2021-04-12 第204回国会 参議院 決算委員会 第3号
長い伝統を持つ我が国にとって、自分の国という国家意識、我が国を守り抜くという国民の意思があればこそ今日があるわけだと思っております。国民の国家意識の醸成、外交、防衛への理解というのは必要不可欠であります。
長い伝統を持つ我が国にとって、自分の国という国家意識、我が国を守り抜くという国民の意思があればこそ今日があるわけだと思っております。国民の国家意識の醸成、外交、防衛への理解というのは必要不可欠であります。
私は、国家意識の欠如だと思っています。戦後、国家は悪だとして国家という言葉自体すら忌避する傾向が続き、その潜在的な影響は計り知れないと感じています。それで、私は、自分の国という国家意識を国民全体で共有すべく、我が国は長い歴史と伝統文化を有し、かけがえのない存在であるという認識の醸成に取り組んでまいりました。
昔だったら、藤原家に乗っ取られるおそれがあるとかそういったこともあったと思いますし、また、これに関連づけて言えば、日本の精神的な帰属意識、アイデンティティーそのものでもございまして、多分、一番日本が歴史の中で国家意識が明確になったときは蒙古襲来の後だというふうに思っておりますが、その後に北畠親房さんが「神皇正統記」という本を著しておりまして、この中にも、大日本は神国なりという文章で始まっておりますけれども
しかし、本質的に国家を支えているというものは、先ほど百地先生がおっしゃっているように、突き詰めれば私たち個々人の国家観や国家意識の醸成であって、それは個人の生命や時間軸を超えて継続する国家という集合体に対する歴史性の自覚に裏付けられたものだと私は思っております。国家とは常に特定の歴史性と文化性を背負った共同体なのであって、まさにそれから国民としての自由の気概が生まれてくると思っております。
また、特に冷戦後誕生した国々の中には、むしろ歴史を引き裂かれたり歴史を失った国が多いから、だからあえて憲法の中に、前文にその国の歴史とか伝統をうたうことによって国家意識を醸成しようとする、あるいは愛国心というものを確立しようという、そういう意識が高いだろうと思います。
先ほど冒頭に申しました、国家意識を考える上で、歴史というものをやはり子供に認識してもらう、日本の歴史というものに対して興味を持ってもらう、その先にはプライドを持ってもらうということがあるかと思うんですが、まずここでは、歴史に対する興味というものをやはり涵養するべきであるというふうに私は考えております。
そういう意味で、ぜひ心のノートというのをちょっとごらんになっていただきたいと思うんですが、特定の価値観とか国家意識がどこに、そこに記述されているのか。ある意味では、人が人として当たり前に生きていくための学ぶべき規範意識やルールというか、あるいは心の気づきは書かれていると思いますが、委員が危惧されるようなところがどこにあるのか。
国家意識のない方が危機管理の担当であり拉致問題の担当であるということは、国民にとって大変不安の多いことでございます。 官房長官は、国家を預かる政府首脳として、国民の生命、財産と領土、領海を守る、日本の国益を守ることを明言していただけますでしょうか。
たまたま今、セクター論といいましょうか、事業形態論からいくと、まさに競争をしている民間事業者というセクターに分類はされるわけですけれども、志、それから職員の士気、そして国家意識、義務意識、一秒たりとも電気エネルギーを毀損することがないようにという気概でやっておられると思います。 それと比べると、従来の、今までのメディアのアセスメントに関する取り扱いというのは、必要悪ですよ。最高でも必要悪ですね。
それでも、しかもなおかつ、競争環境にある民間事業者として、このSEAの手続がもし強制されても、いわば国益、国家意識を持って公益事業をやっていらっしゃる、電気を供給されている事業者として、国家に御協力をしましょうという覚悟でいろいろ御答弁いただいたわけでございます。
そういう状況の中で、一方で、ある種、車の両輪というべき経済、あるいは私はほどほどの国家意識、ほどほどの軍事力という言い方をよくするんですけれども、そういうものを背景にしていかなくちゃいけない。二つの側面があるのに、今外交という分野で大変に日本が脅かされているという側面が正直あると思うんですね。
一人一人の国家意識を芽生えさせて、まさに今大臣おっしゃいました、一社一社の企業が地球環境への意識を芽生えさせて、そして一人一人、私たち住宅に住んでいる者一人一人が国家に貢献するんだ、地球環境に貢献するんだという意識を持つ。だけれども、それを持ってねと言うだけじゃ国民運動にならないんですね。 今回の法律にもそれらしきことはさらっと書いてあるけれども、核心には触れていないんです。
