2018-04-12 第196回国会 参議院 法務委員会 第8号
そういったことも、十四日、今度の土曜日ですけれども、午後二時から今度は国会正門前で最大規模の抗議行動が行われる予定になっておりますので、警察の方も、過剰な警備をすることなく、事故が起こらないような更なる体制を取っていただきたいということをまずお願いをしておきたいというふうに思います。
そういったことも、十四日、今度の土曜日ですけれども、午後二時から今度は国会正門前で最大規模の抗議行動が行われる予定になっておりますので、警察の方も、過剰な警備をすることなく、事故が起こらないような更なる体制を取っていただきたいということをまずお願いをしておきたいというふうに思います。
毎月十九日に、草の根で廃止を求める行動、九月十九日には国会正門前と全国各地で数万人が、安保法制の発動を許さずに廃止を求めて行動いたしました。
SEALDsKANSAIの学生、寺田ともかさんは、十二万人が集まった八月三十日の国会正門前の集会でこう訴えました。今この法案を許すことは、私にとって自分の責任が取れないことを許すということです。それだけは絶対にできません。私はこの国の主権者であり、この国の進む道に責任を負っている人間の一人だからです。七十年前、原爆で、空襲で、ガマの中で、あるいは遠い国で餓死し……
さきの八月三十日の日曜日、戦争法案廃案、安倍政権退陣、国会十万人、全国百万人大行動が行われ、私も国会正門前で参加をいたしました。人々の怒りが世代を超えて重なり合い、文字どおり国会は包囲され、埋め尽くされました。 菅官房長官は大きな誤解が生じていることは極めて遺憾などと述べましたけれども、それが、それこそ大きな誤解であります。
この国会正門前にも、毎週金曜日、夜七時半から九時半ぐらいまで、SEALDs、自由と民主主義のための学生緊急行動という、今非常に注目されている学生たちが安保法案反対の声を上げております。 その彼らに対して、非常にゆゆしき問題が今特にネット上で広がっております。
九月八日、先生の御遺体は、生涯をかけて激しく戦ってこられた永田町を一めぐりし、国会正門にて多くの同僚議員に見送られながら、南アルプスを赤く染める夕日に誘われるように、愛するふるさと・遠山郷に帰っていかれました。今ごろは、先生を支え続けて先立たれた満子夫人に再会し、遠山川を見おろす段々畑に二人で腰をおろして、夫人の御苦労をねぎらい、積もる話をなさっておられることでありましょう。
私がその日の朝、病院に駆けつけましたときは、先生の御遺体を乗せたひつぎが、国会正門前を通過して自宅に帰るため、病院の門を出発した直後でありました。私はそれを見送りながら、輝ける大器安倍先生の御霊の安らかなことを祈ったのであります。 ここに、私は、諸君の御同意を得まして、議員一同を代表し、謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと思います。
その後、午後十時ごろになりまして、学生たちが、国会正門の内側でさらに大会を開ごう、こういうことを叫びながら、包囲していた警察部隊に突っ込んできたのであります。そうして正門方向に移動をしようとしましたので、これを警察部隊が制止し、そこで徐々にこれを、負傷者等もここに出ておりますが、南通用門方向に制圧しまして構外に出した、こういうような状況になっておるのであります。
それが国会正門の方に、たくさんのデモ隊とすれ違いに行進していったあとに、今の右翼といわれる行動隊の諸君が、大ざっぱに見て百名内外でありましょうか、隊列をなして出てきた。手に手にこれくらいの真新しい棒を持っておる。その棒の先は四角になっておる。それに小さいプラカードをくっつけて、いつでも何かしらなぐられるような体裁をしておる。
これは国会正門から規制されました約二百名の学生たちが、三宅坂と半蔵門の両巡査派出所に次々と襲撃をかけております。そうして投石を行なうなどの暴行を続けておりましたので、機動隊が出動いたしましてこれを解散させた直後におきまして、機動隊員が三宅坂交差点付近を通行中に、国会の方向からやってきましためがねをかけた男の人が、近づいてきまして、いきなり特殊なアクセントで「人殺し」というような悪罵を浴びせてきた。
○柏村説明員 六・一五事件と申しますと、例の南通用門における侵入事件、死傷事件というようなことを中心とした問題と理解してよろしいかと思いますが、当日は、すでに全学連の主流派におきましては、どうしても国会構内に入って、そして集会を開くという決意を持っていたようでありまして、午後一時ごろから国会正門前に集結を開始いたしまして、午後三時半ごろには約七千五百名となって正門前で集会を開いておるわけでありますが
国会正門のところは、御承知のように、車も通れないような状態でございますから、あれは直接でなくても、間接的には登院を妨害されておったと考えます。
○鍛冶委員 私らの聞いておるところでは、チャペル・センター前で集会をやっておるとき、警官はトラックを並べて、デモが国会正門へ押し寄せないように警備をしておったと聞いておる。
私は、そういう経験を持っておりまするからして、あなたに、いわゆるほんとうに数というものは、数と数との対抗であり、しかも現在の武装では、これはどの辺に置くかということは十分にお考えを願いたいという意味で質問いたしましたのですから、数の問題は、私は、あなたのお考えをこれ以上はお聞きいたしませんが、最後に申し上げたいことは、先ほどあなたは、あのチャペル・センターのところからいわゆる国会正門に闖入の問題について
