1967-07-14 第55回国会 衆議院 法務委員会 第33号
そしてこの坂本清馬が、終戦後四、五年、特例というような名前で放免されたということは、それの反映だろうと思うのです。そういうふうにお考えになっていますか。 もう一つ、つけ加えます。何だか新聞によりますと、原敬の日記だの、それからもう一つは平沼騏一郎の回顧録、そういうものには、そのときに自分たちは彼ら大逆事件の連中を殺さなければならなかったという事情が書いてあるそうです。
そしてこの坂本清馬が、終戦後四、五年、特例というような名前で放免されたということは、それの反映だろうと思うのです。そういうふうにお考えになっていますか。 もう一つ、つけ加えます。何だか新聞によりますと、原敬の日記だの、それからもう一つは平沼騏一郎の回顧録、そういうものには、そのときに自分たちは彼ら大逆事件の連中を殺さなければならなかったという事情が書いてあるそうです。
それで今度この坂本清馬と、森近運平の妹が、この名誉回復、人間として——私はどうせ死ぬ人生だから、どうだっていいんじゃないかというふうに考えるのです。だけれど、この人たちは人間として正しい生き方をしたという名誉を持って死にたいというので、いまの再審の問題が出ているのです。その点は、あなた方は、よけいなことをするものだ、ばかなものだというふうにお考えになりますか。
この坂本清馬という人の特別抗告がこの間また拒否された事件についてであります。あなた方お若いから、大逆事件が起こったときの世相というものは御存じないのじゃないかと思うのですけれども、いかがですか。
それこそ親切が欠けているということ、そのために再審は――ごらんなさい、大逆事件の坂本清馬というのは何十年間再審を願い出て、もう九十歳近い人が一生懸命やっている。そういうときに、少し人間的なものをあなた方はお持ちになることができないのかどうかというように考える。再審が排撃された近い例は徳島のラジオ商殺し事件でしょう。
この坂本清馬という人はいま八十二歳なんですよ。かなり老衰しておられるから、あしたにもどうかというふうな老齢になっていられる。それがまだ再審が遅々として進んでいない。こういうことを考慮に――年齢だとかその人か送ってきたところの、これもほとんど一生でしょう、われわれが女学生時代からでありますから。ですからこれを考慮に入れるというような、再審のスピード化というふうなことはできないのですか。
○志賀(義)委員 最後にいたしますが、ただいま参考人のお話がございましたが、きょうは残念ながら坂本清馬さんが来ておられませんので、せっかく当委員会が取り上げたものでございますから、再審制度の小委員会でなくて、この法務委員会において坂本さんを呼ばれる、これを委員長にお願いしますとともに、もう一つは、いま新たにそういう起草者の名前もあげられましたので、そういう点について必要があれば、法務委員長のほうで照会
坂本清馬氏は青年時代なかなかの熱血漢でありまして、平民社に寄食しておったわけでありますが、非常に気性の激しい人で、秋水との折れ合いがあまりよくなかった。秋水もいささかもてあましぎみで、君ひとつ全国を旅行して、そのとき同志でも募ったらどうだというような言い方で関係を切ろうとしたというようなことを秋水は言っております。
○猪俣委員 いま再審を申し立てております坂本清馬氏と幸徳秋水の関係ですが、いわゆる幸徳伝次郎外二十五名の大逆事件判決書というものを見ますと 坂本清馬の判決文の中にも明らかにされておりますが、幸徳秋水と坂本とは非常に仲たがいしてしまって、絶交してしまっているということが判決文自身にも書いてあるわけでございますが、どういう事情でそういうふうに仲たがいをしたのか。