1999-07-07 第145回国会 参議院 行財政改革・税制等に関する特別委員会 第10号
○公述人(藤原信君) 環境庁ができるときに、厚生省の国立公園部から分かれて環境庁ができているわけですね。本来、今先生がおっしゃったような部分については厚生省に残って、一部は環境庁に移りましたけれども、今度の改編のときにはそれがそのままに残ってしまっているということだと思います。 ただ、今先生がおっしゃったようなことを今度新しくできる環境省にするということになりますと、当然この人員ではできない。
○公述人(藤原信君) 環境庁ができるときに、厚生省の国立公園部から分かれて環境庁ができているわけですね。本来、今先生がおっしゃったような部分については厚生省に残って、一部は環境庁に移りましたけれども、今度の改編のときにはそれがそのままに残ってしまっているということだと思います。 ただ、今先生がおっしゃったようなことを今度新しくできる環境省にするということになりますと、当然この人員ではできない。
当時、環境庁が創設をされる時点において、起きてしまった公害をどうして回復するかということとは別に、国土の保全という視点からいわゆる緑の資源というものを保護しよう、そのために、厚生省の国立公園部をただ単に環境庁に移しかえるだけではなく、積極的に自然保護という視点から物事を考えようということで、環境庁に自然保護局を創設いたすことになり、そのとき、国有林行政の中において、環境庁が自然保護の視点から保護すべきものがあるのではないかという
さらには、そのほか厚生省の国立公園局を大臣官房の国立公園部というふうにしたわけですが、これもやっぱり同じようにしてなし崩しにされています。これは大臣顔をしかめますけれども、現実の問題なんですよ。それでさらに今回の法務省なんです。これは一つなくなり二つなくなり、そして三つというように、だんだん当時の一局削減が、いま法務大臣がおっしゃるようにだんだんそれぞれ理由をつけてもとへ返りつつある。
これの経緯につきましては、私ども、御承知のように環境庁になります前、厚生省国立公園部というところで所管いたしたわけでございますが、当時こういった港湾審議会といったものの委員ではございませんでしたし、実際のところこの計画というものは承知いたしていなかったわけでございます。その後は港湾審議会の委員として入れていただいておりますので、重要港湾につきましては事前の把握をしているという状況でございます。
○小沢国務大臣 私は、あくまでも林道として森林公団がおやりになる、その計画を厚生省の国立公園部時代に、一応、原則的には許可を与えておるわけでございます。ただ、この峠に当たる部分については、いま未着工の部分については、その設計その他、いろいろとよく自然の保護との調和を図るために、それを審査をしてから決めるよ、こういうことになっておる経過がございます。
○新谷説明員 千鳥ケ淵戦没者墓苑の管理の問題でございますが、先生もお話しのとおり、昭和三十四年にでき上がりました以後は、この墓苑の維持管理は当時の厚生省の国立公園部がするということで、それをさらに環境庁が引き継ぎまして現在に至っているわけでございます。
○小沢国務大臣 南アルプス・スーパー林道二十二、三億完成しまして、あと残りはわずか残っているということを私、着任早々聞きまして、これを調べてみましたら、環境庁ができる以前の厚生省の国立公園部で、大体つくってもよかろうという結論で、ただし、峠のところについてはいろいろ問題もあるので、そのとき、そこの部分の施行については設計その他いろんな協議に来なさいよ、こういうようなかっこうになっておったように聞いております
〔藤本委員長代理退席、委員長着席〕 しかしながら、この南アルプススーパー林道の問題に限りますと、これはすでにその前、過去昭和四十二年に、厚生省の国立公園部時代にその大筋を承認しているというような特別の事情もございますので、非常にこの問題の処理がむずかしくなっておるわけでございます。
御承知のように、わが国でいままで厚生省の国立公園局あるいは国立公園部に所属していた自然公園行政が、厚生省から環境庁の自然保護局に移ったわけでございます。
国民は、残されたこのすぐれたる山河を経済再建に利用したいといいまして、当時私国立公園部の計画課長をしておりましたものですから、国立公園に指定してくれという地域は四十幾つに達しました。したがいまして、占領下でございますからGHQのオーケーを得て、なるべく国民がすぐれたる自然に接して日本人の心がまえをもう一度取り戻して、日本の再建に資したいというのが私の国立公園行政の方針でございました。
