2020-05-27 第201回国会 衆議院 経済産業委員会 第13号
現実に現場で活躍することを楽しみにしていますけれども、私の方に、大学病院、国立東京医科歯科大学、慶応大学、その他の病院が、臨床工学士、ECMOの担当をしている技術者もなんですけれども、その団体の方がこのことを余り知らなかったので、やはりもっとPRをされた方がいいかと思います。
現実に現場で活躍することを楽しみにしていますけれども、私の方に、大学病院、国立東京医科歯科大学、慶応大学、その他の病院が、臨床工学士、ECMOの担当をしている技術者もなんですけれども、その団体の方がこのことを余り知らなかったので、やはりもっとPRをされた方がいいかと思います。
○政府参考人(松谷有希雄君) 国立国際医療センターの病棟の建て替えの件でございますけれども、国立国際医療センター、センターとしては平成五年十月に発足しておりますけれども、病棟につきましてはその前身でございます国立東京第一病院時代からのものでございまして、今建て替えているものは昭和四十四年に建築され、老朽化も進んできたということから、政策医療を実施するセンターにふさわしい環境とするために建て替え計画を
それはどうしてそうなっていったかという背景は、国立東京大学、昔の東京帝大の学生の家族のいわゆる経済能力というのは慶応大学に次いで高いというのが、一回資料で出たんですよ。そのときがたしか、ここらあたりが主計官かどこかその辺ぐらいの時代ですよ。たしか二十数年ぐらい前から国立の入学金をばんと上げてきた。
先ほどサイエンスとアートという話をしましたけれども、実際に、臨床医の中で高名な先生が、昔、三十年前に国立東京第一病院の院長をされておった方、お名前はちょっと忘れたのですが、一番いい医者は口で治す医者、次のいい医者が歯磨き粉で治す医者、一番だめな医者が化学構造式で治す医者と言われたわけです。これは、非常に象徴的な言葉だろうと思うのです。
次に、副作用問題ですけれども、この間、国立東京第二病院の高橋先生とお話をすることになりました。先生、日本の現行薬事体制の中で第二のソリブジン問題というのは起きるんですかと言ったら、第二、第三のソリブジンは起きますと言うんですよ。これは一つには、まずこの副作用報告が義務づけられて企業はふえてきますね。
一九五四年三月に、当時私は国立東京第一病院、現在の医療センターでございますが、その内科に勤務しておりました。一九五四年の三月一日、ビキニ環礁における熱核爆発実験の結果生じました放射性降下物に被曝した日本漁船、第五福竜丸の、乗組員二十三名、その人たちが東京大学に七名、国立東京第一病院に十六名入院したのでありますが、それの医療に従事した経験がございます。
○田邊誠君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員齋藤邦吉先生は、去る六月十八日、入院先の国立東京第二病院において逝去されました。まことに痛惜の念にたえません。 昨年の秋には、流動する政治の節目にあって元気に活躍されておりましたが、その後、体調を崩され、再度の御入院の後、御家族の懸命の看護のかいもなく、八十二年の生涯を静かに閉じられたのであります。
○寺松政府委員 今お答えいたしたいと思いますのは、国立医療センターと現在呼んでおりますが、前の国立東京第一病院でございましょうか、そういう施設がございましたのですが、そこが管理いたしておったと存じます。
一九八三年には防衛医大の——時間が終わったようですから、国立東京医科歯科大学、大阪大学、そして千葉大学、その都度今後はということのコメントがあるわけですが、こうして続いてきますと、やはりどこかに何か欠陥があるのだろうと思います。ひとつきちんとメスを入れまして、文字どおり今後こういう不祥事が二度と起こらないようにお願いしたい、そのことをひとつお聞きして終わりたいと思います。
