1950-04-10 第7回国会 参議院 法務委員会 第22号
昭和十九年四月頃と記憶しておりますが、当時土田さんは品川の警察署長をしており、戦争中のことでございますが、私が従業員の傭い入れの関係の労政事務のことにつきましていろいろ警察と連絡が必要でございましたので、尚又生産方面に関しまして、当時の所轄警察署が軍に協力して生産増強というような宣伝を警察がやつておりましたので、その関係から私は当時の軍隊と警察によく連絡が必要でございましたので、これがために土田署長
昭和十九年四月頃と記憶しておりますが、当時土田さんは品川の警察署長をしており、戦争中のことでございますが、私が従業員の傭い入れの関係の労政事務のことにつきましていろいろ警察と連絡が必要でございましたので、尚又生産方面に関しまして、当時の所轄警察署が軍に協力して生産増強というような宣伝を警察がやつておりましたので、その関係から私は当時の軍隊と警察によく連絡が必要でございましたので、これがために土田署長
終戦前その土田署長の依頼で、昭和十九年頃に丹羽喬四郎、岡崎英城の二人のために、戦災に遭つたので自分の持家を貸しております。尚土田署長のために封鎖預金を新円に交換してやつたりなどいたしておりますが、まあ一面この土田署長の世話で自分の事務所、工場が戦時中の強制疎開の対象になつておつたのを、その疎開の対象から除いて貰つた、こういう世話を受けたこともあるのであります。