1948-12-04 第4回国会 衆議院 人事委員会 第1号
昭和三年スイス、ジユネーブにおいて開催の、第十一回國際労働総会における政府代表委員顧問として出張し、昭和四年鉄道省工作局局長に任せられ、退官後は日産自動車株式会社取締役、日立製作所取締役、鉄道会議議員、日本安全協会の顧問を経、昭和二十一年十一月二十九日、行政調査部運営部長となり、昭和二十二年十月三十一日臨時人事委員に選ばれ、今日に至つております。
昭和三年スイス、ジユネーブにおいて開催の、第十一回國際労働総会における政府代表委員顧問として出張し、昭和四年鉄道省工作局局長に任せられ、退官後は日産自動車株式会社取締役、日立製作所取締役、鉄道会議議員、日本安全協会の顧問を経、昭和二十一年十一月二十九日、行政調査部運営部長となり、昭和二十二年十月三十一日臨時人事委員に選ばれ、今日に至つております。
その次の山下興家氏は当年六十八歳になられるのでありまするが、山下氏は明治三十九年、東京帝國大学工科機機科を卒業後、南満洲鉄道株式会社に入社、明治四十二年十二月英米に出張し、帰朝後鉄道院技師となり、大井工場長、大宮工場長、工作局工場課長を経て、大正十四年東京帝國大学の工学部講師を嘱託せられまして、昭和三年スイス國ジュネーブにおいて開催の第十一回國際労働総会における政府代表委員顧問として出張し、昭和四年鉄道省工作局長