運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
143件の議事録が該当しました。
share
Created with Highcharts 5.0.6日付時刻該当件数1950195519601965197019751980198519901995200020052010201520202025051015

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2014-04-09 第186回国会 参議院 国民生活のためのデフレ脱却及び財政再建に関する調査会 第3号

戦前農業を規定したものはやはり地主制度だったわけですね。この地主制度に対して、実は帝国議会、済みません、失礼ですけれども帝国議会地主階級と同じ利益利益を同じくしていたわけですね。これに対して、小作人の側に立って地主階級及び帝国議会に抵抗し続けてきたのは我が農林省の先輩だったわけでございます。

山下一仁

2009-06-09 第171回国会 参議院 農林水産委員会 第13号

農業経営農業生産の担い手の在り方を規定するということとともに、多くの小作農民貧困にさらしてきた地主制度を取り除いて、戦後の農業農村民主化とその維持に重要な役割を果たしてきました。農地耕作主義原則があったからこそ、農業農業経営は地域に根差した主体によってやはり担われる経済活動であり続けてきたと、農村社会安定性も維持されてきたんだというふうに思います。  

紙智子

2009-06-09 第171回国会 参議院 農林水産委員会 第13号

政府参考人高橋博君) 農地の取得についてでございますけれども、これはもう御承知のことと思いますけれども、いわゆる終戦直後、占領軍によります、GHQによります農民解放指令、国内におけます第一次農地改革、それから占領軍によりますこのGHQ指令、それによる第二次の農地改革、これによりまして、いわゆる戦前の大規模地主制度多数の零細小作農と少数の大規模地主、これの構造を転換して自作農を創設するということが

高橋博

2000-11-08 第150回国会 衆議院 農林水産委員会 第4号

谷国務大臣 今のお話でございますが、先ほどの構造改善局長お話も、私の聞いております聞き方からいいますと、戦前農地というのは地主制度があり、その下で小作をしておられた、年貢と称した小作料金が余りにも高かったところに原因があって、戦後の農地解放制度があった。ところが、小作料という表現はいまだに戦前も戦後も言葉は変わっておりませんけれども、その言葉意味は全く変わった様子になっておる。

谷洋一

1999-06-29 第145回国会 参議院 農林水産委員会 第21号

公述人高橋良蔵君) 私は、地主制度の中で育った経験のものですから、小作料を持って地主のうちに運んでいった、そういう思いを持っておるものですから、企業が農村に自由に参入できるというふうなことになれば、いろんな規制は最初のうちはあっても長い間にはやっぱりこの人たち農村を支配する、そういうふうに必ず変わるというふうに思うものですから、反対です。

高橋良蔵

1999-03-09 第145回国会 衆議院 農林水産委員会 第4号

つまり、この時点で名実とも地主制度は崩壊をいたします。  しかし、その後の農地の問題で一つ忘れてならないことがあります。それは、言い方は悪いんだけれども、農地というものが果たして耕す者のためにあったのか、それとも農地そのものが資産であるというふうな、いわば誤解を持った認識というものが農村社会の中にはびこっていた可能性がなきにしもあらずだと私は思っております。

安住淳

1992-05-29 第123回国会 参議院 国際平和協力等に関する特別委員会 第13号

カンボジアの人たちは八百万の人口で、そしてアジアに見られるような大地主制度がなくて、今まで本当にそういえば人をだましたり、あるいはそういうことのしない国民性なんだ、非常に人のいい国民性なんだと。しかし私は今心配だと。いわゆるUNTACが出現をいたしまして、そして、UNTACそのもの自身は私どもも評価します。

谷畑孝

1990-04-26 第118回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第1号

片桐政府委員 先生御指摘のように、昭和二十年以前で考えますと、日本農村社会は、いわゆる地主制度といいますか小作制度というますか、そういう形態が非常に多かったということは事実でございます。そういう地主制度改革という観点から戦後広範に農地改革が実施されて、二百万ヘクタールを超える小作地が解放されたというふうに承知いたしております。

