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136件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1999-07-07 第145回国会 参議院 行財政改革・税制等に関する特別委員会 第10号

公述人藤原信君) 環境庁ができるときに、厚生省国立公園部から分かれて環境庁ができているわけですね。本来、今先生がおっしゃったような部分については厚生省に残って、一部は環境庁に移りましたけれども、今度の改編のときにはそれがそのままに残ってしまっているということだと思います。  ただ、今先生がおっしゃったようなことを今度新しくできる環境省にするということになりますと、当然この人員ではできない。

藤原信

1990-04-12 第118回国会 衆議院 予算委員会 第9号

当時、環境庁が創設をされる時点において、起きてしまった公害をどうして回復するかということとは別に、国土の保全という視点からいわゆる緑の資源というものを保護しよう、そのために、厚生省国立公園部をただ単に環境庁に移しかえるだけではなく、積極的に自然保護という視点から物事を考えようということで、環境庁自然保護局を創設いたすことになり、そのとき、国有林行政の中において、環境庁自然保護視点から保護すべきものがあるのではないかという

橋本龍太郎

1976-05-24 第77回国会 参議院 内閣委員会 第7号

さらには、そのほか厚生省国立公園局大臣官房国立公園部というふうにしたわけですが、これもやっぱり同じようにしてなし崩しにされています。これは大臣顔をしかめますけれども、現実の問題なんですよ。それでさらに今回の法務省なんです。これは一つなくなり二つなくなり、そして三つというように、だんだん当時の一局削減が、いま法務大臣がおっしゃるようにだんだんそれぞれ理由をつけてもとへ返りつつある。

峯山昭範

1976-05-20 第77回国会 参議院 運輸委員会 第5号

これの経緯につきましては、私ども、御承知のように環境庁になります前、厚生省国立公園部というところで所管いたしたわけでございますが、当時こういった港湾審議会といったものの委員ではございませんでしたし、実際のところこの計画というものは承知いたしていなかったわけでございます。その後は港湾審議会委員として入れていただいておりますので、重要港湾につきましては事前の把握をしているという状況でございます。

土屋徳之助

1975-07-04 第75回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第19号

小沢国務大臣 私は、あくまでも林道として森林公団がおやりになる、その計画厚生省国立公園部時代に、一応、原則的には許可を与えておるわけでございます。ただ、この峠に当たる部分については、いま未着工の部分については、その設計その他、いろいろとよく自然の保護との調和を図るために、それを審査をしてから決めるよ、こういうことになっておる経過がございます。

小沢辰男

1975-02-26 第75回国会 衆議院 決算委員会 第2号

小沢国務大臣 南アルプススーパー林道二十二、三億完成しまして、あと残りはわずか残っているということを私、着任早々聞きまして、これを調べてみましたら、環境庁ができる以前の厚生省国立公園部で、大体つくってもよかろうという結論で、ただし、峠のところについてはいろいろ問題もあるので、そのとき、そこの部分の施行については設計その他いろんな協議に来なさいよ、こういうようなかっこうになっておったように聞いております

小沢辰男

1974-11-22 第73回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第5号

藤本委員長代理退席委員長着席〕 しかしながら、この南アルプススーパー林道の問題に限りますと、これはすでにその前、過去昭和四十二年に、厚生省国立公園部時代にその大筋を承認しているというような特別の事情もございますので、非常にこの問題の処理がむずかしくなっておるわけでございます。

柳瀬孝吉

1973-06-20 第71回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第28号

国民は、残されたこのすぐれたる山河を経済再建に利用したいといいまして、当時私国立公園部計画課長をしておりましたものですから、国立公園に指定してくれという地域は四十幾つに達しました。したがいまして、占領下でございますからGHQのオーケーを得て、なるべく国民がすぐれたる自然に接して日本人の心がまえをもう一度取り戻して、日本の再建に資したいというのが私の国立公園行政の方針でございました。

石神甲子郎

1973-06-20 第71回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第28号

私が終戦直後に、一松大臣の御尽力によりまして国立公園部をつくりました。そのときには各国立公園ごとに技師、技手、事務官雇等を入れる、百二十何人かの定員をいただいたことがございます。ところが、急な政変でございまして、それを実行しないうちに実行しない予算は行政管理のほうに移されまして、実に残念遺憾なことでございました。  

