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73件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1994-07-22 第130回国会 参議院 本会議 第3号

たち日本社会党民主党国民協同党の三党で片山哲委員長を首班とする連立内閣を成立させたのは一九四七年四月、まさに戦後の混乱と希望が同居する時代でありました。当時、国民は十五年戦争の惨禍とファシズムの暗い谷間から平和と民主主義の日の当たる場所に解放され、戦争の放棄を高らかにうたいとげた新しい憲法のもとに、平和国家建設へ新しく歩き始めていたのであります。  

久保亘

1993-04-27 第126回国会 衆議院 政治改革に関する調査特別委員会 第12号

当時、民主党とあるいは国民協同党で組閣をされたわけでございます。まさにそういった時代に、恐縮でございますけれども、社会党党首内閣総理大臣を経験されたただ一人の人だ、こういうふうに私は思うわけでございますけれども、そのとおりでございますね。  そんな方が昭和二十九年に、これは「選挙」という雑誌でございまして、私も国会図書館に行きまして、その原本を持ってまいりました。

自見庄三郎

1993-04-26 第126回国会 衆議院 政治改革に関する調査特別委員会 第11号

○石井(一)議員 過去、中選挙区制の節目というのが二回ございまして、大正十四年のいわゆる三派連合を形成したときと、昭和二十二年に当時の自由党民主党国民協同党、社会党が、結局みずから生き残るという、そういう次元のもとにその制度が定着をし、今日を見ておるわけでございます。そして、その間、自民党単独政権が続きました。

石井一

1993-04-13 第126回国会 衆議院 本会議 第19号

また、そうして昭和二十二年にこの制度を復活したとき、その当時は進歩党自由党、そうして社会党国民協同党これらがみずからの立場を守るためにこの制度を復活したのでありまして、これは世界的に見て、一党制度でもなければ多党制度でもございません。その後、一党がすべての政権を支配するという中に、一カ二分の一政党と言われておる特殊な変形の形であります。

石井一

1987-12-01 第111回国会 衆議院 本会議 第3号

他党のことを申す気は全くございませんが、私どもの政党のことを振り返ってみましても、保守合同直後においては、あるいは自由党出身であるとか改進党御出身であるとか国民協同党出身であるとか、そういういわばルーツというものがそれぞれ存在しておりまして、それがある程度有権者の皆様方相違点として訴える土壌の一つでもあったかと思います。

竹下登

1985-12-03 第103回国会 衆議院 公職選挙法改正に関する調査特別委員会 第3号

あるいはそのときの国民協同党だったと思いますが、それはたしか四名から九名であったと思います。そういうふうに中選挙区についてもいろいろな考え方があり、最終的には、これは言い方がおかしいのでありますが、妥協をいたしまして自由党の二名区というのを引っ込めまして、国会で相当の混乱の中で現在の三人から五人区ができ上がったということでございます。  

森清

1984-02-14 第101回国会 衆議院 予算委員会 第3号

あの当時私は新聞記者をしておりまして見ておりましたが、その社会党単独政権とれない、選挙をやって国会で多数をとれない、そのために進歩党あるいは国民協同党当時の自由党にまで話をかけて、そして、何とか政権を維持していこうということがあったわけです。自由党はお断りになったけれども、社会進歩党ですか、そして国協党連立をつくっているのですよ。芦田内閣連立政権をつくっている。  

田川誠一

1983-01-28 第98回国会 衆議院 本会議 第4号

かくのごとくして、先生は、国民協同党、社会革新党民主党と進み、昭和三十年、保守合同による自由民主党結成に参加され、これによって先生政党所属は生涯を通じて不動のものとなったのであります。  やがて先生は、与党自民党において幹部となり、二十七年の歳月にわたり党の重要なるポストの責任者を務め、問題の処理に当たってこられました。  

小林進

1978-06-22 第84回国会 衆議院 社会労働委員会 第22号

私は、あえて国辱的ということを当時の国民協同党立場で表明されたとするならば、これは労使双方に対して反省すべき一つ問題提起というふうにも相なるわけでございまして、もともと、ああいうゼネストをやるようなことになるということ自体が国辱的ではないか。そういうスト権を剥奪するようなゼネストを起こしたということが問題ではないかというふうな一面もあるのではないか。

藤井勝志

1976-01-28 第77回国会 参議院 本会議 第4号

また、当時三木総理の所属していた国民協同党代表は、「かかる過渡的な、一時的な国辱的法案が撤廃される」ことを切望して本法案に賛成する。また、民主党代表は、「日本経済の再建まで過渡的にこの争議権を禁止することも、やむを得ない非常措置と考えるのであります。私はかような観点からも、善良なる労働者諸君が将来再び争議権を獲得さるる状態に立つことのある日を確信しつつ、本法案に賛成するものであります。」