○山本正和君 これで高橋さんという方が、調査の主任を務めておられる国立東京第二病院の副院長さんですが、せめて国立病院は処方せんを出して薬局で薬を出す医薬分業を確立する、そして外来患者の調剤に忙殺されている病院薬剤師の業務を軽減し、その業務の主体を入院患者への服薬指導や薬の効果、副作用の監視に切りかえていくべきだと、こういう提言をしておられるわけですね。この問題については局長はどうお考えですか。
○草川委員 そこで、私どもが調べた第三次救急の搬送実績を、各病院別に調べてまいりました数字を今から読み上げますが、日本医科大学附属病院が千九十人、国立東京第二病院が四百二十三人、東邦大学附属大森病院が四百七十三、都立広尾病院が三百四十九、帝京大学附属病院が九百十三、都立墨東病院が五百五十四、杏林大学附属病院が四百七十、武蔵野赤十字病院が百七十一、東京医大八王子医療センターが百八十三、日本医大多摩永山病院
○塚田分科員 最後に、私といたしましても言いっ放しじゃなく、また厚生省としても聞きっ放しになってしまう、こんなことを避けるために、私がさきに指摘いたしました国立医療センターが六十年一月二十一日に支払った医薬品の納入時期が実際いつだったのか、また国立東京第二病院、私が指摘した事実について裏づけ調査を行っていただき、私のところに御報告いただけるようお願いしたいのですが、いかがでしょうか。
国立医療センターが六カ月、国立小児病院が六カ月、国立東京第二病院が六カ月、国立大蔵六カ月、大阪病院六カ月、大阪南病院七カ月、大阪泉北病院七・五カ月、滋賀県の八日市の病院六カ月。これはどういうことです。病院の放漫経営その極じゃありませんか。幾ら政府が放漫財政で大赤字をつくったからといって、病院は何もまねさせることはありません。病院経営のどこが悪いのですか。相手は中小企業者。
きょうは、時間がないので一々くどく申し上げませんけれども、郵政省の場合あるいは農林省の場合と、こう申し上げると切りがないわけでございますが、厚生省の場合も日本社会事業大学を抱えておる、国立大蔵病院で指摘を受けておる、国立東京第二病院についても指摘を受けておる。
五十四年三月二十八日、「厚生省、黒い金にたかる 現金三百万円」、これは国立大蔵病院と国立東京第二病院の医薬品の納入をめぐる汚職事件の問題があります。それからこれは「薬務局をとりまく「薬マフィア」たち」という厚生省の問題をめぐって田原総一朗が指摘しております問題等もございます。
○大平正芳君 ただいま議長から御報告がありましたように、本院議員成田知巳君は、去る三月九日未明、国立東京第二病院において逝去されました。まことに痛惜の念にたえません。 ここに私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。(拍手) 成田君、君は、しばしば、この壇上で、日本社会党を代表して、雄津な論陣を張られました。
○瀬野分科員 すでに五十一年に国立東京第二病院及び五十二年に国立仙台病院、たしか五十三年と思いましたが国立長崎病院の三病院が指定されておりますが、熊本県においては、このセンター構想が打ち出された五十一年より、国立熊本病院に同センターを設置して県民に対する救急医療体制の一段の向上を図り、地域医療福祉を推進したいという強い希望が出されていたわけでありますが、いまだに指定されないが、その理由はどういうことでございましょうか
先生御指摘のような民間企業における視覚障害者であるマッサージ師の雇用につきましては、東京都においても昨年以来、公共職業安定所と国立東京視力障害センターが中心となって、従業員の福祉厚生の一環として、企業内ヘルスキープ制度としてその推進を図っているところでありまして、今後の普及拡大について必要な検討と行政指導をやってまいりたい、こう思っております。
それからもう一つは、これは現実にぼくのところに相談があったのは、国立東京病院へ結核で入っている人の話です。八病棟に御婦人が二人入っておる。それで一人の人は、川畑タキさんというのが六十五歳なんだ。この人は初診日が三十六年一月なんだ。制度発足以前から障害になっている人、これは結核ですよ。障害福祉年金一級の受給者です。癈疾認定日三十九年八月、こうなっている。