2008-05-28 第169回国会 参議院 国際・地球温暖化問題に関する調査会 第11号
この河野広中は、結果的には板垣退助共々、薩長閥を中心とした政府に大変ひどい、日本的にも、重税を課せられると、なかなか意見が通らないと、こういったことがあり、国会開設運動につながるのは、国会の開設運動の原点をつくったということで自由民権運動は評価されるわけですが、その河野広中は、最終的に何をもって彼は自分のことを伝えようとしたかというのは、印刷道具です。
この河野広中は、結果的には板垣退助共々、薩長閥を中心とした政府に大変ひどい、日本的にも、重税を課せられると、なかなか意見が通らないと、こういったことがあり、国会開設運動につながるのは、国会の開設運動の原点をつくったということで自由民権運動は評価されるわけですが、その河野広中は、最終的に何をもって彼は自分のことを伝えようとしたかというのは、印刷道具です。
これは要するに明治のですね、要するに、この国会開設運動などから見ましても、やっぱり代議制を日本の民主主義の原点にしているだろうと思うわけでございます。したがって、代議制を通じた民主主義というのが私は日本の民主主義の基本ではないかと思うわけでございまして、そういう意味でこの国民投票制度を考えなければならない。 そうしますと、私、日本における国民投票制度といいますのは、一つは憲法改正でございますね。
しかし、おじいさんのときから調べてみると、国会開設運動を起こした大隈重信、それに随伴しておるですな。けさの朝日新聞を見ると、憲政記念館の三先覚に参ったのが国会議員で十四人だ。ばかなことですな。私は前の日にも見ておる。
それは国会開設運動です。その第一回国会が召集される前にこの教育勅語が出されたのです。それ以来国会は、この教育勅語のために、まさに勅令という形態のために、教育について多くのことを語ることができないような状態がつくられていったその過程というものも知らなければなりません。徳目といえばたくさんあるわけです。そして多くの人たちが言っているわけです。それが教育勅語という発想になってくるところに問題がある。