2019-03-27 第198回国会 衆議院 文部科学委員会 第6号
彼は、いろいろな一般企業で大役を務めて、そしてずっと取締役をやっていたんですけれども、もう一度自分が勉強し直したいということで、もともと私のいた母校の大学の経済学部の卒業生でありましたけれども、哲学科に入りたいということで入ってきたんです。
彼は、いろいろな一般企業で大役を務めて、そしてずっと取締役をやっていたんですけれども、もう一度自分が勉強し直したいということで、もともと私のいた母校の大学の経済学部の卒業生でありましたけれども、哲学科に入りたいということで入ってきたんです。
皆さん方、後半の部もそうですけれども、皆さんもう法律の専門家ばかりなんですけれども、私は哲学科出身ですから、ヘーゲルの言葉をかりて、真理は常に具体的な形を伴って現れると。
私は過去に経験があるんですけれども、私は大学のとき哲学科だったんですが、教師が解説したデカルトの解釈について、全然教師と違う解釈をテストで書いて、単位をもらえないかなと思ったら、優だったんですね。大学っていいところだなと思ったんです、中学や高校とは全然違うと思って、先生と違う意見を書いてもちゃんと認めてくれるんだと思って。本来、大学というのはそういうところだし、これからもそうだと思うんです。
それから、私も大学、中国哲学科というところにおったものですから、多少その空気分かるつもりなんですけれども、本当に学問の自由というものはあるのかどうか、疑問に思うこともあるわけであります。石川県の中国ウオッチャーとして申し上げれば、なかなかまともな、冷静な議論というのは難しいんじゃないかなということを思います。
○公述人(藤原和博君) 実際によのなか科のメニューについてはお手元の資料の最後の方にございますけれども、導入は確かに子供たちに非常に入りやすいようにハンバーガー店の店長になってみようというところが入っておりますが、全部見ていただければ分かりますが、どんどんどんどん深いところ入っていきまして、実際よのなか科は名付ければ人間科あるいは哲学科、あるいは人生科、市民科というようなものです、実態はですね。
今回の法案では、産学連携を重視していることが強く感じられますし、文部科学省もそのことをはっきりうたっていますけれども、その傾向は、すぐに役立つ研究や、外部資金を獲得しやすい重点課題研究が重視される反面、例えば京都大学のインド哲学科などは、存亡の危機に瀕することになりかねません。実際、サッチャー元首相によるイギリスの国立大学改革の結果、伝統ある古典研究は断絶されたと聞きます。
そのすぐれた資質を受け継がれた先生は、長じて、神奈川県立第一中学校を経て、早稲田大学文学部哲学科を昭和二十七年に卒業し、商家のよき伝統と、おのれを律することの厳しさを身をもって体験させようとする御尊父の教育方針により、生地を離れ、関西の地に人生修業の場を求められたのであります。
大学はそれぞれ文学部をつくる際にいわゆる哲学科、史学科、文学科という従来の哲史文の構想を基本として考えておられるわけであります。新潟大学の場合にはそれと考え方を異にして、より広い形で課程制をとり、人文学科の構成をお考えになっております。
それはそれぞれ複合学部として整備をしていくということが考えられてスタートしたものではございますけれども、その内容としては、やはり法学科、哲学科、史学科、文学科の四学科が設けられておりますので、それぞれの専門教育とともに、全学的に人文社会系の一般教育を担当しようという趣旨であったわけでございます。
その後これらの学部についてはいずれも整備が図られまして、現在では法学科、経済学科、哲学科、史学科、文学科の五学科を擁する規模になっております。これをさらに整備をしていくということになりますと、やはり学部自体の改組ということを考えることが必要であり、かつ適当な状況になってきたわけでございます。
あの方は学生時代を東京高師におられまして、その後、東京大学の文学部哲学科におられました。桑木厳翼先生の高弟でございます。その当時のお話もいたしました。非常に当時を思い出として持っておられるようでございますが、向こうにも事情がございましょうから、先方の事情の許すときに御返事があり、それと同時にお見えになるということはあろうかと考えております。
その意味では、完全に新しい学部を一つつくりましてそこに学生をあらためて受け入れるということでございますが、実体的にはどうだと言われますと、いままでございました文学部の中の教育学科並びに哲学科の中にありました社会学、心理学の関係部門というものを中核にいたしまして、社会におきます人間の諸科学を総合的に取り上げていくという新しい学部にしたい、こういう次第でございます。
昨年の十月にハワイ大学哲学科卒業見込みの際、内地に留学したい。特に父親が龍谷大学を卒業して、ハワイに行って住職をされておるのでありますから、将来そのあとをとるわけです。したがって、ぜひ龍谷大学に入りたいというので、まず日本の総領事館に内地留学に対するビザの要求をしたらしい。ところがまだ卒業していない。
○淡谷委員 あなたの方から提出されました天川勇の履歴書なるものを読んでみますと、 昭和 九 年三月 慶応大学文学部 哲学科卒業 同 四月 慶応大学文学部 哲学科助手 昭和十四年 四月 海軍大学校研究 部嘱託 兼海軍省官房調 査課嘱託 昭和十五年 四月 内閣総力戦研究
この中山君は、哲学科でありまして、来年卒業でありますが、この誤認逮捕によりまして就職にも非常な影響を受けておるわけであります。その先生の、大学教授の前田さん、助教助の穗積さん、この両氏も非常に心配されておるわけであります。私たちは、これは完全な誤認の逮捕である、こういうふうに考えますが、これが誤認の逮捕であるならば、本人の就職その他の関係においていかなる処置をとられるか、その点について承わりたい。
○高橋参考人 三上君についてまずお答えいたしますけれども、三上君は文学部の哲学科の学生でありまして、僕が知っています範囲内では、大体実存主義的な考え方を持っている人です。それで純粋なものの考え方をする人です。全然うそはつけない人です。
昭和五年京都大学哲学科卒業、続いて東京高等師範学校、東京文理科大学、それは現在の東京教育大学でありますが、そこで助手、助教授、教授と勤めてきまして、昭和二十年十月に文部省教科書局編修課長に就任しました。そして昭和三十二年の八月に文理科大学教授に帰りまして、自来東京教育大学教授として今日まで勤めてきております。以上であります。
これは、学生の計画といたしましては、医学部それから文学部の哲学科のゼミナールが創立記念祭の期間中京大で行われること、そういうようなことが大体先ほど私がるる申し上げました点からしまして、京都大学のことしの創立記念祭としては——将来の文化祭については申しません、今回の六月十九日、二十日に認めるべきところの創立記念祭の内容としては、ただいま申し上げたような前夜祭、園遊会及び学生ゼミナールというものは包含しないのが
神戸大学に参りまして、学長より文学部乃至理学部の学科の組織、これに配当されますところの教員数、而も単にこれは教員数という分量でなくて、文学部における専攻が三専攻に分れ、文学科、史学科、哲学科、それがそれぞれの更に専修を持つことになりますと、それらの科目の主要科目には如何なる専任教授が配置されるのであるか、これは大学設置審議会に専門分科会というのがございまして、ここにおきまして、教員組織について一々の
又團君は、東京帝国大学文科大学哲学科において美術史を専攻の後、同大学文科大学副手を嘱託されましたが、やがて東京帝国大学講師、同大学助教授として、美術史学講座を約十年間担当し、昭和八年七月退官して後は、国際文化振興会常務理事、帝室博物館顧問に就任、更に昭和二十一年五月より約一年間、貴族院議員に在職し、続いて参議院議員に当選しておりますが、現に日本美術協会副会長、ブリジストン美術館運営委員長等の職にあるものであつて