1990-05-15 第118回国会 参議院 予算委員会 第7号
これにつきまして、この非公式会合ではコミュニケという形はとらずに、この議長を務めましたメキシコの商工大臣が議長の報告ということを発表いたしております。その中には、いろんな文書がございますが、何人かの閣僚は食糧安全保障問題はついて懸念を表明した、こういう報告をいたしております。
これにつきまして、この非公式会合ではコミュニケという形はとらずに、この議長を務めましたメキシコの商工大臣が議長の報告ということを発表いたしております。その中には、いろんな文書がございますが、何人かの閣僚は食糧安全保障問題はついて懸念を表明した、こういう報告をいたしております。
記録によりますと、鉄道大臣、軍需大臣、続いて商工大臣と三回やられておるということですが、私から見ると、ぜひ大臣も一回だけじゃなくて四回くらいやっていただきたいという激励を申し上げたいのですが、ひとつ決意のほどをお聞きしたいと思います。
そこでは厚生大臣河合良成さん、司法大臣木村篤太郎さん、商工大臣石井光次郎さん、皆さん御存じの名前がありますし、この審議には今も議員として大いに活動されている江崎真澄さんのお名前も見ることができます。そして、この会議録を読んでみると、随分詰めた論議をしております。
そこで、長官にお聞きするんですけれども、私は京都生まれの京都育ちですから、我々京都人にとって日本三景の一つの天の橋立というのはこれはつぶされちゃたまったものじゃないと思いますが、戦争中にあの向こうで大江山のニッケル鉱山がありまして、軍の何である当時の伍堂卓雄商工大臣が宮津、当時町ですが、天の橋立を切って船が出入りできるようにすると言ってきたとき、もう町長が懐剣を潜ませて大げんかして助かったというのですけれども
○村田国務大臣 これは、私と柴田資源エネルギー庁長官がシンガポールをことしの一月中旬に訪問したときのことでございますから、私からお答え申し上げますが、私が参りましたときに、実はシンガポールのリチャード・フー商工大臣、それからまたリー・クアンユー総理ともお目にかかったわけでございます。その際、この石油輸入、ガソリン輸入の問題につきましては、両者の間で全く話が出ませんでした。
したがって、これは御参考まででありますが、私は一月十七、八日のころにオーストラリアの帰りにシンガポールに立ち寄ったわけで、そのときにリチャード・フーという商工大臣といろいろな貿易問題で相談をいたしましたが、この問題についてのコメント等は一切リチャード・フー大臣からなかったのです。
○渡辺(嘉)分科員 あの当時の商工大臣自身が大蔵省に対して、この企業組合の受ける所得は、協同組合法によりますと二十三条の二で「企業組合の組合員の所得に対する課税」という特例の一カ条を設けまして、そして組合から受ける所得は給与所得その他とする、こういうことを規定したのは、この協同組合法の中にわざわざこれを挿入した理由は何ですか。普通はそれはないのですがね。
こういうことから、もちろんいろいろほかの御意見もありましょうが、総合的に物事を判断して、昭和二十二年に鉱山保安行政の所管に関する閣議決定が行われて、商工大臣が一元的に所管をしろと、こういうふうに決まったものと私ども了解いたしております。
まず一番大きな問題としてはイシイルカの混獲問題でございますが、これにつきましては現在行政審判手続が進行中でございまして、私は許可が円滑におりるようにということを、向こうのノアの関係者あるいは商工大臣にも伊東外務大臣と一緒にお会いをいたしましたが、議会筋その他についてそういう要請を行ったわけでございます。
○田中(六)国務大臣 ASEAN五カ国につきましては、いまエネルギー問題あるいは中小企業の育成、それから製品の輸入拡大、それから人づくり、総理はそれに農業問題のリードというようなことをつけ加えているわけでございますけれども、それなりの成果があったと思われるのは、私はそのほか十カ国を訪ねておりますけれども、ほとんどの国々の、カウンターパートと申しますか、向こうの商工大臣、工業大臣あるいはエネルギーに関
