1972-06-16 第68回国会 衆議院 本会議 第40号
このような困難な情勢の中で、先生は予算委員会理事、総合計画局参与、商工省参与となるなど、議員としての職責をよく果たしてこられました。 わが国に平和が回復するや、先生は大いに志を伸ばそうとされましたが、そのやさき不運にも公職追放の指令を受けて、雌伏を余儀なくされました。しかし、この間にあっても、憂国の至情いよいよ厚く、わが国の過去を顧み、現状を探り、他日を期しておられたのであります。
このような困難な情勢の中で、先生は予算委員会理事、総合計画局参与、商工省参与となるなど、議員としての職責をよく果たしてこられました。 わが国に平和が回復するや、先生は大いに志を伸ばそうとされましたが、そのやさき不運にも公職追放の指令を受けて、雌伏を余儀なくされました。しかし、この間にあっても、憂国の至情いよいよ厚く、わが国の過去を顧み、現状を探り、他日を期しておられたのであります。
お手元の履歴書で御承知の通り佐々木君は、明治四十年台湾銀行に入りロンドン支店支配人を経て後帝国人造絹糸、日本製粉、東邦人造繊維、日本油脂、帝国繊維等の各株式会社の役員を歴任し、その間、商工省参与、貿易庁貿易官等をも歴任したものであり、現在は、東邦レーヨン株式会社取締役社長の職にあるものでありますが、昭和二十四伸五月日本国有鉄道監理委員会委員となるべき者として内閣から指名され、同年六月同委員となり昭和二十九年五月二十五日日本国有鉄道経営委員会委員
佐々木君は、明治四十一年台湾銀行に入り、ロンドン支店支配人を経て、後帝国人造絹糸、日本製粉、東邦人造繊維、日本油脂、帝国繊維等の各株式会社の役員を歴任し、その間商工省参与、貿易庁貿易官等をも歴任したものであり、現在は東邦レ—ヨン株式会社社長の職にあるものであります。