ですから、私はやっぱりこういう時期に何か国家意識が希薄な、国家観がないと、私は総理がそういう意図ではなかったんじゃないかと思うんですけれども、そういうふうに思うような、こういう発言を私は今後気を付けていただきたいと思います。 この中で、憲法十五条の一項で参政権、これはだれが持っているんですか、我が国は。
敗戦を契機に我が国民は何事に対しても自信を失い、国家意識はもちろん、愛国心を口にすることはおろか、これをタブーとし、賤民意識のとりこにさえなったって書いてあるんですよ。 私、この賤民という言葉にちょっとえっという感じがしまして、広辞苑で調べてみたんですね、賤民って。これ読みますと、卑しい身分とされた人。一般民衆より低い身分として制度的に差別を受ける人々。一種の差別用語だと言えなくもない。
まず、国家意識をつくっていないんです。だって、国歌斉唱反対ですからね。国家を悪いものだと教えている、国家権力は君たちを抑圧すると。じゃなくて、国家というのは君たちを守るという、そのためにその方向性を君たちが担うんだというようなことをちゃんと指導してくれればいいんですけれどもね、昔の松下村塾みたいな形でですね。そういうことならいいんだけれども、今の段階では無理ですね。
そればかりか、かつての教員組合のイデオロギーのもとで贖罪国家意識を植えつけられてきたせいか、いわゆる敗戦のトラウマによって祖国日本への愛情を抱くことさえできず、こんな国に生まれなければよかった、そう言って嘆く子供たちが毎年毎年どんどん増殖している現実に、悲しみを通り越して恐怖さえ感じています。
国の制度という以前の国民意識とか国家意識とか、そのレベルの話なんですよ。 植民地から独立した国が非常に多いということを先ほど申し上げましたけれども、その中では、例えばアフリカなんか、あるいは中東もそうですけれども、部族とか宗派とかにみんなこう分かれたような社会で、国民意識というのは、ないことはないんですけれども、ワン・オブ・ゼムなんですね、自分たちのアイデンティティーの中の。
で、具体的にそれがどういうふうに、先ほどイスラム社会の難しい点をお話しいただきましたけれども、部族のそういった国家意識のない、部族意識だけの国の中ではどういったことが問題になるのか。民主化とか自由主義化が導入できない、どういうところがネックになっているのか、ちょっと教えていただきたいというふうに思っております。
現在の子供たちの状況は、大人による子供への支配強化や伝統・文化の押し付け、国家意識の高揚などで乗り切れる事態ではありませんし、やってはいけないことです。
これは国のどこの地域に住んでいても平等ということでありますから、当時の国民は非常に驚きとともに歓喜したことと思いますし、また国民の国家意識も非常に高揚したと思います。私は、このように、維新当時の指導者は世界に目を置き、全国の統一、近代化のために、常に全体知に立って英断されてきたことに深く頭が下がります。
なぜそうなったかは本日の主題ではございませんので、ここでは深く立ち入りませんけれども、一口に言えば、普遍的な理念と制度を日本に植えつけるのに熱心な余り、国家意識や日本の伝統的な価値観は二の次に置かれたためであると申せましょう。 憲法の前文は憲法の顔であります。お配りした資料に若干の国の憲法前文の例を挙げておきました。
根本には、やはりいい意味での国家意識というものがなければいけない。 現在の憲法前文を見ると、国家意識にかかわるようなところはほとんど欠如していると思うんですね。だから、これはやはり問題だと思いますし、国家が基本であるというお考えに私は全く同意見でございます。
アメリカのように人工的に作った国家というのは、国のために国のために国のためにということを意識的にやっていかなければ国家意識というのができなかった。でも、日本の場合にはそれがなくてもふわふわっとした国家というものの意識があったので、それが逆に言えば防衛意識というものに、やや欠けると言ってはいけませんけれども、乏しいような面はあったのだと思います。
中華民国においては、国家意識ということが書かれている。
総裁、ぜひしっかり国家意識を持ってやってもらいたい。 次に移ります。 次、資料をお配りしていると思いますが、総裁は九八年の三月末に就任されまして、五年の任期、来年の三月ということでありますが、四年半近くたちました。
きょう何かやるらしいけれども、日本銀行さんは、独立性、見識、日本人としての誇り、国家意識、しっかり発揮して、さっさと整理するように政府と一緒に働きかけたらどうですか。その気はありませんか。