2017-05-18 第193回国会 衆議院 本会議 第26号
主権国家におけるその国の刑法というのは、罪と罰を定める立法を通じて、治安維持と人権保障をいかにバランスさせるかという国家の哲学そのものであります。日本は、原則、既遂を処罰するという哲学に立ち、しかし、犯罪の重大性などに鑑みて、例外的にその一歩手前の未遂を、二歩手前の予備、準備を、さらに必要不可欠であれば三歩手前の共謀、陰謀を、個別に精緻に検討して立法するという立場をとってまいりました。
主権国家におけるその国の刑法というのは、罪と罰を定める立法を通じて、治安維持と人権保障をいかにバランスさせるかという国家の哲学そのものであります。日本は、原則、既遂を処罰するという哲学に立ち、しかし、犯罪の重大性などに鑑みて、例外的にその一歩手前の未遂を、二歩手前の予備、準備を、さらに必要不可欠であれば三歩手前の共謀、陰謀を、個別に精緻に検討して立法するという立場をとってまいりました。
○寺田(学)委員 まさしく、御答弁ありましたけれども、刑法というのは国の哲学そのものだと思うんですね。その中において、裁判した我が国として、外国人であろうとも、罪があると認定をし刑に処すことを決めたことが、他国、締結国であっても他国から恩赦という形でそれを放免されるということ自体が、果たしてどうなんだろうということの疑問点がありました。
御理解をいただきたいのは、政権がかわり、政策決定のプロセス、その哲学そのものが大きく変わったのであります。政治主導を目指す取り組みはまだ途上でありますので、その性格上、お尋ねではございますが、点数をつけられるというものではありません。しかし、着実に、マニフェストの、あるいは連立三党の合意に基づいて、一つ一つ実践を進めていると考えております。
翻って、日本で行われている改憲論議は、前文から平和のうちに生存する権利、いわゆる平和的生存権を取り去り、恒久平和の原則を定めた九条を変えて、自衛軍を保持し、海外で武力行使を可能にする改憲案を自由民主党が党大会で決定するなど、まさに日本国憲法の最も重要な基本原則、哲学そのもの、国の基本的価値を変えようとするものだと思います。
しかし、日本の国というものはそうじゃなくて、経済成長、効率、それをひたすらに求めて政策というものが今まで出てきて、明治維新以降そうせざるを得なかった部分はあったかもしれないけれども、今や二十一世紀になってそのツケが回ってきた時代に、やはりこうした哲学そのものを転換するというのが、国が、実は必要なんではないかと。
日本の社会保障を通じて、社会サービスを通じてもう一歩、日本の少子化対策というのは、どちらかというと児童手当を中心にして、私は児童手当は否定しませんし、非常に役に立つ政策だとは思いますけれども、その精神というか哲学そのものが、エクイティー、公平原理に基づいているわけであります。
安いんじゃないのといって、金丸さんのときと同じように新聞はそこを騒いだのでございますけれども、でも、五十万円の罰金の低さというのは、日本の法体系そのものが今まで割合罰金が低いという形でして、そこがいけないというのでしたならば、今回のように法改正するとか、あるいは司法の哲学そのものを見直していかなければいけない。
これは議員としてのある意味では人生観、哲学そのものが問われているんだ、人任せで済むそんなものではないんだと。これも私はよくわかります。恐らく各会派でも皆そうだろうと思います。 やる以上はせめて半年ぐらいはじっくりと研究をして、そして議論をして、委員会の審議に臨んで最後に採決、こういうことが筋道であろうと思うんです。
この法制審で、いろいろと今商法とか民法のお話、特にこの外為法改正後、そういったところでこの哲学そのものが変わってくるというようなことも出てくるわけですから、御議論をいただいていると思いますけれども、その議論の現状及びその方向性がわかるような答弁をいただければと思います。
金丸さんの今回の決断というのはあの方の人生哲学そのものである、辞職されたことそのものは私は残念なことでありますが、その行為はあの金丸さんの人生哲学そのものである、このように感じております。したがって、その議員辞職を無にしないように、政治家としてその意思を生かしていかなきゃならぬというふうに私は考えております。
生産者米価というのは農村にとりましてはまさに農政のシンボルである、象徴である、またある意味では農政の哲学そのものである、このような認識に立っておりますから、私といたしましては、広範な、いわゆる大所高所の立場から考えて生産者米価についての私の意見を申し述べたのであります。
したがって、そういう問題は、投資減税制度があったからなされたものか、なくても企業の責任においてそれはなされたものであるかという判別がつきにくいだけに、それが拡大傾向にあった場合は、やっぱり財政の面から見れば、これはまさにいわゆる減収が生ずるという結果になるわけでありますので、したがって、投資減税制度の持つ最初おっしゃいました哲学そのものは、これは私も理解をいたしますが、いざそれを現実に当てはめてみました
郵務局長に至ってはまだそのほかいろいろあるようでございますけれども、私はどうもこの臨調答申全体を踏まえてみて、いままで説明したように、本来加入者の選択にゆだねられるべきものを臨調の答申などというもので縛り上げていくというその哲学そのものが間違っておるし、また、官業、民業の問題にしても、いままで申し上げたとおり相互に補完し合えばいいんで、それは民間の方がいいと思う人は民間に入るのですから、簡易保険がいいと
ただ、いろいろ議論がなされておりますが、私は、臨時行政調査会はまず歳出ということに対してさまざまのたとえば具体的な項目をもお示しいただきまして御答申をいただいておりますが、いわゆる歳入につきましてはその哲学そのものが提示されておるというふうに理解すべきである。
私は福田哲学というのはもっと中身があって、行動の原理だけではなくて、哲学そのものを国民に示してくれる裏打ちがあって、協調と連帯という言葉が出たと思うのですね。 協調と連帯というのは元来資本主義、自由競争の社会には適用できないのですね。資本主義、自由経済というのは弱肉強食であり、高利潤の追求であり、そういう中で協調と連帯をするというのは一体どういうことなのか。
○山中(吾)委員 文章は大平さんの人生観、世界観、政治哲学そのものでしょう。それをお聞きだけしておきましょう。 そういう立場に立って、まず大平財政が国民にわかりやすくこういうふうに変えていくのだと示すのには、税制の再検討が一番わかりやすいのではないかと私は思うのです。税金の使い方、すなわち予算はなかなかわかりにくい。
あるいは哲学そのものも、個人哲学というか、権利哲学とでもいうか、そういうものがあるようだ。どうも社会連帯感というようなものがどこにもない。こういうような問題が最近の世相として特に私のほうも目につくのであります。 もちろん、基本的には政治家がその職務を十分果たさなければならない。私が申し上げるまでもなく、いまは民主主義国として平和に徹した国柄で立ち上がっておるのだ。