1954-01-27 第19回国会 衆議院 本会議 第5号
この際、私は、諸君の御同意を得て、つつしんで哀悼の辞を述べたいと存じます。(拍手) 君は、茨城県土浦市の御出身でありまして、昭和五年三月東京帝国大学経済学部を卒業の後、ただちに三井物産に入り、実社会の修練を積まれること十有四年の後、退社して霞浦造船所の常務取締役に就任、大いにその前途を嘱望されたのでありました。時に昭和十九年、爾来その業績はますます充実発展して今日に至つておるのであります。
この際、私は、諸君の御同意を得て、つつしんで哀悼の辞を述べたいと存じます。(拍手) 君は、茨城県土浦市の御出身でありまして、昭和五年三月東京帝国大学経済学部を卒業の後、ただちに三井物産に入り、実社会の修練を積まれること十有四年の後、退社して霞浦造船所の常務取締役に就任、大いにその前途を嘱望されたのでありました。時に昭和十九年、爾来その業績はますます充実発展して今日に至つておるのであります。
まことに痛惜哀悼の至りにたえません。 この際、弔意を表するため佐藤洋之助君から発言を求められております。これを許します。佐藤洋之助君。 〔佐藤洋之助君登壇〕
衆議院ハ議員原彪君ノ長逝ヲ哀悼シ恭シク弔詞ヲ呈ス この弔詞の贈呈方は議長においてとりはからいます。 ————◇—————
まことに哀悼の念にたえません。そこで同君に対する院議をもつてする弔詞贈呈の件をお諮りいたします。これは前例もありますので、追悼演説者の人選、弔慰金の贈呈、それから議員一同からの香典ですが、前例によりますと、この追悼演説は、選出県のその区の反対の立場にあつた人がやるということになつております。弔慰金は歳費の一年分、これもきまつております。議員一同からの香典も、一人三百円ずつが従来の慣例であります。
なお本日哀悼演説は堂森芳夫君が行う予定になつております。なお国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律、第十二条に基きまして、御遺族に対して、議員歳費の一年分を弔慰金として差上げることになつております。金額は九十三万六千円であります、予備金に関する法律第二条に基きまして、本議院運営委員会のご承認をお願い申上げたいと思います。
午後五時四十六分散会 ─────・───── ○本日の会議に付した事件 一、故議員林了君に対する哀悼の辞 一、議員派遣の件 一、日程第一 奄美群島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定の締結について承認を求めるの件 一、奄美群島の日本復帰祝賀決議案
誠に痛惜哀悼の至りに堪えません。同君に対しましては、議長はすでに弔詞を贈呈いたしました。 堂森芳夫君から発言を求められました。この際、発言を許します。堂森芳夫君。 〔堂森芳夫君登壇、拍手〕
哀悼演説につきましては、所属が外務委員会でありますので外務委員長にお願いいたすことにいたしたいと存じます。(「異議なし」と呼ぶ者あり) つきましては、国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律に基きまして、第十二条に「議員が死亡したときは、歳費一年分に相当する金額を弔慰金としてその遺族に支給する。」ことに規定されております。この金額は歳費が七万八千円でありまするので、九十三万六千円でございます。
○委員長(草葉隆圓君) 弔詞の贈呈、哀悼演説等は、只今事務総長から申上げました通り決定して御異議はございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
参議院は、議員加納金助君の長逝に対しまして、つつしんで哀悼の意を表し、うやうやしく弔詞をささげます。 〔拍手〕 —————・—————
弔詞の例文は「衆議院ハ多年憲政ノ為二尽瘁シ特二院議ヲ以テ其ノ功労ヲ顕彰セラレタル正五位勲二等原夫次郎君ノ長逝ヲ哀悼シ恭シク弔詞ヲ呈ス」 これは例文でございます。これを差上げたいと思いますので、御了承願いたいと思います。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
私どもは個人としては白尾泰蔵氏がなくなられたことに対しては、衷心から哀悼の意を表するにやぶさかではありませんが、警察の取調べが苛酷であつたことが原因で死なれたということについては、私はそういうふうに思つておりません。
なおそのほかに職員及びその家族の罹災も、死者十四名、負傷者六十八名、住宅四千八百戸を算する状態でありまして、われわれは深く哀悼の感を抱いておるものでございますが、これらの施設の復旧には約二十億を要する広汎、深刻なる惨禍をこうむつたのであります。
この際、私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表いたし、つつしんで哀悼の辞を述べたいと存じます。 君は、大正元年、北海道函館市に出生せられました。昭和十四年東京歯科医学専門学校を卒業後、同年夏、興亜院事務嘱託として華北連絡部に勤務せられ、次いで日本大使館に転じ、終戦に至るまで大陸に活躍せられました。
