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97件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2013-04-15 第183回国会 衆議院 予算委員会第八分科会 第2号

御指摘のとおり、国幹会議設置根拠でございました国土開発幹線自動車道建設法につきましては、平成二十二年三月に廃止法案国会に提出いたしましたが、同年十二月に廃案となったところでございます。  したがいまして、現在、高速道路整備プロセスにつきましては、一つ計画段階評価というプロセスをとっております。もう一つ新規事業評価

前川秀和

2008-05-23 第169回国会 衆議院 国土交通委員会 第18号

冬柴国務大臣 それは、国幹審議会等でいろいろな手続を経て、国土開発幹線自動車道建設法という法律をつくって、その道路名前起終点も決め、そしてそれを一般に法律改正までしているわけですから、そういう手続を踏んで決められておりますし、その過程においていろいろな手続があったんだろうと思います。  

冬柴鐵三

2008-03-18 第169回国会 参議院 予算委員会 第10号

しかも、もう随分古い話だと言われますけれども、国土開発幹線自動車道建設法というのは六十二年に改正されて、その中で、これからこういう道路を造っていきましょうということで法律をちゃんと決めているんですね。それが、この名前道路名前から起終点まで定められたその中には、もちろん山陰自動車道もあれば東九州自動車道もあれば日本海沿岸東北自動車道もあるわけですが、今それらがどうなっているか。

冬柴鐵三

2008-03-12 第169回国会 衆議院 国土交通委員会 第7号

冬柴国務大臣 いつも言いますけれども、六十二年の閣議決定を受けて、国土開発幹線自動車道建設法とか、あるいは同日の天野建設大臣告示という形で一万四千キロというものが、名前とか、そしてまたそれの起終点が明らかにされました。当然その地域の人にはそれがいつできるんだろうという強い期待がそこに生じているわけで、それ以来もう二十年以上の歳月が流れてしまいました。  

冬柴鐵三

2008-02-29 第169回国会 衆議院 国土交通委員会 第6号

したがいまして、先ほどるる私は申し上げましたように、道路を敷設するに当たりましては、例えば、二十一世紀のグランドプランとかあるいは道路整備に関する閣議決定というようなことで、予定路線、大きくそういうものが決められ、例えば、昭和六十二年六月には閣議決定したものを受けて国土開発幹線自動車道建設法というものがきちっと改正されまして、そこには、北海道から九州あるいは沖縄まで、道路名前起終点まで定めて、こういうものをつくっていこうという

冬柴鐵三

2008-02-29 第169回国会 衆議院 国土交通委員会 第6号

それらの整備が始まった後、昭和四十一年に国土開発幹線自動車道建設法制定されまして、全国七千六百キロのネットワークがこのときに決まりました。この考え方は、地方開発の中心となる都市などを相互に連絡するものであること、二つ目全国都市農村地区からおおむね二時間以内で到達し得るものであることなどとの考え方に基づき制定をされました。

宮田年耕

2008-02-22 第169回国会 衆議院 国土交通委員会 第3号

一万四千キロ、それをどこまでつくるんだということが非常に多く語られるわけでございますけれども、昭和六十二年六月の閣議決定に基づきつくられた国土開発幹線自動車道建設法別表には、きちっと道路名前も書かれ、起終点も書かれてあります。地方の方は、それがいつできるかは別として、予定路線として位置づけられたことに大変な勇気を持ち続けて、この二十年来ていらっしゃるわけでございます。  

冬柴鐵三

2008-02-21 第169回国会 衆議院 予算委員会 第12号

この路線は、昭和四十一年制定国土開発幹線自動車道建設法別表の中で、七千六百キロの中に、予定路線に位置づけられた路線でございます。  しかしながら、今言われました東九州道及び九州横断道延岡線というものは、昭和六十二年、すなわち四十一年から随分おくれたわけですが、六十二年の国土開発幹線自動車道建設法改正に伴いまして、一万四千キロの中に決められたわけであります。

冬柴鐵三

2008-02-07 第169回国会 衆議院 予算委員会 第4号

そしてそれは、委員もおっしゃいましたように、閣議決定をし、そして一部は、国土開発幹線自動車道建設法という法律に、きちっと別表に書かれているわけでございます。したがいまして、それには道路名前から起終点も明らかにされておりますので、地方もそれを期待して、私の方を早くしてくれという陳情があるということでございます。

冬柴鐵三

2008-01-28 第169回国会 衆議院 予算委員会 第2号

それから、昭和六十二年でございますが、国土開発幹線自動車道建設法というものができまして、大臣告示とともに、一万四千キロにわたって自動車国道というものをつくるという予定路線というものを示されているわけですが、現在まででまだ六七%しかできておりません。したがいまして、これをこの十年間の間に何とかその姿を見せたい。  そして、その道路整備状況がぶつぶつ切れているんですね。

冬柴鐵三

2007-04-10 第166回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第2号

例えばこれは、昭和三十二年に国土開発幹線自動車道建設法というものが定められまして、そしてそれが、昭和六十二年に道路審議会等の答申を受けて閣議決定がされた。そのときには、将来、一万四千キロの高規格幹線道路網整備するということが六十二年の閣議決定で決められているわけでございます。

冬柴鐵三

2004-05-18 第159回国会 参議院 国土交通委員会 第16号

まず、今申し上げたように、二十七年に道路整備特別措置法、三十一年の特措法で日本道路公団ができたんですが、四十七年の料金プール制、それから昭和六十二年の国土開発幹線自動車道建設法改正による予定路線一万一千五百二十キロ、うち整備計画が有名な九三四二、それから供用、建設中九千六十四キロ。この中で初めて二十五年とされた料金徴収期間の約束は全く守れなくて、無料開放は次々に先延ばしされてきたわけですね。

北澤俊美

2004-04-21 第159回国会 衆議院 国土交通委員会 第16号

これは一万一千五百二十キロ、しかし、よく考えてみますと、これは一九八七年にいわゆる国土開発幹線自動車道建設法というものが制定されまして、これは与野党全会一致で一万一千五百二十キロをつくるという法律をつくりまして、この法律に基づいて今この計画が進められてきているはずのものであります。

江藤拓