1999-07-30 第145回国会 参議院 国旗及び国歌に関する特別委員会 第3号
なお、先ほど委員の方から、昭和十二年の文部省編集の尋常小学校修身巻の四の御指摘があったかと存じますが、君が代に関する戦前の教科書の扱いといたしまして、承知している限り一番早いのは、明治十八年発行の文部省編集の小学校唱歌集初編に「君が代はちよにやちよに」という歌詞が出てまいりますし、また二十五年の、これは文部省の編集ではございませんけれども、伊沢修二編の小学校唱歌一におきましては、君が代の歌につきまして
なお、先ほど委員の方から、昭和十二年の文部省編集の尋常小学校修身巻の四の御指摘があったかと存じますが、君が代に関する戦前の教科書の扱いといたしまして、承知している限り一番早いのは、明治十八年発行の文部省編集の小学校唱歌集初編に「君が代はちよにやちよに」という歌詞が出てまいりますし、また二十五年の、これは文部省の編集ではございませんけれども、伊沢修二編の小学校唱歌一におきましては、君が代の歌につきまして
しかし、明治二十四年十二月の通牒を受けて編まれた大祭祝日唱歌集などに見られますものでは、明治二十六年八月の官報告示まで命脈を保っております儀式用の唱歌集には、君が代の歌詞は三番まで掲載されております。また小学唱歌集初編には、記載されている君が代は二番まででございます。 お手元の資料にお配りしました日本のところには三番まで書かせていただきました。ともにすてきな歌詞であろうかと思っております。
○政府委員(竹島一彦君) 君が代の二番、三番のことでございますけれども、私どもが持っております資料によりますと、明治十五年、文部省が編さんいたしました小学唱歌集初編というものがございまして、その中における君が代は二番まであったということで、その資料も残っております。
ところが、二十世紀に入って一九〇六年の教育唱歌集で第四節は何となっているか。「台湾のはても、カラフトも」となっているのです。「台湾のはて」というのは御存じですね。日清戦争の戦勝によって下関条約を結び台湾を領有する、日露戦争によってポーツマス条約でサハリンを占領する。
○中尾国務大臣 先ほどからの先生のお言葉を聞いておりまして、確かに日本の固有の領土というのは、明治十二、三年のころの唱歌集を見ましても、私どものころは台湾の果ても樺太もというような言葉がありましたが、千島の奥も沖縄もという意味で、確かに今もって歯舞、色丹、国後、択捉、これを私どもの固有の領土として主張する気持ちはわかりますが、サハリンはそういう意味では郷愁はございますけれども、そういう点では私どもの
○湯山委員 唱歌集で、文句を書いてあるのはどうでしょうか。楽譜なんかが書いてあるのをいきなりやらないで、授業のときは、大抵黒板に書くとかなんとかして、後でそうできるようになって思い出して教科書のものを歌うというようなことであって、これも読んでも何にもなりませんね。そういうものだから、局長がおっしゃったように、歌曲集である。いまならこれは役に立つのでしょうが……。
○三角政府委員 音楽は、私のころは教科書と言ったかどうか、そこまで記憶がございませんが、唱歌集のようなものはあったと思います。
もう一つは、やはり文部省唱歌というのが——これは、文部省唱歌というのは特に定義はございませんけれども、明治十四年以来昭和二十二年までに、文部省編さんの教科書や唱歌集に掲載するに当たって、特に改めて作曲をされたような唱歌をいいます場合が多いのでございますが、それが六百三十ぐらいございます。