1950-04-10 第7回国会 参議院 法務委員会 第22号
私は丹羽とは官房主事時代に知合いとなつたもので、それは当時の品川署長土田精が丹羽が家を焼かれて困つているからと頼みましたことからであります。岡崎とはその後間もなく土田の紹介で同人から岡崎の家のことを頼まれて知合いとなりました。丹羽五郎は喬四郎の弟ですから、同人の紹介でその後間もなく知合いになりましたが、頭山は知りません。上村健太郎も丹羽の紹介で知りました。
私は丹羽とは官房主事時代に知合いとなつたもので、それは当時の品川署長土田精が丹羽が家を焼かれて困つているからと頼みましたことからであります。岡崎とはその後間もなく土田の紹介で同人から岡崎の家のことを頼まれて知合いとなりました。丹羽五郎は喬四郎の弟ですから、同人の紹介でその後間もなく知合いになりましたが、頭山は知りません。上村健太郎も丹羽の紹介で知りました。
○委員長(伊藤修君) 土田さんが品川署長当時、土田さんが警視庁の幹部を舟遊びに招待したと、そういうようなことはありますね。
○証人(岡崎格君) この土田精三と伊藤鑛壽が知合いになりましたのは、土田が品川署長の頃に、伊藤が協会長の紹介で初めて紹介をされた。そうして伊藤は品川防犯協会長、それから後援会の副会長に就任した、こういう関係なんであります。終戦前その土田署長の依頼で、昭和十九年頃に丹羽喬四郎、岡崎英城の二人のために、戦災に遭つたので自分の持家を貸しております。
○委員長(伊藤修君) その供述書の中に、これから申上げるようなことがありますかどうか、お答え願いたいと思いますが、第一に土田精三との交際関係、特に土田が品川署長在任中の行動に関する事実や、土田のために世話したり、土田の世話になつたりした事実、第二に岡崎英城、丹羽喬四郎等との知合関係のこと、電気クラブに貸して、それを丹羽に返して貰ろうまでの経過、第三に電気クラブで岡崎、丹羽が会合を開いた回数、出席者氏名中