まことに痛惜哀悼の至りにたえません。田中君に対する弔詞は、議長において先例によりすでに贈呈いたしました。 この際、同君に対し弔意を表するため、館俊三君から発言を求められております。これを許します。館俊三君。 〔館俊三君登壇〕
まことに痛惜哀悼の至りにたえまえん。この際、僭越ながら、私は、諸君のお許しを得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼の辞を述べたいと存じます。(拍手) 中君は、富山県のご出身でありますが、横浜市を第二の故郷として、この地と人に親しまれたのであります。
衆議院ハ議員正五位中助松君ノ長逝ヲ哀悼シ恭シク弔詞ヲ呈ス この弔詞の贈呈方は議長においてとりはからいます。 ————◇—————
まことに痛惜哀悼の至りにたえません。 この際、弔意を表するため、三浦寅之助君から発言を求められております。これを許します。三浦寅之助君。 〔三浦寅之助君登壇〕
われわれ一同まことに痛惜哀悼にたえない次第でありまするいずれ、後刻中君に対する弔意その他の件はお諮りいたすつもりでありますが、一同にかわりまして、一言哀悼の意を表する次第でございます。 ―――――――――――――
昨日の委員会におききまして、質疑を終り、討論の段階に入りましたところ、野本委員は、過般の戦争において挺身して祖国防衛に当り死亡した南西諸島の小学校教員、文官待遇職員、中学校教員、警察官、千百余名の人々の霊に対し衷心、哀悼感謝の意を表して、原案に賛成する旨の発言がありました。 続いて原案につき採決をいたしましたところ、全会一致を以て可決すべきものと議決せられました。 以上御報告申上げます。
○大久保委員 ただいま農林大臣の非常に力強いお言葉を承りまして、私非常に感激いたしておりますが、農地事務局におきましても、そこの建設部長が一家全滅して水害の犠牲になられましたことは、私は深甚の哀悼の意を表しておる次第でありまして、かくのごとき大犠牲を払つた農地事務局が耕地の復興のために立ち上つておられることは、私はきわめて尊敬をいたしておる次第であります。
このことに対しましては、心から哀悼の意を表しますると同時に、家を失い、田を、畑を失い、又、家財商品等を失われました諸君に対しましても、心からなる同情の意を表するものでございます。 なお又、今回のこの災害に当りましては、米駐留軍はじめその他の諸外国から与えられた御同情に対しましても、国民を代表し、心からお礼を申上げたいと存じます。
○犬養国務大臣 今お話の川上という人が、選挙違反事件に関しまして自殺をするに至つたことは、国民に対してもまことに遺憾であり、深く哀悼の意を表している次第であります。お尋ねの拷問があつたかどうかという点につきましては、いわゆるわれわれの概念における拷問というものは、なかつたという調査の結果になつております。
ここに同君の生前を回顧し、哀悼の辞を捧げたいと存じます。 工藤君は、明治八年青森県に生れ、長じて日本大学を卒業後、長く操觚界並びに教育界に生涯を捧げられたのでありますが、一方、政界に志を有せられて、大正十三年以来七回に亘つて衆議院議員に、又昭和二十五年には青森県から本院議員に当選せられ、懲罰委員長その他者常任委員となり、憲政のために尽されましたところは多大なものがあつたのであります。
誠に痛惜哀悼の至りに堪えません。 村尾重雄君から発言を求められました。この際、発言を許します。村尾重雄君。 〔村尾重雄君登壇、拍手〕
参議院は、議員正五位勲三等工藤鐵男君の長逝に対しまして、謹んで哀悼の意を表し、うやうやしく弔詞を捧げます。 —————・—————
○委員長(草葉隆圓君) 只今の相馬君の御意見のように、所属いたしておられました委員会は人事委員会と存じまするが、人事委員長において哀悼の演説をいたされることに御異議ございまんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
なお哀悼の演説をいたしまするにつきまして、御相談をいたしたいと思います。
○委員長(草葉隆圓君) 只今事務総長から御報告申上げましたように、議員工藤鐵男君が御逝去になりました御通報に接しまして、誠に哀悼に堪えない次第でございます。 つきましてはこの逝去について弔詞を贈呈し、且つ哀悼の演説を本会議においてなし、なお弔慰金を参議院から差上げるという従来の慣行によりまして、これらの点について御協議を頂きたいと思います。
私の率直な感じですけれども、主義主張は違つても、とにかくスターリン首相の死に対しては、やはり私どもは人間として哀悼の意をささげていいと思うのです。ですから政府としても、何らかの形で弔意を表された方が、将来のためによかつたのじやないかと思う。またこれが人道主義に立脚するものではないかと思つたのですが、この点外務大臣はどのようにお考えになつておりますか。