1952-03-18 第13回国会 衆議院 水産委員会 第21号
幸いにして大村團長を初め鈴木慰問団一行が北海道へおいでくだすつたので、この状況をつぶさにお話し申し上げて、御調査の資料に供したような次第であります。かようなことからして北海道の状態はまばらな人口であるために、この損害というものがあまりにも大きくなつていないことを私どもは非常に喜ぶものであります。しかし霧多布において長年の間育成しておつたほつきの養殖場というものも壊滅に瀕しております女。
幸いにして大村團長を初め鈴木慰問団一行が北海道へおいでくだすつたので、この状況をつぶさにお話し申し上げて、御調査の資料に供したような次第であります。かようなことからして北海道の状態はまばらな人口であるために、この損害というものがあまりにも大きくなつていないことを私どもは非常に喜ぶものであります。しかし霧多布において長年の間育成しておつたほつきの養殖場というものも壊滅に瀕しております女。
○淺岡信夫君 これは報告事項ということになりますか、或いは継続された委員会におきまして、どういうふうな扱いになりますか、まだ分りませんが、実は過ぐる十月の三日に、中央地区の最終引揚船であります山澄丸が入つて参りまして、そうして一千七百四十三名の人が上陸されたのでありますが、その船中におきまして、金子團長以下全員で引揚促進の船中内における決議が出ております。
さらにデラ台風の災害視察に対して若林團長以下六名の者が行つて参りまして、その結論として御報告も申上げておきました。今日の段階におきましては、政府に対して應急措置を要求するということはすでに過ぎました。根本対策を立てなければならぬときになつておるのではないかというふうに私ども考えるのであります。
政府といたしましても、本多國務大臣を團長としまして、來月の一日に東京を出発して視察をしていただくことになつております。これに対しまして、ある一部の方は、そういう視察をしても無意味じやないか。それよりも災害費の配分をやれるような技術者を派遣して、一日も早く災害復旧工事費を配分でき得るようにしたらよかろうというようなお話しもあるのであります。
團長といたしまして、まことに各位の熱誠に感謝するとともに、なお政府当局に対して不満の意思を持つ個所も多んあるのでありますが、われわれ視察委員の使命を大体達し得る見込みがついたと思うのであります。
それからこれに対して私共が宝田副梯團長、板垣副梯團長、それからその議事を進行して行きました山田幸雄という議長に当時の事情を聽取いたしましたのです。山田議長、それを司会しました議長ですら非常に私もふるえました、発言を求められて許す場合に、私自身非常にふるえて、二千名からの議長とか、司会は並大抵でありませんと、当時の司会をした人は言つておりました。
それから更に信洋丸で上陸いたしました後、いろいろな問題が起つて、大半……六十五名の人だけは一應残つて頂いて上つたものですから、その中の副梯團長二人を初めといたしまして、その司会者、議長を勤めた山田幸雄君以下十数名の人間といろいろ懇談もし、更に調査も進めました。それから一方京都地方檢察局の告訴に対する大國主任檢事、その人の意向を一應聽取いたしまして、それに基いたところの大要を聞いたのであります。
乾パンに虫云々の問題から、或いは水をぶつ掛けたとか、掛けられんというような問題が起つたということで、夜半十一時頃梯團長以下副梯團長、その他交渉委員がやつて参つて、そうしてその点を船長にいろいろ話をした結果、じや船長もそれに対しては自分の方で一應皆さんに了解を求めるように努力いたしましよう、或いは謝罪をしろとおつしやれば謝罪もいたしましよう、幸い船に拡声機がある、それじやその拡声機を通じてやる、明朝九時
署長、團長、しつかり君らが相談してやれというような激励を受けておるのであります。
しかしながら消防團長の職責にある人が、その事態を見て自己がそれにはせ参じて保護の任に当るということは使命でなければならないと私は考えている。この二十四條にはやはり求めに應じ相互協力するということがある。この点からして今のこうした治安には消防團が立ち上つてよろしいのだという私は自信を持つているのであります。念のために私は一言申し上げておきます。
○本田證人 消防團が一應そういう非常の場合に出動して防禦すべきじやないかということになりまして、七月の六日に石城地方事務所に周辺の町村長、消防團長、その他関係者が集合いたしまして、警察官は少数である、それが多数の者にやられた場合には、他に自警的な方法を講じておかなければ彼らの暴力を阻止することができないというので、相談いたしました結果、一應平市におきましては、從來より火防組という、消防團員以外に、火
○床次委員 ただいま團長から御報告がありましたが、愛媛縣に関しましては、私が大分縣から別班をつくりまして視察いたしました関係上、簡単に愛媛縣の実情を申し上げたいと思います。農作物その他の被害に次きまして、特に愛媛縣について申し上げたいのは、水産関係の被害であります。愛媛縣の総額は大体十六億でありますが、このうち農業その他のものにつきましては、他の地方と大体同様な状況だと思います。
