1987-08-27 第109回国会 衆議院 社会労働委員会 第7号
ちょうどそのころは、先ほど田中議員が議論されていた昭和二十七年のいわゆる国立病院移譲法が出たときです。皆さんが何とか国立病院を移譲しようとしているときに、地元の皆さんの熱意と率直に言って厚生省の誠意が実って、焼けたのは昭和二十九年十月だが、翌昭和三十年四月にはとりあえず七十床で診療を開始しております。
ちょうどそのころは、先ほど田中議員が議論されていた昭和二十七年のいわゆる国立病院移譲法が出たときです。皆さんが何とか国立病院を移譲しようとしているときに、地元の皆さんの熱意と率直に言って厚生省の誠意が実って、焼けたのは昭和二十九年十月だが、翌昭和三十年四月にはとりあえず七十床で診療を開始しております。
私も実は国立病院移譲の問題は、引継ぎを受けましたもののうちでいささか困難な問題の一つであります。なかなか地方の財政も悪いし、その後私も地方に参りまして国立病院を見ましたが、たいていは明治初年、中年の陸軍病院等を国立病院にいたしたのが多いのであります。従つてなかなか地方がおいそれと受引けない。
それから次にもう一つお尋ねいたしたいのは、国立病院移譲の問題でございます。これは新しい大臣が御就任になりましたから、私は大臣の御出席になりましたときにあらためて国立病院地方移譲の問題につきましてはお尋ねをいたしたいし、またいろいろと御答弁をいただきたいと思つておりますが、政務次官も御列席でございますから、ちよつと聞いていただきたいのでございます。
それからその次の国立病院特別会計の経費でございますが、これは問題になると思われます点は、現在九十九ヵ所ございまするが、地方移譲の問題でどうなるかということでありまするが、今朝ほども申上げましたように、この国立病院移譲の法案が七月の末に通過いたしまして、それ以後地方との折衝を進めておりまするが、そのスタートが遅れました関係で、目下地方と折衝をやつておる段階でございまして、一月違いますると相当見通しも違
資料として頂いたのですが、二十五年度と六年度の補助金の額を足して二で割つて、それに五〇%かけて、それに六をかけて、そうしてこれが六十カ所の国立病院移譲に伴う整備費であるというのですけれども、これは六十カ所に対する平均的なものではない、個々によつて皆違うと、こういうのですが、私は下から積上げたものと思つたのです。
それはそういう、まあこれは特典ですか、特典によつてその国立病院の移譲を私は間接的に強要して来ておるというように私は思えるのですが、九十億も起債の要求があるのに、それをどうして認めないで、そのうち国立病院移譲のために起債を認めるなら、その枠をどうしてこの中で認めないのか。
でありますから、これは今日の国立病院移譲の反対の面はもう少し冷静に地元のかたもお考えになりませんというと、府県なり市町村なりは、医療機関というものは最初からやらないのだという建前ならば、これ又俺らは国がやるべきものであつて、地方公共団体がやらないのだという、それを俺に仕事を押しつけるかということが根本の問題であります。
それからその次の(チ)の国立病院移譲整備費補助六億四千四百万円、これは国立病院の中で特別なもの、ないしプロツク的にモデル的なものを除きまして、約六十箇所ほどを地方に移譲したいという方針でございましてそれを移讓いたします際につきまして、その建物が古く、補修を要するようなものがございますので、それの整備費を国から地方へつけてやる、こういう経費でございます。地方の手でそれを建て直してやつてもらう。
最後に一点、ただいまも堤委員がお触れになつたのでありますが、会計課長の説明によりますと、国立病院移譲整備費補助といたしまして、六億四千四百万円が計上された。その御説明の中に、六十箇所を地方に移譲するというお話があつたのであります。