2013-04-15 第183回国会 衆議院 予算委員会第八分科会 第2号
御指摘のとおり、国幹会議の設置根拠でございました国土開発幹線自動車道建設法につきましては、平成二十二年三月に廃止法案を国会に提出いたしましたが、同年十二月に廃案となったところでございます。 したがいまして、現在、高速道路整備のプロセスにつきましては、一つは計画段階評価というプロセスをとっております。もう一つは新規事業評価。
御指摘のとおり、国幹会議の設置根拠でございました国土開発幹線自動車道建設法につきましては、平成二十二年三月に廃止法案を国会に提出いたしましたが、同年十二月に廃案となったところでございます。 したがいまして、現在、高速道路整備のプロセスにつきましては、一つは計画段階評価というプロセスをとっております。もう一つは新規事業評価。
国幹会議の設置根拠であります国土開発幹線自動車道建設法につきましては、お話ございましたように、平成二十二年の三月に廃止法案を国会に提出いたしましたが、同法案は、同じ年の平成二十二年十二月に廃案となっております。
次に、国土開発幹線自動車道建設法の廃止についてお伺いをいたします。 これまでは、国土開発幹線自動車道建設会議、いわゆる国幹会議において、国会議員も委員として参加し、学識経験者とともに、高速道路の基本計画、整備計画についての審議を行ってまいりました。
第四に、国土開発幹線自動車道建設法を廃止することとしております。 そのほか、これらに関連いたしまして、所要の規定の整備を行うこととしております。 以上が、高速自動車国道法及び道路整備事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律の一部を改正する等の法律案の趣旨でございます。
○冬柴国務大臣 それは、国幹審議会等でいろいろな手続を経て、国土開発幹線自動車道建設法という法律をつくって、その道路の名前、起終点も決め、そしてそれを一般に法律改正までしているわけですから、そういう手続を踏んで決められておりますし、その過程においていろいろな手続があったんだろうと思います。
しかも、もう随分古い話だと言われますけれども、国土開発幹線自動車道建設法というのは六十二年に改正されて、その中で、これからこういう道路を造っていきましょうということで法律をちゃんと決めているんですね。それが、この名前、道路の名前から起終点まで定められたその中には、もちろん山陰自動車道もあれば東九州自動車道もあれば日本海沿岸東北自動車道もあるわけですが、今それらがどうなっているか。
○冬柴国務大臣 いつも言いますけれども、六十二年の閣議決定を受けて、国土開発幹線自動車道建設法とか、あるいは同日の天野建設大臣告示という形で一万四千キロというものが、名前とか、そしてまたそれの起終点が明らかにされました。当然その地域の人にはそれがいつできるんだろうという強い期待がそこに生じているわけで、それ以来もう二十年以上の歳月が流れてしまいました。
したがいまして、先ほどるる私は申し上げましたように、道路を敷設するに当たりましては、例えば、二十一世紀のグランドプランとかあるいは道路整備に関する閣議決定というようなことで、予定路線、大きくそういうものが決められ、例えば、昭和六十二年六月には閣議決定したものを受けて国土開発幹線自動車道建設法というものがきちっと改正されまして、そこには、北海道から九州あるいは沖縄まで、道路の名前、起終点まで定めて、こういうものをつくっていこうという
それらの整備が始まった後、昭和四十一年に国土開発幹線自動車道建設法が制定されまして、全国七千六百キロのネットワークがこのときに決まりました。この考え方は、地方開発の中心となる都市などを相互に連絡するものであること、二つ目は全国の都市、農村地区からおおむね二時間以内で到達し得るものであることなどとの考え方に基づき制定をされました。
一万四千キロ、それをどこまでつくるんだということが非常に多く語られるわけでございますけれども、昭和六十二年六月の閣議決定に基づきつくられた国土開発幹線自動車道建設法の別表には、きちっと道路の名前も書かれ、起終点も書かれてあります。地方の方は、それがいつできるかは別として、予定路線として位置づけられたことに大変な勇気を持ち続けて、この二十年来ていらっしゃるわけでございます。