聞きました端緒を率直に申し上げますと、六月十八日にわれわれの團長でありましたヘプラー氏がロンドンへ向つて出発いたしますので、私と山本君と二人でヘプラーの宿舎に早朝——七時半ごろと記憶しておりますが、尋ねておわかれのあいさつに参りましたところが、ヘプラー氏から、加藤君はなかなか人が惡いという話でございます。
特に先月の終りから神田委員長を團長として、北海道方面に参りましたが、驚いたことは北海道は從來一番電力が豊富であつたというふうに私の記憶にあつたのであります。ところがどこへ行つても常識を逸脱するような電力の制限をやつております。電力調整何々会というのが至るところの地方にありまして、非常な苦労をされております。これはなぜかというと今まで北海道を放擲し過ぎた結果であります。
私どもが調査に参りました六日の日には、同じ地方事務所の二階におきまして——私どもは階下の所長室を調査室にあてて調査したのでありますが、その階上におきまして、平市を防衞いたしますところの一市九町村の町村長、公安委員、消防團長、さような人たちが集合いたしまして、一旦緩急あつた際には、ここにお互いに連絡して助け合う。半鐘を二つ鳴らしたならば、消防團員その他は武装して集合する。
○神山委員 私の方で調べたのでは、森林組合の理事となつておる、もと警防團の團長、こういうふうになつておりますが、これは事実ですか。
ここに尚申しますが、私は特に金子君をよく注意しておりましたのは、金子君と三回に亘つて調査旅行に共に行き、一昨年の秋、私が團長で奈良附近を旅行いたしましたとき以來、金子君と相当一緒に起居いたしておりました。酒も余り強くないのですが、夜一緒に会食いたしますような時も、金子君は非常に人より際立つて早く興奮されて、興奮すると、その興奮が直ぐ筋肉的に現われる。
理 由 一、組織及び運営上の理由 水防法案においては、市町村等は一般の水防團体として、その区域における水防責任を負担し、その水防事務を処理するため、「水防團」を設けることができるとされており、特に都道府縣知事から所謂指定水防團体として指定された市町村はその区域内における消防機関が水防事務を十分に処理することができない場合、原則として水防團(團長及びその他の水防團員より成る」を設置せねばならん義務
そうして細田君が昭和二十二年十一月に最も民主運動が盛んであると、こう言われておるハバロフスクから杉田君が梯團長としてナホトカに來ておるから、立派な民主主義者である、そうして彼は医務室に入つておつた際において、医務室の人達が非常に官僚的で万人に対して、もう自分達は残された、だから帰る時期が來るまでのこれは單なる仕事なのだ、こういうような状態で兵隊に臨んでおる。
先日の証人喚問の際にも私が申しました通り、指を切つた團長、血盟團の團長こういうものが我々のところへ言つて來て、そうしてソ連側も立会でそれを全部開いて、この森脇君を元の收容所、中央アジアのバルナウルであつたと私は聞いておりますけれども、バルナウルにおるところの佐藤大佐、この方面の調査て並行して、森脇君は暫くナホトカに約四、五ケ月だと思いますけれども、ナホトカに残つたということ、こうした例であります。
そうすると、あなたがやつておられたのですか、こういう話でございまして、そこで曾て私は民主運動をやつたというので、日本新聞なども非常に私を高く買われて、そうしてそのとき、梯團長にしてやろうという話もあつたようでございます。これは宗像からも、吉良からもその言葉を言われております。そうしておりましたが、四月十九日頃に中隊は全員無事に帰つて來ることになりました。
1、本人はハバロフスクにおいて民主グループに属し(帰國の目的を以て昨年十一月十四日千名に梯團長になつてナホトカに至る)、 2、ナホトカにおいて民主グループに入り衞生兵の故を以て医務室に勤務し、それまで医務室は民主運動の旋風より比較的遠ざかつていたのを、本人が勤務してより急に民主化を促進した。
○伊藤説明員 第九條の規定は、水防管理者、水防團長または消防機関の長が水防をやるにあたつての、一般的な常識的な行いの一つを規定いたしたわけであります。
私は副梯團長でございました。そこで船に乘るとそういう事件が起るだろうと予察いたしまして、赤にする、白がいい、これは内地は自由なんだから、自由にいわゆる法の擁護の下に自由に研究して、或いは討論して頂きたい。併し私は副梯團長として、船の中で警察権もはつきりしてない、法もはつきり備わつてない船の中で、そういうことは御免蒙る、こういう態度で参りました。そこで、暴力沙汰はなかつたように私は思います。
あなたが承徳におられまして、その民團の副團長をしておつた。この副團長当時に、そこに菊地七郎という人があられましたか、御存じでありますか。