1953-10-31 第17回国会 参議院 議院運営委員会 第3号
山本君はお手許の履歴書で御承知のように、大学卒業後商工省に入りましたが、昭和八年から同十一年まで満洲国官吏となり帰国後は特許局事務官、商工書記官、商工省工務官、同省化学、交易の各局長、大東亜省交易局長、東海北陸地方商工局長等を歴任、退官してからは原材料貿易公団理事長、愛商株式会社取締役に就任、昭和二十七年二月公正取引委員会委員に任命され、以来同委員会の運営に寄与して来たものであります。
山本君はお手許の履歴書で御承知のように、大学卒業後商工省に入りましたが、昭和八年から同十一年まで満洲国官吏となり帰国後は特許局事務官、商工書記官、商工省工務官、同省化学、交易の各局長、大東亜省交易局長、東海北陸地方商工局長等を歴任、退官してからは原材料貿易公団理事長、愛商株式会社取締役に就任、昭和二十七年二月公正取引委員会委員に任命され、以来同委員会の運営に寄与して来たものであります。
七年商工事務官になりまして商工省にもどりまして、昭和十年内閣調査局調査官、十一年五月企画庁調査官、十一年十一月企画院書記官、昭和十一年十二月商工書記官になりまして、その後約十余の課長として各局部に勤務いたしております。十六年四月外務書記官を兼任いたしまして、支那に参りまして、南京政府の経済顧問をいたしました。