2018-11-14 第197回国会 衆議院 厚生労働委員会 第2号
実は、私は今、党の国民運動局長というのをやっておりますが、国民民主党では、党本部のホールで、先日、集団接種を行いました。議員、それから秘書、また党の職員の皆さんに風疹の予防接種、抗体がないと思われる方はぜひ受けてくださいということで行いまして、議員でいうと玉木代表を始め多くの議員が受けましたし、また秘書会にも間接的な支援、それから職員については福利厚生の中で支援を行いました。
実は、私は今、党の国民運動局長というのをやっておりますが、国民民主党では、党本部のホールで、先日、集団接種を行いました。議員、それから秘書、また党の職員の皆さんに風疹の予防接種、抗体がないと思われる方はぜひ受けてくださいということで行いまして、議員でいうと玉木代表を始め多くの議員が受けましたし、また秘書会にも間接的な支援、それから職員については福利厚生の中で支援を行いました。
当時の国民運動局長、また社会党の政審会長も歴任された伊藤さんが今担当大臣に御就任されておるのでありますから、今いろいろな反省的なお話もございましたが、この際、なぜ社会党は反対運動から手を引いたのか、またいつ建設反対の方針を変更したのか等について国民に対して御説明をし、その見通しが誤っておるならば陳謝をされるべきだと私は考えております。
私は当時、社会党のたしか国民運動局長として大衆運動の一端を担っておりましたが、あの事件が起きまして、特に神奈川県警の皆さん、若い年齢でああいうちょっと残酷だと言いたいほど悲惨な状態でございました。
○今津委員 一九七一年九月二十二日の社会新報によりますと、「午前八時、伊藤国民運動局長、木原、加瀬両国会議員ら県共闘代表が、現地の公団本部で、川上副知事ら県・公団代表に代執行の違法性について抗議。」先ほど聞いたのですが、これは恐らく大臣のことだと思うわけでございますが、大臣、若いときから大活躍されていたわけでございますけれども。
当時、大臣は国民運動局長であったと思うのでありますが、そのとおりかどうか。それから、社会党の当時の成田空港に対する政策、これは一坪運動も含めてお聞かせいただきたいと思います。
私は議員になるまでこれ一緒にやってきた方だから、国民運動局長というポストにいてやってきたからよくわかりますが、本当に彼らの叫びは、本人たちの問題だけじゃないんです。日本はこうあるべきだ、世界は平和のためにこうあるべきだ、人間社会はこうあるべきだと叫び声を上げているんだから、単なる要求闘争じゃないんです。これは参考人の方もおっしゃったけれども、もう思想の問題なんですよ。
たまたまわが党におきましては、中央執行委員会を院内において開催しておりましたから、その際には中央執行委員の人たちは本部にはおいでになりませんでしたけれども、しかしその後伊藤国民運動局長が警察に対する抗議その他で、十二時四十分以降ですが立ち会っておることは、これは報告を受けておるかどうか知りませんが、そういう事実がございます。
この間沖繩で大きな集会がありまして、そのときに社会党の国民運動局長の井岡大治君が渡航を申請しておりましたが、何の返事もなくて、とうとう行けなかった。で、国会議員がそういうふうになったと、社会党の国会議員がそういうふうになったということは、いままであんまり例がないことですね。しかも、党の中央執行委員です。社会党としてはえらい侮辱を受けたように感じておりますがね。
渡航が緩和をされたという中で、先般の井岡社会党の国民運動局長に対する許可のしかた等から見ても、あるいはいま若い活動家諸君が行こうとする、あるいは社会党員が行こうとする、労働組合員が行こうとする、農民運動の運動家が行こうとすることに対して、阻害をしておるわけです。
一つは渡航の問題ですが、実は先般の委員会で中谷委員から質問があったことですが、社会党の井岡国民運動局長に対しては、会合が終わったあと出たわけです。これは四日間の余裕があったのです。昨年の七月でありましたか、当時の塚原総務長官が沖繩にまいります場合も四日間です。これは明確にちゃんとわかっているのです。そうすると、総務長官の場合は四日間とちゃんと出ているのです。
まさにこれは、大きなことを言えばアメリカの社会党に対する一つの敵視政策だ、まさに本土一体化がはかられている場合に、社会党の国民運動局長の渡航が果たせなかったというようなことは、どうして本土と沖繩と結ぶのか、結びようがないじゃないか、この点について長官としては遺憾だと思われないか、またこの問題についてどういうように処置をされるか、この点についてお尋ねしたいのです。