2018-04-05 第196回国会 参議院 法務委員会 第6号
つまり、結論から言うと、国松長官銃撃事件についてはオウム真理教の犯行ではなくて、東大卒のテロリストで、四月で八十八歳になり、別の事件で無期懲役の判決を受けて、今、岐阜刑務所におりますけれども、その人物が、私が国松長官銃撃事件を起こしたんだと、で、供述調書までできている。
つまり、結論から言うと、国松長官銃撃事件についてはオウム真理教の犯行ではなくて、東大卒のテロリストで、四月で八十八歳になり、別の事件で無期懲役の判決を受けて、今、岐阜刑務所におりますけれども、その人物が、私が国松長官銃撃事件を起こしたんだと、で、供述調書までできている。
国松長官は、この共謀罪の議論についても非常に関心を持っていらっしゃいます。 で、こう語っている。五月五日の朝日新聞へのインタビューですけれども、「私は、国際組織犯罪防止条約はマフィア対策だとずっと聞いていたから、「テロ対策」と急に言われて「へえ」と思った。「準備行為が必要」というのも、「へえ」だね。」。これが捜査のプロの判断なんです。さらにこう言っている。
さらに、これはオウムの事件かどうかわかりませんが、一九九五年三月三十日には、オウム警備の最高司令官であった国松警察庁長官の狙撃事件が起こり、国松長官は瀕死の重傷を負ったわけであります。 麻原彰晃逮捕の一九九五年五月十六日までの間、日本じゅうが震撼をして、さまざまな機関がこの対策に取り組んだわけであります。
国松長官が撃たれたのは平成七年ですから、そのちょっと前から始まっているんですね。そのときに、平成五年に銃刀法を改正しまして、やくざが拳銃と実包を持って出頭してきたときはその刑を免除するという規定を作ったんですよ、平成五年に。これを現場は悪用しました。 どういうことを悪用したかというと、やくざと取引して、おまえ拳銃出せと、警察ではチャカと言います、チャカ出せと。
この間の国松長官なんかも、これはこの後出てきてももう捕まらないんですよ。これは大変なことですね。廃止にはなりませんけれども、延長にはなりますが。 そういうことがあって、警察がどこまでやるかということと、やれる期間を持っているということは必要じゃないかと思っております。
御質問のオウムの問題、国松長官狙撃事件の時効に関してのコメントの問題でございます。 私も、報告を聞く前に、記者会見でこの件についてマスコミから質問を受けました。とっさに悔しさの余りだと申し上げましたが、そういう面も強くあったのではないか。
それで、次に中井大臣の方にお聞きしたいと思いますが、国松長官の狙撃事件でございます。 これは去る三月三十日に時効が来たわけでありまして、このことは大変残念なことで、ついに真相が必ずしも解明されないままに時効になったと。これは警察のトップがねらわれるという前代未聞の事件で、それは警視庁挙げて捜査やったと思いますが、結果は時効ということであります。
一九九五年はちょうど国松長官が狙撃されたあの事件も発生したときであります。 ただ、そういう時期なんですが、けん銃取り締まり捜査官の懲戒処分や逮捕事案が多くなっているのも、そのときに実はいろいろ起こっていて、その後ずっとその問題が出ているんですが、これはこのグラフにもメモっておきました。
しかしながら、御指摘の国松長官狙撃事件も含めまして、個々の捜査中の事案に関しまして、具体的にどのような鑑定、分析を行って、また結果がどうだったかということにつきましては、捜査中の事案であるという性質上、お答えを差し控えざるを得ないことを御了解いただきたいと思います。
過日、国松長官狙撃犯を特定できたというニュースがありました。これは、狙撃犯が着ておったコートに付着しておった硝煙反応を解析したことによってその犯人が特定できた、こういうふうに聞いておるんですけれども、それに随分貢献したのが播磨科学公園都市の大型放射光施設SPring8だ、こういうことでありますが、どういうことがあったのか、詳しく教えていただきたいと思います。
例えば三億円強奪事件だとかあるいはグリコ事件だとか、あるいはまた、これも本当に重大な問題だったと思うんですが、国松長官が狙撃をされて、しかも犯人がいまだにわからない、迷宮入りしている、こういうこともありますね。これなんかは内外ともに国民の安心感が崩壊していく一つの大きな要因だと思うんですね。
例えば、もう大分年月がたってしまいましたけれども、平成七年度に、国松長官という、日本の国民の安全を守らなければならないその最高責任者が襲撃事件に遭っているわけでございます。あの一事を通したとしても、日本は何かおかしくなってしまったのではないのか、このように多くの国民は考えたはずでございます。