2020-12-02 第203回国会 参議院 地方創生及び消費者問題に関する特別委員会 第3号
私自身も、先日徳島を訪問した際、徳島商業高等学校において、カンボジアの学校と共同開発したフェアトレード商品、ヤシ砂糖の普及に向けた高校生のエシカル消費の取組についてお話を伺い、大変感銘を受けました。
私自身も、先日徳島を訪問した際、徳島商業高等学校において、カンボジアの学校と共同開発したフェアトレード商品、ヤシ砂糖の普及に向けた高校生のエシカル消費の取組についてお話を伺い、大変感銘を受けました。
同校は、小高商業高等学校及び小高工業高等学校の二校を合併して昨年四月に開校し、福島県で初のスーパー・プロフェッショナル・ハイスクールの指定を受け、福島の復興再生や地域活性化に寄与する人材の育成に多大な貢献を果たしつつあります。
また、当市では、企業版ふるさと納税制度の活用も積極的に行っておりまして、物づくり玉野を支える人材不足に歯どめをかけることを目的といたしまして、六十年の歴史と伝統のある市立玉野商業高等学校を四月から校名変更し、玉野商工高等学校として機械科を新設いたしました。 この事業の創設に当たっては、三井造船株式会社を始めとし、市内にゆかりがある多くの企業から多くの援助をいただいております。
しかし、よく考えてみれば、中学卒業で金型に勤めたり、あるいは職人になったり、あるいは、専門学校、工業高等学校、商業高等学校を出て、日本の物づくりというのか、そういうところに働く人々にもしっかりとした光を当てることが大事じゃないか。
と同時に、名護市の名護商業高等学校に新設されたファイナンス科という、これも新しい科でございます。そういうこともその金融教育の中でしっかりと相提携をしてとらえていく必要があるんではないのかなというふうに思います。
○岩本司君 先ほどちょっと私が一校と言ったんですけれども、浦添商業高等学校ですね、国際観光科というのが一校あります。浦添商業高校の皆さん、大変失礼しました。 最後に大臣に、最後に質問させていただきたいんですが……(「時間過ぎているよ」と呼ぶ者あり)済みません。
彼は、河村副大臣の地元、山口県の下関商業高等学校時代に甲子園で優勝して、多くの人の期待を担って、昭和四十年、西鉄ライオンズに入団をいたしました。うわさにたがわず、池永氏は入団の年から五年で九十九勝を上げまして、西鉄ライオンズの救世主と言われたところです。当時は、やはり三百勝投手間違いないなと言われたぐらいの、プロ野球界が誇る逸材でした。
彼は、山口県下関商業高等学校時代、甲子園で優勝しまして、多くの人の期待を担って西鉄ライオンズに入団をいたしました。うわさにたがわず、池永氏は入団の年から五年間で九十九勝を上げて、西鉄ライオンズの救世主と言われました。当時は、三百勝投手間違いなしと言われた、プロ野球界が誇る逸材でありました。 そして、池永氏にとって入団五年目の昭和四十四年の秋、プロ野球界を震撼させたあの黒い霧事件が幕をあけました。
例えば、静岡市では市内に五校しかない定時制高校のうち、八十名近い生徒が学んでいる静岡商業高等学校がこの四月から募集停止になり、三年後には廃止をされようとしています。この定時制高校は、静岡市の西に位置する学校ですが、もしここが廃止になった場合、生徒は安倍川を渡って静岡中央高校まで行かなくてはなりません。男子でも自転車で五十分かかると言われています。女子では一時間を超えると言っています。
先生の父君憲悌氏は、地方政界で活躍された人格識見ともに豊かな方であり、その父君の感化と御母堂の薫陶を受けられて少年時代を過ごされた先生は、長じて、尾道商業高等学校を経て、中央大学法学部に進まれました。
また、冷害の与える影響について、青森県立三沢商業高等学校の竹中教諭がおまとめになられました「昭和五十五年の青森県の冷夏・冷害の教材化」によりますと、昭和五十五年の青森県の場合、農作物の被害額は九百四十七億円に上り、我が国の実質経済成長率が五%増であったのに対し、二%増と非常に厳しい経済環境に立たされました。その結果、倒産件数は二百一件と史上最高を記録いたしております。
今お話のありましたように、まず一つは、中津商業高等学校の事件でございますが、これにつきましては、山内教諭の指導のもとに陸上部の部員であった竹内さんが、非常に熱心な指導をこの先生は行っていたようでございまして、去年の秋ごろからいろいろな指導が行われまして、そして自殺をされた前日は、具体的な体罰行為というのではなくして、長時間にわたりまして今後の指導を与えるというようなことが行われ、そしてその翌朝亡くなるというような