私が終戦直後に、一松大臣の御尽力によりまして国立公園部をつくりました。そのときには各国立公園ごとに技師、技手、事務官と雇等を入れる、百二十何人かの定員をいただいたことがございます。ところが、急な政変でございまして、それを実行しないうちに実行しない予算は行政管理のほうに移されまして、実に残念遺憾なことでございました。
そうした中の一つに、当時厚生省の国立公園部を環境庁に移転をし、同時に農林省のほうから、従来の鳥獣保護行政というものを、保安林の一部の権限とともに自然保護局に集約をした時点で、文化財関係の天然記念物と自然保護の関係の調整というものが当時一つの懸案となりながら、環境庁発足の時間的な制約によりまして、論議をほとんど詰めることができないままに今日に至りました。
○政府委員(首尾木一君) 四十六年以前のものにつきましては、これは厚生省国立公園部当時のものでございますが、災害復旧工事として自然公園法第十七条三項のただし書きで運用をいたしております。いわゆる不要許可行為というようなことで運用をいたしておったようでございます。
いままで環境庁でございません、国立公園部がいろいろと満身創痍傷だらけのもとで、あらゆるスーパー林道であるとか観光道路によっていろいろ自然が破壊させられましたのは、これは一つは力関係であると思うのです。やはり一つの部でありまして非常に弱いところがあった、原因は。しかし今度は環境庁というりっぱな役所ができました。りっぱというのはおかしいですが、役所ができましてここががんばっているわけです。
○武藤政府委員 当時の国立公園部は、現在環境庁に移っておりますので、そういう意味では、形式的には環境庁の問題でございますけれども、当時衛生試験所のほうも御協力申し上げております。薬務局は衛生試験所を所管しておりますので、当然御協力申し上げるということでございます。
これは非常に残念なことでありますが、そういうものが許可された時代は、御承知のように環境庁がございませんで、厚生省の一隅に国立公園部というものがささやかにあったわけでございます。
ただいまでは、あるいは環境庁へいっているのじゃないかしらんと、かように考えますが、いずれにいたしましても、当時といたしましてまだ残っていたものの処理その他につきましては、防衛庁の技術者の力を借りて、そしてこれを処理をするということを、私、前のときにはやっておった覚えがございまして、あれは環境衛生局だったか……、あすこは国立公園部の所管になっておりましたから、休暇村の……。
当時は環境庁もございませんでしたし、たとえば自然保護を守るための国立公園部にしましても、どちらかといえば力の弱い存在であったために、他のいろいろな行政に押されてあのようなことになったと思いますが、それでも確かに計画はあまりうまくありませんでしたが、あのようなものを残し得たということは、当時としては私はやむを得なかったと思う、けっこうであったと思います。これからそういうことはいたしません。
○首尾木説明員 私ども国立公園内の自然保護あるいはその利用の適正化といったようなことにつきましては、従前厚生省の国立公園部当時からできるだけのことをやってまいっておるつもりではございますけれども、しかし何ぶんにも、先生がおっしゃいましたように、国立公園二百万ヘクタールに対しまして、これを管理する事務所が全国で六カ所、いわゆるレンジャーと申します国立公園管理員が約五十名というような少数のものでございまして
からその処置に困りまして、いろいろ検討しました結果、その網走国定公園の一部の二十二ヘクタールの砂地に目をつけまして、そこに沈でん池を通った廃液をしみ込ませるという方法を考えまして、それを北海道庁に申し入れをいたしまして、北海道庁がそれを残念ながら指示をしてあらゆる手配をいたしまして、北海道内における北海道自然保護審議会とか、自然保護協会とか全部まとめまして、あらゆる手配をして、六月の十二日に厚生省の国立公園部
それからもう一つ私の決意を申し上げますが、いままで残念ながら、厚生省の国立公園部という立場におきましては、自分の権限だけで自然の保護をするということはなかなかできかねる状態でした。幸いに環境庁ができまして、自然保護に対しましてはより強い権限を持つことができるわけでございますけれども、まだ不十分でございます。
残念でありますが、賛成されたということで、北海道庁ではその意見を全部取りまとめまして、ことしの六月十二日に、許可申請ではなくて、これは北海道庁の権限でありますが、一応行政指導の立場から厚生省の国立公園部にも協議をするというたてまえになっておりますので、そのたてまえの上で協議に持ってきたのでございます。そこで、国立公園部でもいろいろ検討したようでございます。
厚生省の国立公園部におきましては慎重に検討しました結果、やむを得ないという判断のもとに、六月三十日に国立公園部長の決裁をもってこれに同意を与えたのでございます。そうしたことがこのてんまつでございます。