従来、高規格幹線道路のうち、いわゆる高速自動車国道と言われている一万一千五百二十キロ、これについては、国土開発幹線自動車道建設法に基づいて国幹会議の議を経て決めるということになっているわけです。
この路線は、昭和四十一年制定の国土開発幹線自動車道建設法の別表の中で、七千六百キロの中に、予定路線に位置づけられた路線でございます。 しかしながら、今言われました東九州道及び九州横断道延岡線というものは、昭和六十二年、すなわち四十一年から随分おくれたわけですが、六十二年の国土開発幹線自動車道建設法の改正に伴いまして、一万四千キロの中に決められたわけであります。
それに基づきまして国土開発幹線自動車道建設法というものが改正されまして、そして……(松本(剛)委員「中身はわかっていますから」と呼ぶ)ですから、その後それを、確かに総理大臣の発言は重いですよ。
○冬柴国務大臣 高速自動車国道につきましては、先ほど、冒頭岡田委員からおっしゃいましたように、国土開発幹線自動車道建設法というものの中で決められているわけですね。そのときに当然議論されている、国会で議論されて可決されたわけであります。それが今残っているわけでございます。
そして、そのうちの一万一千五百二十キロにつきましては、当時、国土開発幹線自動車道建設法の別表を改正いたしまして、その道路の名前及び起終点も明らかにして、そう整備するということが決定されました。
そしてそれは、委員もおっしゃいましたように、閣議決定をし、そして一部は、国土開発幹線自動車道建設法という法律に、きちっと別表に書かれているわけでございます。したがいまして、それには道路の名前から起終点も明らかにされておりますので、地方もそれを期待して、私の方を早くしてくれという陳情があるということでございます。
そして、そのうち、先ほど言いました高速自動車国道一万一千五百二十キロにつきましては、国土開発幹線自動車道建設法という法律を一部改正しまして、その別表の中に詳細に始終点とかですね、ものが定められているものでございます。
それから、昭和六十二年でございますが、国土開発幹線自動車道建設法というものができまして、大臣告示とともに、一万四千キロにわたって自動車国道というものをつくるという予定路線というものを示されているわけですが、現在まででまだ六七%しかできておりません。したがいまして、これをこの十年間の間に何とかその姿を見せたい。 そして、その道路整備状況がぶつぶつ切れているんですね。
例えばこれは、昭和三十二年に国土開発幹線自動車道建設法というものが定められまして、そしてそれが、昭和六十二年に道路審議会等の答申を受けて閣議決定がされた。そのときには、将来、一万四千キロの高規格幹線道路網を整備するということが六十二年の閣議決定で決められているわけでございます。
その必要性はまた後でやりますが、外環道は、国土開発幹線自動車道建設法の予定路線にまだすぎない段階です。完成期日どころか、建設を開始すべき路線かどうかも正式には決定をされていない。しかも、この整備というのは、国の責任においてというふうに法律上されているわけであります。
まず、今申し上げたように、二十七年に道路整備特別措置法、三十一年の特措法で日本道路公団ができたんですが、四十七年の料金プール制、それから昭和六十二年の国土開発幹線自動車道建設法改正による予定路線一万一千五百二十キロ、うち整備計画が有名な九三四二、それから供用、建設中九千六十四キロ。この中で初めて二十五年とされた料金徴収期間の約束は全く守れなくて、無料開放は次々に先延ばしされてきたわけですね。
これは一万一千五百二十キロ、しかし、よく考えてみますと、これは一九八七年にいわゆる国土開発幹線自動車道建設法というものが制定されまして、これは与野党全会一致で一万一千五百二十キロをつくるという法律をつくりまして、この法律に基づいて今この計画が進められてきているはずのものであります。
これは自民党も民主党も含めて、民主党は当時ありませんでしたが、一九八七年の国土開発幹線自動車道建設法というので、全会一致で一一五二〇という予定路線をやる、こうなっているわけですから、僕はこれの決定をやり直すべきだと思います。