山崎昇

1975-12-24 第76回国会 参議院 本会議 第18号

日本が独立したときは直ちにもとへ戻されねばならぬ」と発言したのは、当時、総理党首をしておられた国民協同党の代議士であったと私は聞いております。となれば、当然三木総理労働者基本的権利としてのスト権を認める立場に立っておられるはずであります。また、先日のスト権奪還ストでは、国民の大多数が労働基本権としてスト権は与えられるべきものであると考えられていたことは明らかであります。

青島幸男

1975-12-11 第76回国会 参議院 運輸委員会 第5号

なお、最後にもう一点お伺いいたしたいと思いますが、国会論議等を拝聴いたしておりますと、三木総理大臣昭和二十三年ごろ公労法改正ですか、になりました際に、国民協同党党首であって、当時その法案審議の際に、協同党の某議員法改正、いわゆるストライキ権剥奪法案に本来反対であるという討論をした。

石破二朗

1975-12-11 第76回国会 参議院 運輸委員会 第5号

公労法そのもの憲法秩序の枠をはみ出しているんで、だから私も、ここにありますが、三木さんが、当時のこの三木国民協同党のその代表が、国会の中で、公労法は暫定的であるべきだ、速やかに廃止すべきだということを言っているんです。言っているにもかかわらず依然として公労法があるから法を守らないのは違法だ、そしていま青木先生からの御指摘のように、調停、仲裁という機能は現実に十分生かされていない。

富塚三夫

1975-12-10 第76回国会 衆議院 運輸委員会 第3号

しかも、三木さんは当時国民協同党党首をしておられましたけれども、その党の大島君の本会議における発言を見ても、「過渡的な、一時的な国辱的法案が撤廃される日の来ることを切望して」と言わざるを得なかったようなしろものではないですか。みずから法をじゅうりんしておいて、そしてその法を守れというのは、まさに治安維持法的発想だと私は思いますね。  

梅田勝

1975-12-09 第76回国会 参議院 社会労働委員会 第3号

参考までに、これは公労法が制定されて、十七条、十八条が出た、いわゆるその当時の国会議事録などを調べてみますと、あなたが党首であった国民協同党大島多藏さんという方がこの公労法の制定についてはこういう言葉を使っている。「かかる過渡的、一時的な国辱的法案の撤廃されんことを切望して、本法案に賛成するものであります」と、——ちょっと聞いてください。

目黒今朝次郎

1975-12-09 第76回国会 参議院 社会労働委員会 第3号

衆議院の石母田議員も言いましたけれども、あなたの国民協同党大島議員がこの問題に対して国会で議論されたときにそういう経過などは一切触れないでこう言っておられますよ。この公労法ストライキ禁止法ですね、これについては憲法に保障された数々の基本的人権を侵害するものではないかと思われる規定を発見するんだと、こう言っていますよ。これは総理、つまり当時国民協同党あなたが責任者であったわけだ。

橋本敦

1975-12-05 第76回国会 衆議院 社会労働委員会 第5号

あなたが所属されていた国民協同党は、民主党社会党とともにこの連立内閣与党であったわけです。しかもあなたはこの国民協同党委員長で、最高責任者でありました。  その国民協同党大島藏議員が、当時、国公法改正、つまり、この政令二百一号に基づいて争議行為を禁止する、その他の改正を行いました昭和二十三年の十二月一日の議事録でこういうことを討論されております。

石母田達

1975-06-18 第75回国会 衆議院 内閣委員会 第25号

大出委員 ただ総理、これは大変重要なことなんですが、私も若き日の総理、若き日の私ということで、全逓信労働組合の私は初代青年部長執行委員ですが、そのときの逓信大臣がほかならぬ国民協同党総裁三木武夫さんですからね。しょてっぺんから、私は若いから食いついたら、あなたにきれいにいなされましたが、石田一松さんなどを抱えている時代です。

大出俊

1975-05-27 第75回国会 衆議院 社会労働委員会 第17号

とりわけ三木党首の率いておりました国民協同党代表して大島多蔵議員は、国辱的な立法だと討論の中で演説をしております。この一節を紹介いたしますと「かかる過渡的な、一時的な国辱的法案が撤廃される日の来ることを切望いたしまして、本案に賛成するものであります。」と、こういうふうに言っているのです。それからまた、当時の綱島労働委員長も、また民主党川崎秀二議員も同様な趣旨を述べているのであります。  

枝村要作