1951-03-06 第10回国会 参議院 水産・外務連合委員会 第1号
○千田正君 只今国営上海水産公司から山本証人以下五十四名送つた写しが来ておりますが、この内容を読んで見るというと、この船は山本徳男等五十四人の所有にかかる、加藤軍政委員会水産管理局長はこの旨を附随して、この船を日本に帰るまで給水その他の方法を以て、この日本の漁民五十四人を帰す、そうして今後の生活の一助としてこれを贈るということを書いてありますが、この国営水産公司というものは、日本で例えていえばどういうような
○千田正君 只今国営上海水産公司から山本証人以下五十四名送つた写しが来ておりますが、この内容を読んで見るというと、この船は山本徳男等五十四人の所有にかかる、加藤軍政委員会水産管理局長はこの旨を附随して、この船を日本に帰るまで給水その他の方法を以て、この日本の漁民五十四人を帰す、そうして今後の生活の一助としてこれを贈るということを書いてありますが、この国営水産公司というものは、日本で例えていえばどういうような
○証人(山本徳男君) その国営上海水産公司は、自分が思つたところではやはり政府が、中共というものは働労者を單位にしておるものでありまして、その働労者に働かすために国がそれを支持して、これで働労者に働かしてくれるのではないかと思つております。一つの会社でなくしてその何によつて水産管理局のほうも海員のほうも部が入つておると感じたわけであります。
○証人(山本徳男君) この監視船は、やはり国営上海水産公司が使用しておるものであつて、やはり軍のほうの命令があればそれに従うものではないかと思うのであります。或る程度その辺として持つておると思います。
それから上海に向けて出発して、同日午後二時に国営上海水産公司の阜頭に横づけされ、船員一同陸に揚げられてその会社より約十二、三町離れたところに收容されました。そしてそこで兵隊が二名ずつ歩哨に立つて、自分たちは監禁されておりました。それから二、三日後に、その水産公司の社長らしい人に呼び出されて、十七、八くらいの娘が通訳に入つて、いろいろ事情を聞かされました。
「食事は朝は白米のカユ晝晩は白米の飯で量に制限なく一日大本の煙草と洗濯石鹸少量の配給あり作業も共産教育もされなかつた」 「一月八日海軍司令から日本帰還を全員に言渡され海軍と水産公司による送別会が催されたがその席上海軍司令より「上海水産公司の船を一隻君等に贈呈するが、これは君等五十四名の船であるから日本に帰つた後適当に処分して君等の生活の一助にし資本家にやる必要はない」といつて中共国営上海水産公司の