1986-11-13 第107回国会 参議院 日本国有鉄道改革に関する特別委員会 第4号
そこで、三十九年以降こうした事態に直面しまして、国鉄財政再建推進会議は昭和四十三年十一月に意見書を提出し、政府もまたこれを受けて翌四十四年の九月に閣議決定を行いました。その内容は、国鉄財政が破局寸前になったので設備投資を抑え、十カ年計画の総枠を三兆七千億に抑制するというものでありました。この国鉄財政再建推進会議の意見書を受理した、時の運輸大臣がほかならぬ中曽根総理、あなたでした。
そこで、三十九年以降こうした事態に直面しまして、国鉄財政再建推進会議は昭和四十三年十一月に意見書を提出し、政府もまたこれを受けて翌四十四年の九月に閣議決定を行いました。その内容は、国鉄財政が破局寸前になったので設備投資を抑え、十カ年計画の総枠を三兆七千億に抑制するというものでありました。この国鉄財政再建推進会議の意見書を受理した、時の運輸大臣がほかならぬ中曽根総理、あなたでした。
お聞きしたいわけですけれども、この第二次財政再建計画を閣議了解したときの田中内閣の閣僚の一人、通産大臣であった中曽根総理ですからよく覚えておられるでありましょうが、一九六〇年代末に国鉄財政再建推進会議が意見書を出しています。それは政府自身が一九六九年、昭和四十四年からの第一次財政再建計画、このときはあなたが運輸大臣だったわけですが、その当時は設備投資の規模を抑制しておった。
それは以下の点とも関係しますが、例えば需要見積もりが過大であったと申されましたが、例えば一九六八年十一月国鉄財政再建推進会議が、当時の財政状況から見て十年間の設備投資の規模は三兆七千億円ぐらいでこれを超さない方がいいという意見が出されましたけれども、列島改造計画とともに七二年十兆五千億円にまで引き上げられてしまった。
この巨額の長期債務の原因となった過大な設備投資については、そもそも中曽根総理自身、一九六九年九月、第二次佐藤内閣の運輸大臣として、みずから主宰した国鉄財政再建推進会議の意見書に基づいて、十年間の国鉄の設備投資枠を三兆七千億円に抑制するとの閣議決定がなされていたのであります。
総理、ところが、あなたは、一九六九年九月、あなた自身が主宰した国鉄財政再建推進会議の意見書に基づき、第二次佐藤内閣の運輸大臣として、国鉄の設備投資の枠は十年間に三兆七千億円に抑えると閣議決定されながら、一九七三年、今度は通産大臣として入閣していた田中内閣のとき、なぜこれを覆し、十兆五千億円へと一挙に三倍加するようなことをされたのでしょうか。
このようにおっしゃって、それに対応はできなかった、あるいは運賃の値上げが適時適切にできなかった、いろいろお挙げになったわけでありますが、しかし、それは政府として総合的な交通政策をしっかりと持って、道路や空港に対する手厚い施策と同じように、鉄道に対しても適切な援助を与えて、そして全体がバランスのとれた発展をしていくという政策をとっておったならば、もっと事態は変わっただろうと思うし、特に昭和四十三年の十一月の「国鉄財政再建推進会議意見書
過大な設備投資による国鉄財政の悪化は、既に一九六〇年代から問題になり、当時、国鉄財政再建推進会議は、十年間の設備投資枠を三兆七千億円に抑える方針を決めていました。この引き締め方針を日本列島改造論という大ぶろしきを広げて御破算にし、設備投資の規模を十兆五千億円へと一挙に三倍化したのは、一九七三年の田中内閣の決定でした。
そこで、総理にお伺いするのですけれども、総理は第二次の佐藤内閣時代に運輸大臣をなさっていましたが、その昭和四十三年の十一月一日に国鉄財政再建推進会議が意見書を出しています。どういう背景のもとで、またその内容の中心点は一体何でしょうか。
それで、三十九年、四十年と赤字が出てまいりまして、それで四十三年だったと思います、国鉄財政再建推進会議というのが意見書を出しましたですね。その意見書は、ずっと赤字が出てくるのを見まして、過大な設備投資というものに赤字の原因があるから気をつけなければならない、そしてその設備投資の規模は十年間でほぼ三兆七千億に抑えなさいという意見書が出されていたわけです。
