1964-02-28 第46回国会 衆議院 予算委員会 第16号
同じく二十五日の新聞には、「米兵のタクシー強盗」「那覇署管内でも二件」、「脅迫して乗車」「米兵タクシー乗り逃げ」、同じく二十五日には、「白人兵が強盗傷人」「嘉手納で二十五ドル奪い捕まる」。 こういうように、ちょっとの新聞の日時だけでもこの程度米兵による暴行事件が頻発しております。これを、政府当局、総理府長官は御承知であるかどうか、お伺いをしたいと思います。
同じく二十五日の新聞には、「米兵のタクシー強盗」「那覇署管内でも二件」、「脅迫して乗車」「米兵タクシー乗り逃げ」、同じく二十五日には、「白人兵が強盗傷人」「嘉手納で二十五ドル奪い捕まる」。 こういうように、ちょっとの新聞の日時だけでもこの程度米兵による暴行事件が頻発しております。これを、政府当局、総理府長官は御承知であるかどうか、お伺いをしたいと思います。
嘉手納小学校における九月十八日から十五日に至る間の実態調査によると、九月十八日は九十フォン前後の音響が、午前八時三十七分から午後三時四十九分までに四十八回、同十九日には午前八時十三分から午後三時五十五分までに四十四回、二十日には午前八時三十分から午後四時二十分まで三十七回、二十二口には午前八時十八分から午後三時五十六分まで四十九回、二十五日には午前八時三十三分から午後三時五十五分までに四十九回、こういうように
○勝澤委員 そこで那覇にある嘉手納、これはアメリカ軍が直接管理しているんですが、どういうわけで南大東島と石垣島は日本がやらなければならないんですか。アメリカがやっているのですから、それと同じような形でやればいいように思うのですが、日本がやらなければならぬ理由、こういう点はどうなんですか。
○岡田(春)委員 チャーター機でアンカレッジあるいはその他沖繩の嘉手納、それからフィリピンのクラークフィールド、ここへ軍需品輸送をやっていた事実を明らかにこの前あなたの方の役人の人が答弁しているんですよ。その事実かあるのに――あなた、事実があればじゃなくて、その事実が明らかなのに調べないのはおかしいじゃないですか。
しかもこれはアンカレッジからもう一カ所どこかあるけれども、クラークフィールドと沖繩の嘉手納に行くのでしょう。これについては三十五条の適用をしていないと言っているじゃありませんか。明らかに民間機の扱いとしては違反ですよ。さっきから答弁できない点ですが、これだけやっていては時間がかかるので困ります。
ラオスの戦争においては嘉手納から飛行機が飛んで行っておる。沖繩から飛んで行くのに軍事協力をやっておる。ラオスの内戦に協力しておるのです。そういう証拠になるじゃありませんか。明らかじゃありませんか。どうです。
さっきから軍事輸送をやっている、たとえばアンカレッジからクラークフィールド、嘉手納へ軍事輸送をやっている、こういう事実がすでに明らかになっている、あなたもお認めになったわけですね。それから南ベトナムというのは知りませんと言ったが、あなたは逃げるわけにはいきませんよ、こういう写真が出ているのですから。こういう事実がある。
○岡田(春)委員 それじゃ西村さん、沖繩の那覇、嘉手納、両航空基地に所属しておるアメリカ空軍三一三師団、これは立川の第五空軍に所属しておるのですか、この点はどうですか。
○島清君 石川の被災者に対しましては、アメリカ軍の方が何か事件の解決を回避しているようでございますが、現地新聞の報ずるところによりますると、三カ月間ぐらい被災民に対する陳情を聞くというような折衝機関が置かれたようでございますが、それが解散いたしまして、その解散後は、嘉手納の航空隊の在日米軍賠償部連絡官がときどきやってくるようでございますので、向うの新聞によりますと、在日米軍の賠償官がときどき向うに行
現在、沖縄におきましてはアメリカ空軍が嘉手納において高層観測を実施いたしております。また奄美大島においては日本が名瀬において高層観測をいたしております。いずれも南大東島はそれらから三百キロ以上離れております。こういう意味におきましても、世界の気象機関から、この地点におきまして高層気象観測をすることは、世界気象会議において勧告されておる場所でございます。
アメリカ軍が敵前上陸しましたのは、嘉手納を中心とした最も平坦な場所であります。すなわちこの地図を見ますとおわかりのように、ここが一番平地であり、場所柄としていいところでありますが、ここに敵前上陸をしたわけであります。何もないところへ軍がどっと来たのですから、思う存分拡げて陣地を作った。そうしてその後において何ら整理されていないというところに、土地問題の根本問題があると思うのであります。
そうして翌四日嘉手納飛行場の米軍のごみ捨て場に暴行されて血まみれになった死体として発見されたのでございます。犯人のバード軍曹というのは、海岸でこの六才の由美子ちゃんに暴行を加え、胸部圧迫で殺してしまったのでございますが、ついに犯人の引き渡しをしないで、本国に転勤その他のことでうやむやになっておるのでございます。
言葉は通じませんから、この土地を取られたならば自分たちは死ぬ以外はないと、六十幾つかのおじいさんが倒れるまねをし、寝るまねをして説明をしたのでありますが、これに対しても、アメリカは暴行を加えた上で、さらに毛布を持ってきてこれでくるんで、そうして連れ去りまして、飛行場のまん中にわざわざ金網を急造して、そこに兵隊が二人も番をして、二時間後には飛行機が飛んできて、そしてやっと毛布を解いて、さらに飛行機で嘉手納飛行場
二十年の三月二十五日に米軍が沖縄の西方の慶良間列島に上陸し、続いて四月一日には、非常に優勢な海軍や航空隊を伴って、中部の西海岸に上陸をして、嘉手納というところに上陸をいたしまして、そこで飛行場も占領をするし、ますます兵力を多くしまして、石川市というところで、この島を南北に分断したということになったようであります。
まず、その代表的なものとして、九月四日、永山盛吉長女由美子、六才がハートという軍曹によって嘉手納の海岸に拉致せられ、暴行の上殺された、こういう事実が一体あったかないか。あったとするならば、それはどういうふうになったのであるか。日本政府はいかなる手を打ったのであるか。
アメリカは那覇市近郊の嘉手納基地を中心に近代的な軍事施設を構築いたしました。沖繩は今や太平洋のいしずえ、東洋のジブラルタルと言われております。アメリカ合衆国のハワイやカルフォルニアのどこかに行ったような錯覚を覚える地域になりつつあります。