片桐久雄

1987-05-22 第108回国会 衆議院 農林水産委員会 第6号

承知のように、戦後、寄生的な地主制度を解体して自作農制度を創設するという観点農地解放が行われまして、いわば自作農主義を中心にした農地法昭和二十七年に制定をされました。その後、昭和三十六年からのいわゆる農基法農政の展開、一方における高度成長経済の発展という過程を通じて農村からたくさんの労働力が大都市へ流れた。

石橋大吉

1986-02-26 第104回国会 衆議院 外務委員会 第4号

つまり、その制度そのものを、大地主制度そのものを我々は今壊すわけにはならぬ、批判をするわけにはならない、そういう制約の中において援助に行っているわけですから、その農民は依然として小作なんですね。したがって富は、生産力の高くなった農作は、そのいいところは全部大地主の方に行ってしまう、こういう矛盾にぶつかっている。   

渡辺朗

1981-04-14 第94回国会 衆議院 農林水産委員会 第8号

したがいまして、この非常に厳しい国際情勢の中で、特に農業関係の面においてスタートのおくれた日本、こう言っても私は間違いじゃないと思うわけでありますけれども、そういう立場の日本、そして長い地主制度という制約のもとで進んできた日本農業農村が、戦後初めて農地解放という形になって本式の農業政策が展開されてからわずか四十年、そういう日本ということでありますので、基盤整備にいたしましても用排水の諸条件にいたしましても

亀岡高夫

1981-03-03 第94回国会 衆議院 農林水産委員会 第3号

こういう通達をお出しになっておりますが、これに対しては双方が話し合ってしろということになっておるようでございますが、かりそめにも、この最高限度額というものの統制が撤廃になったからといって、これを引用して小作料を値上げする、そして昔の地主制度復活するようなことにならないように、ひとっこれはすべからく指導して、そういう結果を生まないようにしなければならないと思う。  

稲富稜人

1981-02-26 第94回国会 衆議院 農林水産委員会 第2号

しかし、制度の上におきましては、やはり地主制度というものがございまして、百年のうちの約七十年くらいは、農民哀史とでも申しますか、農民は、私もその一人でありましたけれども、小作として非常に厳しい経営環境生活環境の中にあった。主権在民という意識じゃない時代であったわけでございますために、農村は非常に苦悩多き時代であったというふうに認識をいたしております。  

亀岡高夫

1980-11-13 第93回国会 衆議院 決算委員会 第5号

、やはり何といっても農家のたんぼとか畑とか、あるいは草地とか林地とか、あるいは漁港とか、そういうところは、農林水産業を営む、私は一般勤労者にとってみれば工場であるという見方をしてまいりますと、やはりその工場近代化さしていかなければ生産性を上げることはできないわけでありますから、その近代化をしてまいりますためには、基盤整備等に相当な公共事業が、国費が投下されるのはこれはやむを得ない、むしろ戦前地主制度

亀岡高夫

1980-04-18 第91回国会 衆議院 大蔵委員会 第24号

このことは、現在もちろん世銀、IDAなどが種々努力はしておるでありましょうが、相当額融資を受けておるところについても、本当に貧困を絶滅するためには不十分であり、それ以外の、たとえば地主制度改革するとかあるいはその他の条件を整えるということが必要であるということを示しているというように私は思うわけであります。  そこで、私は大蔵大臣にマクロ的な意味で伺いたいと思います。  

正森成二

1980-04-17 第91回国会 衆議院 農林水産委員会 第20号

○小川(国)委員 そうしますと、昔の地主制度復活物納小作料のイメージを一掃するためにも、実態がそういうことであれば、いわゆる物納制は認める、しかしそれは飯米程度に限るという明確な条件を付したらどうか、こういうふうに思いますが、その点についてはいかがですか。     〔山崎(平)委員長代理退席委員長着席

小川国彦

1975-02-12 第75回国会 衆議院 商工委員会 第1号

これも市民法では律し切れない、たとえば労組法では労使対等だ、そして対等の話し合いで労働条件は決めなくちゃならぬ、あるいは経営者に団交に応ずる義務を課すとか、さらに農地法では地主に所有の制限地主制度を追放して、あるいは一定の、三町歩以上は持ってはいけないとか、こういうような制限を課したので、従来の民法なりの契約自由という原則では社会公共の福祉が守れないということで労組法農地法や独禁法ができたわけでありますが

板川正吾

share