六〇年代の末には国鉄財政再建推進会議の意見書を受けて、内閣自身が、いまの国鉄財政の赤字の原因は、大きな一つが過大な設備投資にある、そういうことを認定をして、十年間で三兆七千億円を限度とするようにいまの設備投資計画を縮小すべきだ、これは昭和四十三年の意見書であり、四十四年の内閣の決定でした。
次に、運輸省にお尋ねをするわけでありますが、昭和四十三年の十一月に政府が国鉄財政再建推進会議なるものをつくられ、そこからの意見書では、「再建期間中における国鉄の設備投資については、国鉄の役割、財政状態等を勘案し、次のとおりとする。(1)設備投資額 約三兆七千億円」とあるわけであります。十年間の設備投資が約三兆七千億、このように見込まれたわけであります。
こういうことによりまして、四十三年四月に閣議了解に基づきまして国鉄財政再建推進会議というものがつくられたわけでございます。これには学界、言論界、また産業界、その他の学識経験者にお集まりいただきまして、いろいろと御審議をいただいたわけでございますが、一つには国内におきます総合交通体系に占める国鉄輸送のあり方、及び今後の国鉄の投資規模。
(拍手) 去る昭和四十四年国鉄財政再建推進会議の意見書に基づき策定された財政再建計画が、多くの国民及び全野党の強い反対にもかかわらず、自民党の強行採決という暴挙によって成立したことは、いまだ記憶になまなましいところであります。しかも、その内容は、わずか二年で根本から改めざるを得ないお粗末なものであったのであります。
四年ほど前に国鉄財政再建推進会議ですら、いまの国鉄にとって年間五千億円にのぼる設備投資は大き過ぎ、赤字はふえるばかりである、このように警告をして意見書を出しております。これさえ無視してやる。
ところで、この現行の財政再建計画の基本方向をきめた昭和四十三年十一月一日の「国鉄財政再建推進会議意見書」、ここでこういうことを言っております。
そこで岡島主計官、私はもうちょっと新しい質問もつけ加えますから、一括してひとつ所感をお答えいただきたいのですが、国鉄財政再建推進会議等で言いましたこの考え方の中に三つの柱がある。それはどうしたら国鉄財政が再建されるかというと、一つは政府資金の利子はたな上げする。完全に孫利子じゃないですね。鉄道建設公団への出資はやめる。
次に、さきの国鉄財政再建推進会議によって、鉄道の将来の方向として示された三つの分野、すなわち、都市間旅客輸送と中長距離大量貨物輸送、さらには大都市通勤・通学輸送についてであります。国鉄は、この三つの方向に、この三年間どれほどの伸びを示すことができたというのでありましょうか。
○小柳勇君 そういたしますと、この国鉄財政再建推進会議の意見書は四十三年の十一月一日に出まして、これでローカル線の赤字線について主として意見を述べて、たとえば自動車に切りかえたらいいものは自動車にしなさいとか、いろいろ書いてございます。
で、国鉄財政再建推進会議の意見書が昭和四十三年の十一月に出まして、それから財政制度審議会の建議及び中間報告というのが四十五年十二月に出ています。それから国鉄諮問委員会の意見書が四十五年十二月二十一日、それから国鉄会計制度調査会が四十五年十二月十九日に意見を出しました。それから国鉄諮問委員会の廃止予定線という八十三線が四十三年の九月に出ています。
あと五、六分、合理化の問題と貨物駅廃止の問題ですが、第一は、合理化で、四十三年から、さっき申し上げました国鉄財政再建推進会議意見書によりまして合理化を進めてこられたが、これで国鉄は一体幾ら利益になっておるのか。
これまた同じような事情から、国鉄財政再建推進会議なるものを四十三年につくりましたね。そして国鉄財政再建促進特別措置法なる法律が四十四年に制定されました。越えて四十五年から、先ほど申し上げたように今日ただいまの再建計画が実施をされたのであります。 こういう歴史をわざわざ私が言うのは、むずかしいことはみんなビジョンとかバラ色の未来像につないでいってしまうのですね。