鉄のいわゆる裁判の行われる場合の証人要員として元陸軍少将坂間訓一氏がおられました。この方は曾て綏芬河の大尉時代に、満洲事変勃発当時に綏芬河の特務機関長をしておられたものであります。
小畑、古谷健、河越重定、久保宗治、大野武城、坂間これもちよつと名前を忘れました。松村知勝、池谷半二郎、加藤道雄、瀧川これは主計の瀧川、矢野、金織、白井、それから獸医で高橋隆篤、小野紀道、軍医で梶塚、川島、村上、井上文夫、新田太郎、廣瀬、佐藤、井原、平松、これは藥剤官です。法務官で小幡。海軍では小川得一、堀、堀は鹿兒島の人、黒木剛一これは東京です。