2016-05-26 第190回国会 衆議院 地方創生に関する特別委員会 第14号
地方再生というのは衰退した地域経済社会の復興、再建であるのに対して、地方創生というのは地方統治機構の再編ということでありまして、両者は似て非なるものであります。 これは、石破担当大臣の御発言にも見られます。明治以降連綿としてつくってきた国家の形を変えるものという御発言や、地方再生でなく地方創生と言っているのは、中央と地方、あるいは民間と政府の関係を全く違うものにしていきたいからだと。
地方再生というのは衰退した地域経済社会の復興、再建であるのに対して、地方創生というのは地方統治機構の再編ということでありまして、両者は似て非なるものであります。 これは、石破担当大臣の御発言にも見られます。明治以降連綿としてつくってきた国家の形を変えるものという御発言や、地方再生でなく地方創生と言っているのは、中央と地方、あるいは民間と政府の関係を全く違うものにしていきたいからだと。
このおおさか維新の会が結党した三つの結党の意味というのは、憲法改正をして地方分権のための地方統治改革をしたい、そのためには、国会において必要な参議院の三分の二にも積極的に参加していきたい、身を切る改革で国の財政再建を図りたい、また、沖縄の基地問題の根本的な解決を図っていきたい、こういうことを私たちはこの党の目的として結党したわけです。
地方統治の機構も機能しているし、協力してくれるということが、サマワは治安は安定しているという最大の根拠としてきた。ここもそのとおりだと思います。 その最大の根拠が実は崩壊をしていた。今度の答弁撤回劇で明らかになっているわけですね。極めていいかげんな検討だったと思うんですね。
といいますのは、イラクは産油国でございますので、石油さえ出せればその後の戦後復興は非常に簡単だろうと思います、地方統治も含めてでございますけれども。 その場合、現在のイラクの石油施設などをつくりましたのは日本企業でございます。あるいは、かつては八〇年代に、丸紅さんでございますけれども、全国十三カ所の病院建設をしたというようなことがございます。
すなわち明治新政府は、慶応三年の大政奉還によって幕府から統治権の委譲を受け、さらに明治二年の落籍奉還によって三百諸侯の地方統治の権限を引き揚げ、一国の統治権のすべてを掌握しました。そして、明治四年に廃藩置県を行い、全国を直接統治するために府知事や県令を派遣したのであります。この中央集権体制は戦後の日本国憲法の制定まで続きました。
ここは徳川幕府の直轄地として、代官、郡代が二十五代、百七十七年にわたって住まいして、飛騨の政務を見ておったばかりではなく、明治以後も郡役所、飛騨支庁、飛騨県事務所として使用せられ、名称、機構こそ違っておりまするが、常に飛騨地方統治の中心的役所として今日に及んでいるのであります。