、あるいは助けてくれというような声に対して、これ以上押えては死傷者が一そう出るというような状況でありましたところを、ついに先頭の者が制止線を突破して参りまして、これを無理に押えると、そういうような死傷者が出るという非常に悲惨な事態になるというような状況もうかがわれたのでありますが、この出てきたものを人事院の方向に流そうということで努力をし、一たんはその方向に流れかかったのでありますが、これが再び国会正門
そのデモ隊が一時人事院方向に規制されつつあったのでありまするが、片一方における負傷者の救出、さらにその面からの他のデモ隊の制止の突破というようなことが重なりまして、人事院の方向に規制されつつあったデモ隊が国会正門に殺到してくる、こういうような状況であったのであります。そして国会正門の警備につきましては、これは、理事会でも申し上げたと思いまするが、相当数の警察官をここに用意しておったのであります。
げましたように、そのような場合もあり得るということで、チャペル・センター前あるいは総理官邸、第二議員会館の方面の警察官が懸命に制止をいたしておったのでありまするが、チャペル・センター前において、先ほど申し上げましたように、一部からついに突破されまして、これを人事院の方向に極力流そうということで努力をいたしたのでありますが、非常な勢いでデモって参りまして、ついに警察官の制止線をさらに破られまして、国会正門
それからもう少し詳細に申し上げますと、チャペル・センターのところから強引に突破して来ましたデモ隊、これを防ぐ意味で、国会正門の前にも警察官を相当数配置してかまえておったのでありますが、総理官邸方面、第二議員会館方面、その方のデモ隊の力も非常に強い状況でありまして、さらにあの地下鉄からどうしても湧いてくるのであります。
○説明員(小倉謙君) 国会正門から残念ながらデモ隊に侵入されたわけでありまするが、決してこれは警察官が決然たる決意なくして警備に当たっておったわけではもちろんないのであります。先ほど申し上げましたように、チャペル・センター前、国会正門前において百数十名の重傷者、負傷者を出しておるのであります。非常に全学連及びその他の若い者たちの行動が激しかった、激烈である。
すなわち、チャペル・センター前には九百七十名、国会正門前に七百四十五名、国会外周に千七十二名、人事院付近に千四百十八名、特許庁付近に千百七名、総人員五千七百五十五名という警察官を配置をいたしたわけでございます。このほかに、方面警察隊約三千というものを編成して、第二次的な部隊として確保しておいたわけでございます。
ちょうどそのころ総理公邸あるいは衆議院第二議員会館付近まで押し寄せてきておりましたデモ隊、これを警察官が制止しておりましたが、さらに地下鉄から約三百名ほどの者が出て参りまして、この出てきた者を総理公邸の方の警察官をもって規制しておったのでありますが、これがチャペル・センター前の状況を見ました影響かどうかと思いまするが、急にここから国会正門の方に向かって出てくる、こういうような状況に相なったのであります
そして国会正門の前には相当数の警察官を配置し、警戒をいたしておった。これも先ほど申し上げた通りでありまするが、この特許庁、人事院方面に集まりました集団がだんだんと阻止線を激しく押し、突破して参りまして、総理公邸あるいは衆議院の第二議員会館の方向に押し寄せてくる。
これに対しまして警察は五千七百五十五名の要員をもちまして警戒をいたしたことは、昨日総監から御答弁になった通りでありますが、その内訳は、チャペル・センター前、ここからここに侵入しないようにということでこの線に配置をいたしましたものが九百七十名、国会正門前、ここに予備として置いておったものが七百四十五名、それから国会の外周、各門等のものを含めまして千七十二名、それから人事院付近に、これがこちらから入ってここに
次に、私が質問いたしたいと思いますことは、チャペル・センターといったような、国会正門にきわめて近い距離で非合法集会が催されるということは、これはどうも初めから国会に乱入しやすい場所をわざわざ計画的に選ばれたんじゃないかというのが一つ。
時たまたまそのころ国会正門前では議員団及び代表者の方が第一陣として入って、第二陣として——その辺がデリケートでありますけれども、門をあけろとか締めるとかいうような交渉があり、何名か入っておった。
国会へ押しかける態勢をとりましたので、それぞれチャペル・センター前と人事院前と特許庁を少し上がったところでこれを阻止する態勢をとったのでありますけれども、何分にも警察官の数が六千名足らず、それに対して二万五千余の動員された集団の力による圧力によってこれを突破しようと試みて参ったわけでございまして、たまたまチャペル・センター前におきまして、淺沼議員を代表といたしまして請願の代表二十名ほどが選ばれて国会正門
なお、先ほど申し上げましたように、この国会正門からどういう形で入ったかということは非常に重要な点であると思いますが、これは私どもの調査では、四時二分ごろ淺沼議員外数名の議員と、それから代表と称する人たちと入られた。それとともに三、四十名の者が一緒に入っておるような状況でございます。
○小倉説明員 国会正門前において代表あるいはいわゆるデモ隊が入りました状況、その概要につきましては午前中申し上げました通りでございますが、要するに時間的に言いますと、午後の四時二分ごろから四分ごろまで一、二分の間のことでありまして、その間に淺沼書記長初め代議士さんと代表と思われる者、さらに若干それに加わって一緒に入った者もあるようでありますが、それが入り終わるか終わらないうちに、同じころにデモ隊が正面
経過しているうちに——淺沼書記長以下三十名が、向かって図書館側の舗道から、警官に道をあけてもらって、案内をされて、これは正式の陳情団だからという了解のもとに、舗道を通って国会正門の前に来て、衆議院の入口から、どうかそういう正式の陳情団だから入れてもらいたい、そういう交渉を院内における衛視とやっておった。