1957-05-13 第26回国会 衆議院 決算委員会 第35号
次に昭和二十七年秋か二十八年の初めごろかと思いまするが、バルコム・トレーディング会社の代理権と申しますか、輸入のサプライアー的取扱いをいたすことが国際鉱石株式会社に渡りまして、以降昭和三十年六月末まで、国際鉱石会社と輸入の交渉を行なっておりました。
次に昭和二十七年秋か二十八年の初めごろかと思いまするが、バルコム・トレーディング会社の代理権と申しますか、輸入のサプライアー的取扱いをいたすことが国際鉱石株式会社に渡りまして、以降昭和三十年六月末まで、国際鉱石会社と輸入の交渉を行なっておりました。
○石橋証人 私の会社が昭和三十年六月総代理店をとります前には、このサディあるいは国際鉱石ですか、それが代理店をしておりまして、昭和三十年六月以降それにかわりまして私の会社がエージェントになった次第であります。
これは通商産業省がそのオファーの受付をいたしますわけで、当然通商産業省では書類上明らかになっておるはずでありますが、私どもの理解いたしますところでは、東独カリのオファーをいたしましたのは国際鉱石全社と理解をいたしております。
○檜垣説明員 ただいまお話がありましたように、三十年のたしか春ごろには国際鉱石の代理店契約が切れるという話を私も着任の当時聞いたことがありますが、それ以前に政府機関が東独のカリ輸出関係の機関と輸入に関して折衝があったという話は私は全く聞いておりません。
○檜垣説明員 三十会計年度の前半、すなわち昭和三十年四月から九月までの上期外貨予算のカリの輸入までは、東独のカリ輸出元は、これは東独の政府機関でありますところのカリ輸出公団というものが担当をいたしておったのでありますが、その日本に対します代理店は、アメリカの法人の国際鉱石——通称インター・オアーと称しております商社が勤めておったのでありますが、当時決済の関係で、国際鉱石会社はスイスをスイッチとした決済
どうもそれと前後して、今まで日本の東独から買っておった肥料の経過というものは、全購連に渡るまでの間に、日本の国内においては国際鉱石から日綿を経て全購連に渡っておった。
○山田委員 スイスを経て国際鉱石、それから国際鉱石から日本の国内の商社、日綿、伊藤忠、岩井、相互貿易、それから光興業等の会社に製品が渡っておる。そうすると私は、日綿に全部の権利を渡すという場合に、今まで国際鉱石と取引のあった商社というものが黙ってよく全部日綿に渡したと思うんですよ。