1966-06-07 第51回国会 参議院 文教委員会 第19号
松竹が心配するのは、現在の観客層を奪い合うようなことになっては、商業劇団であるところの松竹側は困るというようなお話であったと思いますが、この点につきましては、根本的には新しい観客層を開拓することによって、現在の観客層を固定なものと考えてこれを奪い合うという事態を、開拓する以外に根本的な打開策はないと考えております。
松竹が心配するのは、現在の観客層を奪い合うようなことになっては、商業劇団であるところの松竹側は困るというようなお話であったと思いますが、この点につきましては、根本的には新しい観客層を開拓することによって、現在の観客層を固定なものと考えてこれを奪い合うという事態を、開拓する以外に根本的な打開策はないと考えております。
それをもっと俗なことばで言いますと、一般の市中の商業劇団で働いている俳優に、あるいはサービスをしてもらうとか、アルバイトをやってもらうとかというようなことにならざるを得ぬのじゃないかということも思うんですが、そういう俳優をかき集めてやりながらも、しかも高い水準の芸能というものを、芸能の商い水準というものを確保していけるのかどうかというような点についての見通しは持っておられるわけですか。
しかし、そういう実際のものを知っている人間をどういう意味か敬遠されて、この設立のときの設計の参考人にお呼びにならなかったという一事は、少しやはり何か一商業劇団、商業会社というような興行会社ができたかの感があるのじゃないか。
しかし、何も向こうの俳優さんを全部半分に引き裂かれるということでなくして、商業劇団のアルバイトに国立劇場でするのだということでは、やはり国立劇場の本旨にかかわるわけでございます。 〔委員長退席、理事北畠教真君着席〕 したがって、国立劇場は本来ならば専属の劇団を持つのがほんとうだと存じます。
大体そういった方は、いわゆるまだ完全にプロとなっていない方が多うございまして、学生の劇団にいるとか、あるいは既存の商業劇団の研究生、そういった方々がつまりちょっと出て二千円というようなことになっておるのでございます。