普通は後援会事業計画というふうになっているのですけれども、県立袋井商業高等学校などは、学校環境整備費歳入歳出予算案、こうなっております。
これは、佐賀県の商業高等学校の技術職員でありました原正己という方ですが、共済組合に関する学校用務で県庁へ向かう途中、交通事故を起こして十五時間後に死亡したのであります。当時、この事故はだれが見ても公務災害だ、もちろん過失が相手方にあって事故が起きて死んだわけですから、それで補償の申請をした。ところが、四十八年の五月、基金の佐賀支部は公務外と認定した。
それから、第三番目に、私立の中のたとえば女子商業高等学校というような——一例として挙げますと——そういう場合には、卒業後の職業的準備がかなり確実にできるというような意味合いにおいて、相当学校に特色がある場合があります。
それを昭和二十六年に国立学校設置法の中へ、全国五つの商船学校を商業高等学校として文部省の所管にした。そして昭和四十二年に、これを国立の商船高等専門学校にみんな引き上げた。したがって、各校とも競争率が十倍、二十倍と、商船高専の志願者が圧倒的にわあっと押しかけてきた。
実は、浪速商業高等学校の生徒である、年齢は十七歳である、親は一生懸命さがしておるということを、そのSさんの奥さんが、調査に来られた連絡部の人に伝えておる。ところが、この調査に行った人が、帰ってなお不審にも思わぬし、Sさんの奥さんから聞いておるにもかかわらず、なお親元にも連絡しないでほっておいた。Sさんのほうは、家元のほうで非常に心配されておるので、さっそくそのことを知らせに行った。
そういうようなことから、この事件の一つとして、やはり自衛隊全体として、部落問題についての認識が非常になさ過ぎたということと、さらには、この少年が浪速商業高等学校に通学しておる少年でありましたが、そのことによって、教育の面でその少年に頭を打たすというような結果になった、こういう二つの大きな性格が、この事件の中に含まれておるというように私は認識しておるわけであります。
しかもその活躍領域は、公共事業を中心といたしまして、まことに多彩なものがありまして、文化・報道関係における四国新聞社社長、西日本放送株式会社会長、交通関係における瀬戸内航空株式会社社長、高松琴平電鉄株式会社会長のほか、四国電力株式会社取締役、西日本観光株式会社社長、また、育英事業におきましても高松女子商業高等学校理事長等々、その顕職は数え上げれば十指をこえるほどであります。
それと鞍手商業高等学校の職員会というものとのかかわりというものを私は聞いておるわけですけれども、なかろうかということではこれは私としては納得できない。これは常識でもわかりますようにね、三月の末ということになれば、管理規則がどう変わろうと変わるまいと、それに反対しようと賛成しようと、職員会というものは行なわれるわけですよ。現に行なわれておるわけです。そうでしょう。そういうものなんですよ。
文部省大学学術 局教職員養成課 長 阿部 充夫君 文化庁文化財保 護部記念物課文 化財調査官 田中 琢君 ————————————— 本日の会議に付した案件 ○学校教育法及び学校図書館法の一部を改正する 法律案(小林武君外一名発議) ○教育、文化及び学術に関する調査 (福岡県立鞍手商業高等学校事件等
福岡県立の鞍手商業高等学校の職員会が三月十二日に行なわれて、その中で起きたささいな問題を刑事事件として福岡県警は取り上げて捜査をし、そして六月の十日の朝、学校現場の捜索をやっております。そして、すでに書類を検察庁に送っておる事件でありますが、これについて、警察庁として事件の全貌といいますか、内容を知っておられるだけひとつお答え願いたいと思います。
これは大阪の淀商業高等学校の例なんですが、ここでは、昭和四十七年三月二十五日に、淀商業高校で当時紛争が起こっておった。その紛争のお先棒になっておった早崎という教師がいる。これらの教師を含む四名が、免職を含む懲戒処分になっておるのです。それは、その紛争も関連があるが、同時に、生徒に飲酒をさせたり、あるいはかけトランプをするようなことを容認して社会的にも非難された。