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19件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2018-04-12 第196回国会 参議院 法務委員会 第8号

そういったことも、十四日、今度の土曜日ですけれども、午後二時から今度は国会正門前で最大規模抗議行動が行われる予定になっておりますので、警察の方も、過剰な警備をすることなく、事故が起こらないような更なる体制を取っていただきたいということをまずお願いをしておきたいというふうに思います。  

有田芳生

2015-09-18 第189回国会 参議院 本会議 第43号

SEALDsKANSAIの学生、寺田ともかさんは、十二万人が集まった八月三十日の国会正門前の集会でこう訴えました。今この法案を許すことは、私にとって自分の責任が取れないことを許すということです。それだけは絶対にできません。私はこの国の主権者であり、この国の進む道に責任を負っている人間の一人だからです。七十年前、原爆で、空襲で、ガマの中で、あるいは遠い国で餓死し……

辰巳孝太郎

2015-09-02 第189回国会 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第15号

さきの八月三十日の日曜日、戦争法案廃案安倍政権退陣国会十万人、全国百万人大行動が行われ、私も国会正門前で参加をいたしました。人々の怒りが世代を超えて重なり合い、文字どおり国会は包囲され、埋め尽くされました。  菅官房長官は大きな誤解が生じていることは極めて遺憾などと述べましたけれども、それが、それこそ大きな誤解であります。

仁比聡平

1999-11-10 第146回国会 参議院 本会議 第3号

九月八日、先生の御遺体は、生涯をかけて激しく戦ってこられた永田町を一めぐりし、国会正門にて多くの同僚議員に見送られながら、南アルプスを赤く染める夕日に誘われるように、愛するふるさと・遠山郷に帰っていかれました。今ごろは、先生を支え続けて先立たれた満子夫人に再会し、遠山川を見おろす段々畑に二人で腰をおろして、夫人の御苦労をねぎらい、積もる話をなさっておられることでありましょう。  

村上正邦

1991-08-08 第121回国会 衆議院 本会議 第3号

私がその日の朝、病院に駆けつけましたときは、先生の御遺体を乗せたひつぎが、国会正門前を通過して自宅に帰るため、病院の門を出発した直後でありました。私はそれを見送りながら、輝ける大器安倍先生の御霊の安らかなことを祈ったのであります。  ここに、私は、諸君の御同意を得まして、議員一同代表し、謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと思います。

田邊誠

1960-08-11 第35回国会 参議院 地方行政委員会 閉会後第2号

その後、午後十時ごろになりまして、学生たちが、国会正門の内側でさらに大会を開ごう、こういうことを叫びながら、包囲していた警察部隊に突っ込んできたのであります。そうして正門方向に移動をしようとしましたので、これを警察部隊制止し、そこで徐々にこれを、負傷者等もここに出ておりますが、南通用門方向に制圧しまして構外に出した、こういうような状況になっておるのであります。

小倉謙

1960-08-10 第35回国会 衆議院 地方行政委員会 第2号

それが国会正門の方に、たくさんのデモ隊とすれ違いに行進していったあとに、今の右翼といわれる行動隊諸君が、大ざっぱに見て百名内外でありましょうか、隊列をなして出てきた。手に手にこれくらいの真新しい棒を持っておる。その棒の先は四角になっておる。それに小さいプラカードをくっつけて、いつでも何かしらなぐられるような体裁をしておる。

川村継義

1960-08-10 第35回国会 衆議院 地方行政委員会 第2号

これは国会正門から規制されました約二百名の学生たちが、三宅坂と半蔵門の両巡査派出所に次々と襲撃をかけております。そうして投石を行なうなどの暴行を続けておりましたので、機動隊が出動いたしましてこれを解散させた直後におきまして、機動隊員三宅坂交差点付近を通行中に、国会方向からやってきましためがねをかけた男の人が、近づいてきまして、いきなり特殊なアクセントで「人殺し」というような悪罵を浴びせてきた。

柏村信雄

1960-08-10 第35回国会 衆議院 地方行政委員会 第2号

○柏村説明員 六・一五事件と申しますと、例の南通用門における侵入事件死傷事件というようなことを中心とした問題と理解してよろしいかと思いますが、当日は、すでに全学連主流派におきましては、どうしても国会構内に入って、そして集会を開くという決意を持っていたようでありまして、午後一時ごろから国会正門前に集結を開始いたしまして、午後三時半ごろには約七千五百名となって正門前で集会を開いておるわけでありますが

柏村信雄

1959-12-11 第33回国会 参議院 法務委員会 第5号

私は、そういう経験を持っておりまするからして、あなたに、いわゆるほんとうに数というものは、数と数との対抗であり、しかも現在の武装では、これはどの辺に置くかということは十分にお考えを願いたいという意味で質問いたしましたのですから、数の問題は、私は、あなたのお考えをこれ以上はお聞きいたしませんが、最後に申し上げたいことは、先ほどあなたは、あのチャペルセンターのところからいわゆる国会正門に闖入の問題について

林田正治

1959-12-11 第33回国会 参議院 法務委員会 第5号

、あるいは助けてくれというような声に対して、これ以上押えては死傷者が一そう出るというような状況でありましたところを、ついに先頭の者が制止線を突破して参りまして、これを無理に押えると、そういうような死傷者が出るという非常に悲惨な事態になるというような状況もうかがわれたのでありますが、この出てきたものを人事院方向に流そうということで努力をし、一たんはその方向に流れかかったのでありますが、これが再び国会正門

