2010-10-21 第176回国会 参議院 総務委員会 第2号
そんなことも併せて念頭に置いて、ロシアの沿海州、それから韓国の江原道、それから中国の吉林省、それからモンゴルの中央県、そこに北朝鮮も咸鏡北道か羅先市かどこかが入ってくれないかなという、そういう構想でいざないに行ったわけであります。 そのときにそんな署名するはずがありません。
そんなことも併せて念頭に置いて、ロシアの沿海州、それから韓国の江原道、それから中国の吉林省、それからモンゴルの中央県、そこに北朝鮮も咸鏡北道か羅先市かどこかが入ってくれないかなという、そういう構想でいざないに行ったわけであります。 そのときにそんな署名するはずがありません。
先ほどごらんいただきましたテポドンの発射基地でございますけれども、まさに中国の吉林省と接した咸鏡北道というところにありまして、去年の暮れから緊急にこの咸鏡北道という地域へ物資を運ぶ必要があったというふうに考えるのがむしろ自然ではないだろうかと思うわけでございます。
韓国政府の発表では、先生今御指摘になった咸鏡北道上坪里が震源とされていたわけでございますが、十三日に気象庁やCTBTO等の分析結果に近い場所に修正した、韓国政府の方は後から修正したというふうに承知をしております。
この十六日に、先ほどから出ておりますネグロポンテ、アメリカの国家情報長官声明で、その場所の話ですけれども、咸鏡北道吉州郡豊渓里、ここの核実験場と見られる場所であったのではないかという話もありました。当初は、場所の方は、北緯四十・八度、東経百二十九・一度、咸鏡北道金策市上坪里付近ともされておりました。
私どもが北朝鮮社会に配置されたのは、咸鏡北道の清津市というところの機械工場でした。この工場は、炭坑関係の附属部品をつくるところでありました。この炭坑関連の機械をつくる工場ですけれども、当時、金日成から、高射砲をつくってこの地域を守れ、そういう指示がおりました。 この工場は、第一工場、第二工場とあるんですけれども、最初の工場では四十ミリ砲、そしてもう一つの工場では弾薬をつくりました。
それからハムギョンプクドウ、咸鏡北道七千トン。それから南浦市、これが二千トン。リャンガンドウ、両江道ですが、二千七百トン。最後にチャガンドウ、慈江道と書きます、こちらが二万八千五百トン。 以上を合計いたしまして十五万トンの配付状況をお示しした次第でございます。
咸鏡北道の一部です。だれが考えてもシベリア方面に相当の人を集めるということになりますと、生活必需品の兵たん基地が要る。その一部として中国の東北部分あるいは北朝鮮が組み込まれてきたんだろうか、そうなってくると、さらにそれからずっとおりてきて、三十八度線をめぐるあの対決というのは、単に朝鮮半島の中の問題にとどまらないんだろうかという変化が何か私はありそうな気がするんです。
韓国との関係とか、北鮮の引揚者、咸鏡北道にたくさんいる人々の引揚げなどの問題が残っておる。また没収日本人財産返還法という米国で審議中のやつがある。こういうようなものは一括して国際的な、法律的な研究をする機関が要ると思うのです。それを今これで厚生省所管事項として片づけてしまうと、そういう問題をだれがやるか。引揚同胞対策審議会設置法は残っておる。