1960-03-30 第34回国会 衆議院 地方行政委員会 第18号 それで三川鉱の事件に至るまでの三川鉱における状況がどうであったかと申し上げますと、旧労側、いわゆる第一組合側は、午前一時ごろから、三川鉱の裏門付近にございます団結館と称する建物がございますが、そこに約二千五百名が集結いたしまして、そして正門、裏門、新門、こういうところに約三百名から四百名くらいのピケ隊員を配置しておったのであります。 江口俊男