1963-05-09 第43回国会 衆議院 本会議 第21号
その後四月七日午前一時二十五分ごろ、九回目の電話で「被害者宅から約三百メートル離れた昭和通りの品川自動車株式会社の横に駐車している小型貨物自動車の荷台に子供のくつを置くから、母親が一人で来て、そこに金を置いて帰れ。子供は金を受け取ってから一時間以内に返す場所を指定する。これが最後だ。」という旨を述べたのであります。
その後四月七日午前一時二十五分ごろ、九回目の電話で「被害者宅から約三百メートル離れた昭和通りの品川自動車株式会社の横に駐車している小型貨物自動車の荷台に子供のくつを置くから、母親が一人で来て、そこに金を置いて帰れ。子供は金を受け取ってから一時間以内に返す場所を指定する。これが最後だ。」という旨を述べたのであります。
その後、四月七日午前一睡二十五分ごろ、九回目の電話で、「被害者宅から約三百メートル離れた昭和通りの品川自動車株式会社の横に駐車している小型貨物自動車の荷台に子供のくつを置くから、母親が一人で来て、そこに金を置いて帰れ。子供は金を受け取ってから一時間以内に返す場所を指定する。これが最後だ」という旨を述べてきたのであります。
その後四月七日午前一時二十五分ごろになりまして、九回目の電話におきまして、被害者の宅から約三百メートル離れました昭和通りの、品川自動車株式会社のわきに駐車しておる自動車に子供の靴を置くから、そこに母親一人で来て五十万円を置いていけ、こういう連絡がございました。
その後、四月七日午前一時二十五分ごろ九回目の電話で「被害者宅から約三百メートル離れた昭和通りの品川自動車株式会社の横に駐車している小型貨物自動車の荷台に子供のくつを置くから、母親が一人で来て、そこに金を置いて帰れ。子供は金を受け取ってから一時間以内に返す場所を指定する。これが最後だ。」という旨を述べたのであります。