小倉謙

1959-12-08 第33回国会 参議院 地方行政委員会 第8号

そのデモ隊が一時人事院方向に規制されつつあったのでありまするが、片一方における負傷者の救出、さらにその面からの他のデモ隊制止の突破というようなことが重なりまして、人事院方向に規制されつつあったデモ隊国会正門に殺到してくる、こういうような状況であったのであります。そして国会正門警備につきましては、これは、理事会でも申し上げたと思いまするが、相当数警察官をここに用意しておったのであります。

小倉謙

1959-12-02 第33回国会 参議院 議院運営委員会 第11号

げましたように、そのような場合もあり得るということで、チャペルセンター前あるいは総理官邸、第二議員会館方面警察官が懸命に制止をいたしておったのでありまするが、チャペルセンター前において、先ほど申し上げましたように、一部からついに突破されまして、これを人事院方向に極力流そうということで努力をいたしたのでありますが、非常な勢いでデモって参りまして、ついに警察官制止線をさらに破られまして、国会正門

小倉謙

1959-12-02 第33回国会 参議院 議院運営委員会 第11号

それからもう少し詳細に申し上げますと、チャペルセンターのところから強引に突破して来ましたデモ隊、これを防ぐ意味で、国会正門の前にも警察官相当数配置してかまえておったのでありますが、総理官邸方面、第二議員会館方面、その方のデモ隊の力も非常に強い状況でありまして、さらにあの地下鉄からどうしても湧いてくるのであります。

小倉謙

1959-12-02 第33回国会 参議院 議院運営委員会 第11号

説明員小倉謙君) 国会正門から残念ながらデモ隊に侵入されたわけでありまするが、決してこれは警察官が決然たる決意なくして警備に当たっておったわけではもちろんないのであります。先ほど申し上げましたように、チャペルセンター前、国会正門前において百数十名の重傷者負傷者を出しておるのであります。非常に全学連及びその他の若い者たち行動が激しかった、激烈である。

小倉謙

1959-12-01 第33回国会 衆議院 地方行政委員会 第6号

すなわち、チャペルセンター前には九百七十名、国会正門前に七百四十五名、国会外周に千七十二名、人事院付近に千四百十八名、特許庁付近に千百七名、総人員五千七百五十五名という警察官配置をいたしたわけでございます。このほかに、方面警察隊約三千というものを編成して、第二次的な部隊として確保しておいたわけでございます。  

柏村信雄

1959-12-01 第33回国会 衆議院 地方行政委員会 第6号

ちょうどそのころ総理公邸あるいは衆議院第二議員会館付近まで押し寄せてきておりましたデモ隊、これを警察官制止しておりましたが、さらに地下鉄から約三百名ほどの者が出て参りまして、この出てきた者を総理公邸の方の警察官をもって規制しておったのでありますが、これがチャペルセンター前の状況を見ました影響かどうかと思いまするが、急にここから国会正門の方に向かって出てくる、こういうような状況に相なったのであります

小倉謙

1959-12-01 第33回国会 衆議院 法務委員会 第4号

これに対しまして警察は五千七百五十五名の要員をもちまして警戒をいたしたことは、昨日総監から御答弁になった通りでありますが、その内訳は、チャペルセンター前、ここからここに侵入しないようにということでこの線に配置をいたしましたものが九百七十名、国会正門前、ここに予備として置いておったものが七百四十五名、それから国会外周、各門等のものを含めまして千七十二名、それから人事院付近に、これがこちらから入ってここに

玉村四一

1959-11-30 第33回国会 衆議院 法務委員会 第3号

国会へ押しかける態勢をとりましたので、それぞれチャペルセンター前と人事院前と特許庁を少し上がったところでこれを阻止する態勢をとったのでありますけれども、何分にも警察官の数が六千名足らず、それに対して二万五千余の動員された集団の力による圧力によってこれを突破しようと試みて参ったわけでございまして、たまたまチャペルセンター前におきまして、淺沼議員代表といたしまして請願の代表二十名ほどが選ばれて国会正門

柏村信雄

1959-11-30 第33回国会 衆議院 法務委員会 第3号

○小倉説明員 国会正門前において代表あるいはいわゆるデモ隊が入りました状況、その概要につきましては午前中申し上げました通りでございますが、要するに時間的に言いますと、午後の四時二分ごろから四分ごろまで一、二分の間のことでありまして、その間に淺沼書記長初め代議士さんと代表と思われる者、さらに若干それに加わって一緒に入った者もあるようでありますが、それが入り終わるか終わらないうちに、同じころにデモ隊が正面

小倉謙

1959-11-28 第33回国会 衆議院 議院運営委員会 第9号

経過しているうちに——淺沼書記長以下三十名が、向かって図書館側舗道から、警官に道をあけてもらって、案内をされて、これは正式の陳情団だからという了解のもとに、舗道を通って国会正門の前に来て、衆議院の入口から、どうかそういう正式の陳情団だから入れてもらいたい、そういう交渉を院内における衛視とやっておった。

小林進

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