石神甲子郎

1973-03-02 第71回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第5号

そうした中の一つに、当時厚生省国立公園部環境庁に移転をし、同時に農林省のほうから、従来の鳥獣保護行政というものを、保安林の一部の権限とともに自然保護局に集約をした時点で、文化財関係の天然記念物と自然保護関係の調整というものが当時一つの懸案となりながら、環境庁発足の時間的な制約によりまして、論議をほとんど詰めることができないままに今日に至りました。

橋本龍太郎

1972-06-13 第68回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第27号

いままで環境庁でございません、国立公園部がいろいろと満身創痍傷だらけのもとで、あらゆるスーパー林道であるとか観光道路によっていろいろ自然が破壊させられましたのは、これは一つ力関係であると思うのです。やはり一つの部でありまして非常に弱いところがあった、原因は。しかし今度は環境庁というりっぱな役所ができました。りっぱというのはおかしいですが、役所ができましてここががんばっているわけです。

大石武一

1972-04-24 第68回国会 参議院 予算委員会第四分科会 第2号

ただいまでは、あるいは環境庁へいっているのじゃないかしらんと、かように考えますが、いずれにいたしましても、当時といたしましてまだ残っていたものの処理その他につきましては、防衛庁の技術者の力を借りて、そしてこれを処理をするということを、私、前のときにはやっておった覚えがございまして、あれは環境衛生局だったか……、あすこは国立公園部の所管になっておりましたから、休暇村の……。

斎藤昇

1972-04-21 第68回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第12号

当時は環境庁もございませんでしたし、たとえば自然保護を守るための国立公園部にしましても、どちらかといえば力の弱い存在であったために、他のいろいろな行政に押されてあのようなことになったと思いますが、それでも確かに計画はあまりうまくありませんでしたが、あのようなものを残し得たということは、当時としては私はやむを得なかったと思う、けっこうであったと思います。これからそういうことはいたしません。

大石武一

1971-08-09 第66回国会 衆議院 農林水産委員会 第3号

首尾木説明員 私ども国立公園内の自然保護あるいはその利用の適正化といったようなことにつきましては、従前厚生省国立公園部当時からできるだけのことをやってまいっておるつもりではございますけれども、しかし何ぶんにも、先生がおっしゃいましたように、国立公園二百万ヘクタールに対しまして、これを管理する事務所が全国で六カ所、いわゆるレンジャーと申します国立公園管理員が約五十名というような少数のものでございまして

首尾木一

1971-07-24 第66回国会 参議院 公害対策特別委員会 第2号

からその処置に困りまして、いろいろ検討しました結果、その網走国定公園の一部の二十二ヘクタールの砂地に目をつけまして、そこに沈でん池を通った廃液をしみ込ませるという方法を考えまして、それを北海道庁に申し入れをいたしまして、北海道庁がそれを残念ながら指示をしてあらゆる手配をいたしまして、北海道内における北海道自然保護審議会とか、自然保護協会とか全部まとめまして、あらゆる手配をして、六月の十二日に厚生省国立公園部

大石武一

1971-07-23 第66回国会 衆議院 公害対策特別委員会 第3号

それからもう一つ私の決意を申し上げますが、いままで残念ながら、厚生省国立公園部という立場におきましては、自分の権限だけで自然の保護をするということはなかなかできかねる状態でした。幸いに環境庁ができまして、自然保護に対しましてはより強い権限を持つことができるわけでございますけれども、まだ不十分でございます。

大石武一

1971-07-23 第66回国会 衆議院 公害対策特別委員会 第3号

残念でありますが、賛成されたということで、北海道庁ではその意見を全部取りまとめまして、ことしの六月十二日に、許可申請ではなくて、これは北海道庁権限でありますが、一応行政指導立場から厚生省国立公園部にも協議をするというたてまえになっておりますので、そのたてまえの上で協議に持ってきたのでございます。そこで、国立公園部でもいろいろ検討したようでございます。

大石武一