1967-12-20 第57回国会 参議院 建設委員会 第2号
どうかひとつ、国家公務員——事実非常勤職員でも国家公務員に間違いないのですから、身分の安定と、さらに国家奉仕の気持ちを起こさせるように、ひとつ善政をしいていただきたいと思います。これで質問を終わります。 —————————————
どうかひとつ、国家公務員——事実非常勤職員でも国家公務員に間違いないのですから、身分の安定と、さらに国家奉仕の気持ちを起こさせるように、ひとつ善政をしいていただきたいと思います。これで質問を終わります。 —————————————
初め公務員となった者と、最初満鉄等に入って後に公務員になった者、これはあたかも全く人種が違って、人間の値打ちがもう完全に違うのだと、初め公務員になった人はもうきわめて優秀であって、国家奉仕のために尽くされたので、後に公務員になった人は全くこれとは逆であってとるに足らぬと、こういうような、極端にいうとこういうことになるわけです。これはまあ驚くべき時代錯誤の論説と指摘せざるを得ないわけです。
もちろん私が申し上げるまでもなく、戦前の教育というものは、極端な国家奉仕の全体主義の立場から強制したものであることは、文相のよく御存じのところでございます。しかし民主主義の新憲法下においては、そういう教育であってはならない。国家の手による国家のための統制された絶対主義的な教育なんというものは、これはもう弊履のごとく捨て去られておる。
ただ、恩給法やあるいは戦没者遺家族のように、直接最初から国に奉仕をするということを目的として、国家奉仕の行動を行うということを最初からの目的にしたものと、遺家族援護と留守家族援護というものは多少違うのではないかというふうに考えまするけれども、この点は御指摘もありましたので、十分考慮はいたしてゆきます。
賄賂ということは自分が公務員として職務権限を持つておつて、公務員としては当然国家奉仕のためにやらなければならない。それにもかかわらず何らかの利益を得る、こういうことが国家公益のために非常に悪いということであろうとは考えますが、この点ひとつこの機会に明瞭にしていただきたいと思います。
国民全体が非常に社会奉仕、国家奉仕という希望に燃えておるというところに、あの貧弱な資材を持ち、貧弱な技術を持つておりながら、人間の力というものを極度に利用して、あれほど偉大な建設事業をやつているわけです。極めてきれいな、極めて偉大な建設事業をどんどんやつているわけです。隣ではそういうことをやつている。日本ではこういうスキヤンダルだらけだ。
かかる献身的国家奉仕者に対しては、老後、死後において、十分に本人並びに遺族の生活を保障することが恩給制度の本旨であり、国家としての当然の責務であると考えます。
そこで私は秋山総裁にお聞きしたいのですが、こういうふうに機構を改革したり、あるいはまた公社の職員の国家奉仕の観念を旺盛にする、こういう措置がなされ、当然民営と同じような効果が上げられるとすれば、いまだ協議会の結論も出ていない、あるいは議会の結論の出ておらない現在としては、秋山総裁として、現在の販売制度を改革することによつて同じような効果を上げ得るという確信を、当然持つておるはずであります。
こういうようにどつちかというとあなた方の今言うた九社以外の小さい石炭屋たちが寄つて協同組合をつくつて、それで国家奉仕のサービスをするならばいいけれど、大口ばかりで協同組合をつくつてしまつて、売手と買手とやる。これは何といつても、大阪石炭協同組合でおどつたのはあなたである。小澤君はおどらされたのである。これは明日調べるからわかる。
そういう金であるのに、何十億という金を大阪でいいかげんなことをしてしもうておいて、石炭も返す意思はない、もうけたやつも何とか国家奉仕しようという気もない。いわんや解散されるような協同組合でやつておつた金も返す意思はない。ここに至つては、私どもとしてはおそらく大きな決心をしなくちやならぬ。もつと考えていただかぬと、私は告発を要求しなければならぬと思う。
しからば、組合が国家奉仕のためにやるのだというなら、一例を申し上げると、たとえば、熊野炭田でとれたところの無煙炭が、和歌山県の日高郡の由良港に五千何百トン貯炭されておつた。これを七百何十トン和歌山の扶桑金属、元の住友金属工業に対して二千二百円で売つているが、これに対してあえて利益を得ておらぬということが言えるかどうか、それを伺いたい。