このごろ企業だって、一番大事な窓口のところに課長が出たり、あるいはもっと上の人が窓口に出て、そして若い人が後ろに引っ込んでいるなんという事務の窓口もたくさんあります、別にNHKの会長がジャンパーを着てオートバイに乗って集金をやってもらいたいという意味じゃございませんけれども、やっぱりそういうふうな気持ち、いつか昔、ふんどし大臣なんて言われました水谷商工大臣が、石炭が重要な時期に炭坑の中に裸で入ったということがございますが
まず、十月三十日から十一月一日までの三日間オーストラリアを訪問いたしまして、フレーザー首相、アンソニー副首相兼貿易資源大臣、リンチ商工大臣ら連邦政府首脳及びコート西豪州首相らと日豪間の協力関係について率直な意見交換を行ってまいりました。
そのために、この台湾銀行事件によって、当時の商工大臣の中島久萬吉氏と当時文部大臣の鳩山一郎氏は、これにみんな関係があるということで昭和九年の四月前にやめていられる。商工大臣も文部大臣も、検察陣の厳しい追及に耐えかねて疑惑ありという世間の風評もあってやめている。そして七月の三日には、ついに当時の齋藤實内閣は総辞職をしている。
それはちょうど昭和十二年、時の商工大臣吉野信次さんのもとで、いわゆる財政経済三原則が設定され、九月に臨時国会で資金調整法、輸出入品等臨時措置法、軍需工業動員法の適用等々、いわゆる三統制法が成立し、金と物の国家権力の直接介入が始まり、翌年には原綿の輸入、のりのつけ方まで統制をされました。
それからもう一つは高級官僚ですね、私はこれは名前を挙げて聞きますが、大東亜相をなさっていた青木さん、商工大臣をなさっていた岸さん、総理大臣をなさっておる。それから内務大臣をなさっていた木戸さん、それから同じく内務大臣の後藤さんですね、それから企画院総裁をなさっていました鈴木さん、満州国の総務長官をなさっていました星野さん、この方々の恩給は一体どれぐらいになっておりますか。
同時に、この考え方は、昭和三十五年二月二十二日の予算委員会での、当時の総理大臣、かつて戦前東條内閣の商工大臣であった岸信介氏が、予算の「増額修正というようなことは、」「できないと解釈するのが適当であろう」との戦前からのこの考え方、それと軌を一にする反動的なものと言わなければなりません。私は、政府が昨日示された見解を速やかに撤回されることを強く要求するものであります。
あの侵略戦争で東条内閣の商工大臣だった岸信介氏が戦後首相になった。自由民主党の初代幹事長になっているんですよ。三百十万人死んだ人に政治的、道義的、法的責任を持っている人を戦後首相にした国は、残念ながら、わが日本だけであります。われわれが調べたところによりますと、歴代の自由民主党内の閣僚二百十五名のうち、元戦犯、元公職追放者が何と五十六名、四分の一以上いるんですよ。
顧みますれば、昭和十七年四月、商工大臣当時、初当選いたし、その後一時政界から遠ざかっていましたが、戦後日本の現状を見るに忍びず、又先輩諸士の奨めもあって、昭和二十八年四月、政界に復帰いたし、今日に至りました。 この間、日本民主党の合同、安保条約改訂の波乱など、幾多の試練をうけましたが、その後の国政の推移と進展に思いを致します時、まことに感慨無量のものがあります。
○天谷説明員 この再建基本方針は、染料工業対策、審議会の時の商工大臣に対する答申でございますが、それの中で、労働安全衛生に関する点につきましては、化学工業の「特殊性に鑑み、有害ガス、危険薬品に対する労務者の防護予防対策を確立すること。」という項目が入っております。
岸さんは商工大臣だった。その人を首相にした。ヨーロッパにはない事実であります。この問題、この日本の政治の戦犯性ですね、この問題が今度の事件の原点としてあるという点について、私は特に責任を持つ自民党の首相並びに総裁としてどう考えておられるのか。 それから、わが党が何度聞いてもはっきり言われないけれども、あの太平洋戦争、中国戦争、これは侵略戦争であったと明言されるかどうか、この点お伺いします。