2006-12-13 第165回国会 参議院 教育基本法に関する特別委員会 第11号
実は、明治の四十一年にロンドン大学で国際道徳教育会議というのが開かれまして、そこで提出された日本の修身教育というのがもう各国の絶賛を浴びたという、これは歴史的な事実としてあるんですね。ですから、天皇云々ということとは全く違う角度からこれは見られたものですし、修身の教科書を見てみれば、私自身も非常にそれは感動して見ているんですね。
実は、明治の四十一年にロンドン大学で国際道徳教育会議というのが開かれまして、そこで提出された日本の修身教育というのがもう各国の絶賛を浴びたという、これは歴史的な事実としてあるんですね。ですから、天皇云々ということとは全く違う角度からこれは見られたものですし、修身の教科書を見てみれば、私自身も非常にそれは感動して見ているんですね。
私は憲法をそんなに研究してきたわけではありませんが、しかし、私が憲法に関する本を読んだ限り、それからまた、憲法制定議会のいろいろな速記録を繰り返し読んだ限り、この前文のこの箇所というのは、そういう国際協調あるいは自衛隊派遣による国際協力の根拠になるようなものではなくて、むしろ過去の日本の独善的な国家主義の誤り、これを正して、普遍的な国際道徳に沿って日本が行動すべきものだという原則を示したものだというように
いずれにしても、国際道徳というものを今後ますます高める、また各国の国民がやはりその国の道徳を高め、いわゆる皆が国際人として動くような世界を築くようなPRというものこそ最も大事ではないかと私は考えておるのでございます。しかしながら、そこまで行く過程においては、いろいろそういうような不合理なことが起きることは、われわれとしてはまことに遺憾でございます。
また道徳に反し、あるいは国際道徳に反するようなことを立法することはできないと思うのです。しかし、それらの制限があるということは、何も国会が、今具体的な案件になっておりますような問題について、あるいは修正することもできないとか、そういうことにはならないと思うのです。
しかも、そういう国際道徳を守って相手の国民を無事に送り届けた、それが向うから、誤解かどうかわからぬけれども、拿捕されて、そうして苦しい目にあって、船が破損する、そういうようなことは、やはり国と国との間である以上、国内的の処置は別個に考えて、そうした被害者を救う方途を作らなければならない。
でこの保安隊と申しますか自衛隊と申しますか、それは私個人の見解を申上げますと、現代における国際生活、国際道徳というものは極めて悲しい事実でありますがやはり国力を背景にしている。その国力の一部に遺憾ながら世界各国を見てみますと武力という一要素がある、これは事実そういうふうに私は見ておる。国際生活は、国際道徳のレベルというものはそんなに高いものじやないと思う。
で、今日も兵器の発達には、各国がその力を注いでいるところでありますが、常に新兵器が現われましたとき、国際法、国際道徳は、兵器に先を越されまして、それが使用されたあとから、これに対する規正の方法が考えられているのであります。
ところが今度の憲法の前文では、できは悪いけれども、国際道徳の基本原理をたてにとつて、この趣旨によつて憲法をつくつた。憲法の精神は、今大平教授の言われる通りに、国際条約の基本的概念、それから国際道徳の基本的概念が優先する形で憲法ができていると私は思つている。それだから第九条は、芦田君がアメリカに交渉して、第二項をかえてもらつた。不戦条約の精神によつて面した。
それから各業者にしましても、なかなか商業的に国際道徳を守り切れないものも従来多かつたというようなこと。ところが一方御承知のように欧州の経済同盟というものは戦後着々としてあらゆる面でやつておる。政治的には欧州同盟がありますし、それからシユーマン・プランもできますし、あるいはブラナン・プランという農業関係の同盟も結ぼうとしておる。関税同盟もやろうとしておる。運輸の同盟もしようとしておる。
という、国内のデモクラシーには一歩を進めておりますが、国際道徳についての理解が十分に足らないで、「智識ヲ世界二求メ、大ニ皇基ヲ振起スヘシ。」、皇起が振起された後に、世界の文化に寄与するとか、人類の福祉に貢献するという結論がないのであります。教育勅語も御承知のごとく、「一旦緩急アレハ、義勇公二奉シ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ。」
すなわち普遍的な国際道徳の原理がない。私はその点において国際連合の決議は、日本の安全をはかるにきわめて不十分であるのみならず、きわめて頼みがたいと考えております。日本人は、国際連合に加われば万事が解決すると、元の国際連盟以上のごとき権威を考えているが、私は国際連合は国際連盟の三分の一も力がないとえ考ております。
願わくばこれは改正されたほうが国際道徳から言つても僕は望ましことであると思う。日本に従来そういつたものがあつたからごつちが看板は先だというけれども、これは歴史的に言えば向うが一九二〇年ということを言つている以上は、これは国際的な道義上から言つてもこれは再検討すべきじやないか、かように考るのでありますから、できればこの名称を法の審査に先立つて再検討してもらいたいという希望を申上げておきます。
従つて軍事占領及びその管理というものは、すみやかに国際法上も国際道徳上も終結せらるべきというのが、われわれの主張なんだ。そういう前提をもつて私はあなたに質問しておるのです。従つてただいま申し上げましたように、戰争終了宣言ということによつて、軍事占領がやむのかやまないのか、マツカーサー司令部による日本の内政管理というものがやむのかやまないのか。これが一番基本問題になつて来ておるのです。
ルーズベルトの数回の声明、あるいはウイルソン時代の声明を見ましても、今日の国際道徳から見ましても、私はこれは強く主張していいと思う。こういうことを私は考えておりますが、この点についてもそういう観点から、将来御対策を願いたいということをお願いするものであります。 それからこれも法務総裁にこの間聞いたのですが、自衛権についての問題が新しく今度話題になつて相当問題化されている。
その理由が奈辺にあるか、勿論国際法の規定に違反し、むしろその国際法の底にめぐるところのいわゆる国際道徳、国際情誼、国際倫理というものにまで反しておる。法律の下には倫理があります。その倫理すらも犯しておるということを断言することができます。今日私自身については何とも申しかねますが、とにかく四年半おつて帰つて参りました。