1998-12-10 第144回国会 参議院 予算委員会 第3号
なぜ関税化反対反対という声が続いてきたかといいますというと、食糧を工業品のように扱うのはいかがなものかという国民的判断があってのことであります。だから、何とかしてルールを変えることができないかというのがまた大多数の人たちの声でもあった。日本が一貫して食糧安保論と家族農業の持つ多面的役割を主張してきたのも、実はここにあったわけであります。
なぜ関税化反対反対という声が続いてきたかといいますというと、食糧を工業品のように扱うのはいかがなものかという国民的判断があってのことであります。だから、何とかしてルールを変えることができないかというのがまた大多数の人たちの声でもあった。日本が一貫して食糧安保論と家族農業の持つ多面的役割を主張してきたのも、実はここにあったわけであります。
そして今後、経済の動向、あるいは防衛庁費というのはそのときどきの財政事情、経済事情それから国民的判断あるいは国の他の施策とのバランスを考えながら、その年次年次によって概算要求されていくものでもございまするが、もし、いま先生の御指摘のようなあるいは御懸念のようなことがあるいはあったりいたしましても、それはそのときにおいて改めて考える、こういうふうに考えておるわけでございます。
今度委員に任命された方々は日本の各界を代表されるみんな尊敬すべき人士でございまして、その御判断は国民的判断として私たちは受け取りたいと思っておるのでございまして、われわれが先入観を持ったり条件をつけたりするということは厳に戒めて、委員の皆様方の自由な判断、フリーハンドを保障するということを私たち一番心がけたわけでございます。
これについて、福祉予算より防衛費の予算を優先させるべきであるというふうに私たちがその外務大臣の御答弁の向きを受けとめた上で、しかし国民的判断によるべきであるという大前提からすると、国民はこれに対しては同意できないというときに、なおかつ優先順位からすると大事な防衛費の問題についてどうするかということが外務大臣とされては大変に頭の痛い問題におなりになるであろうと思うのですが、そういうときに外務省の予算を
○井上(一)委員 まさに国民的判断ということ、国民的な判断、合意、開かれた外交という見地からも当然であります。しかし、国民が判断しようと思うには正しい情報がなければ、正確な、的確な情報が国民に提供されなければ国民は判断できないわけですよ。外務大臣、おわかりですか。いままでに十分に国民に正しい、いわゆる的確な情報を提供しているとお考えになっているのですか。私がいまここで聞いたって、たてまえはこうだ。
その後それもやめてしまうということについては、私はいささか、国民的判断の機会を、別な意味でそれを阻害した結果になったのではないかと思いますが、大臣はどうお考えになりますか。
しかし、私は政治的判断、また国民的判断の機会、それから結局は両方とも正式に出したという主張をしておるわけでありますから、そういう点では適当な方法、適当な機会というものか――先ほど大臣は、善隣友好条約についての政府の見解というものについて、適当な方法、適当な手段、時期、そういうことをお触れになりましたが、平和条約の案についても同じことが言えるのではないかと思いますが、大臣はどうお考えになりますか。
内容についてはいろいろ議論のあるところでありますけれども、日本の防衛のあり方について広く国民的判断を求めるという意味においては、いままで防衛をタブー視していたことから見れば、それなりの評価がなされるのではないかと私は思います。
ナショナル・プロジェクトとしては、国民的判断というものを基底におかない考え方、あまりにも政治橋になり過ぎたのでそれにおそれた、そういう感じがするのです。したがいまして、やはり今日地元の協力だとかいうようなものは、むしろこれからの問題ですね。いよいよ具体化するときに出てくる問題資金もその後に出てきます。
常識的判断、国民的判断で言うならば、国会ぐるみ買収された、大阪ではこういう評判がもうもうと起きている。これは、赤間さんは大阪から出ばった法務大臣やから、ひとつがんばってもらわぬとあかぬなと、そういううわさも出ているのです。その法務大臣が、おれは法務大臣だからいまとやかくのことを言うことはできない。それは、大阪府民の皆さんわかっているでしょう、法務大臣になっただけでも喜んでいるのですから。
この際は、冷静に重要性を認識して、国民的判断を見るべき時期だと考えております。なお将来どうすべきかという問題のお話がございました。将来は申し上げました通り、なるべくすみやかに情勢が熟して、再び交渉ができるようにしたい、こう言っておるのであります。その努力は、この交渉については双方ともやらなければならぬと私は思います。(「どういう努力だ」と呼ぶ者あり)日本だけではそれはできません。
何故かといいますと、これは屡々繰返した論議でありますけれども、日本が何故あのような馬鹿げた侵略戰争をやつたか、そうして日本を今日のような敗戰の地位に落したかという一番大きな点は、何といつても世界的視野を持たなかつたということ、世界の客観的な情勢を正しく把握することができなかつた、国民的判断が十分確立できなかつたというところに一番大きな欠陷がある。