1956-05-18 第24回国会 衆議院 文教委員会 第41号
国が教科書を作るということになって参りますと、どうしても国家正義の立場に立ってくるのであります。国が教育内容にタッチしてくると、必然的に国家主義というものが頭をもたげてくる、国粋主義というものが頭をもたげてくる。これは世界の歴史が証明している。そういうところから、今日民主主義の立場に立つすべての国々が子供に教える教科書というものは、国定の立場をとっていない。
国が教科書を作るということになって参りますと、どうしても国家正義の立場に立ってくるのであります。国が教育内容にタッチしてくると、必然的に国家主義というものが頭をもたげてくる、国粋主義というものが頭をもたげてくる。これは世界の歴史が証明している。そういうところから、今日民主主義の立場に立つすべての国々が子供に教える教科書というものは、国定の立場をとっていない。
その道徳律は、人格の完成と、それから平和国家、正義と真理を愛する、個人の価値をとうとぶ、勤労と責任を重んずる、これだけが書いてあるのです。そうして教科書を作る基準といたしまして、教科書検定基準というものをこしらえて、教科書検定基準によって検定しているのであります。検定基準は、各教科書について一々検定の基準が書いてあります。
ところが恩給法の建前からいいますと、先ほど私の意見を申し上げましたように、すでに戦争に敗れたといつてもやはり既得権があるわけですから、これを全然無視することはできないというように、私はやはり国家正義、社会正義の観念に照して考える。
まず第一に、国家正義あるいは社会正義という問題を考えますときに、現行の恩給法のもとにおいて、既得権とでもいいますか、恩給権を持つておる人たちの中に、今度の改正法でその既得権を失う者がある場合、これはあるなしについてはまた意見もあるところと思いますけれども、私は現行法のもとにおいて恩給権を持つている人が、改正法によつて既得権を失う者がある、こういうふうな見解を持つておりますが、その点について野本さんはどのようにお
これは先ほど指摘しました資料などの文字を拾つてみますると、国家社会の安全とも言われておるし、国家社会の基本秩序とも言われておるし、あるいは進んで正義と人道というような言葉でも言われておるし、あるいはまた国家正義というような言葉でも表現されておるのであります。こういう点について、国家社会の基本秩序というものは何だということを、まず確かめておきたいと思います。
教育勅語、又我が参議院は同一の精神に基きまして、教育勅語廃棄の決議案というものを満場一致を以てこれを通過せしめているのでありますが、そういうような考え、私はその中へ連関性あるものとして、やはり君が代の国歌をも入れて考えるのでありますが、そういうような私の午前申しげましたごとく、それは日本の神道の考えと、そうして明治憲法の模倣の基本をなしたところのプロシヤの考え方、即ちビスマルク、モルトケの時代のドイツ国家正義