2020-03-10 第201回国会 参議院 外交防衛委員会 第3号
えっ、何の話って私確認しましたら、和式トイレ、これを見たときに、いやもうあり得ないと、今の若い子たちが。 確かにそうですね。家が和式トイレで育った世代っていうと、多分、我々の、今の四十代ぐらいまでじゃないかなと。その下の子たちというのは、家も、それから、言ってみたら学校も含めて、洋式の座る形のトイレしか見たことがない。それが部隊に入ったら和式トイレがまだある。
えっ、何の話って私確認しましたら、和式トイレ、これを見たときに、いやもうあり得ないと、今の若い子たちが。 確かにそうですね。家が和式トイレで育った世代っていうと、多分、我々の、今の四十代ぐらいまでじゃないかなと。その下の子たちというのは、家も、それから、言ってみたら学校も含めて、洋式の座る形のトイレしか見たことがない。それが部隊に入ったら和式トイレがまだある。
○山崎政府参考人 先生おっしゃるとおり、平成二十八年度、これは四月一日ですけれども、その調査によると、公立小中学校の全便器数のうち、洋式は、校舎は四四・六%、体育館では四二・二%というふうになっておりまして、今後、トイレの整備に際して、和式トイレよりも洋式トイレを多く設置する方針の地方公共団体が全体の八五%ございます。
洋式トイレのことも調べていただいたということで、本当に今、子供たちの世代というのは和式トイレじゃなくてみんな洋式トイレなので、学校へ行っても使い方がわからない。 それと、エアコンも、地球温暖化が進む中で、本当に夏休み前も暑い、また夏休み明けも暑い。この間、静岡市の議員がおっしゃっていましたけれども、温暖でいいところだと思うけれども、静岡も暑いんですよという話がございました。
避難所に多く占める高齢者には和式トイレが使えない方が多く、大変苦慮されたと書いてありました。高齢者や車椅子使用者などが使えないなどは、先ほど述べたとおり、その実態は熊本の村上市議からも伺わせていただきました。また、仮設トイレも同様で、段差等があり使えないということでありました。
本年四月に起きた熊本地震では避難所である学校施設において和式トイレが敬遠されたことや、学校設置者のトイレ改修の需要が高まったことを踏まえまして、まずは現状を把握するために本調査を実施しております。 その結果、公立小中学校におけるトイレの全便器数は約百四十万個であり、そのうち、洋便器数は約六十一万個、和便器数は約七十九万個でございました。
高齢社会になり、和式トイレの使用が困難であるということもあり、公共トイレでも洋式の設置や交換が非常に多くなりました。誰にとっても使いやすいことが全員参加型のユニバーサル社会、ユニバーサルデザインの根本思想であろうかというふうに思います。 世界的に見ても競争力のある日本の高機能トイレでも、まだまだ課題があります。
実は、平成十六年に起きました新潟県中越地震で私が現場に行きましたときに、やはり小学校、中学校の避難所になったところで、大体元気な子が跳びはねるので、和式トイレが二つ、三つしかないというのが体育館のトイレの相場でございました。
近年、生活スタイルの変化により洋式トイレが一般的になり、子供たちがいわゆる和式トイレを使えないという状況が起こっているというふうに認識しているわけであります。生徒児童たちにとってはかなり深刻な問題となっているようであります。早急に改善しなければならないと考えておりますけれども、この点につきましても馳大臣のお考えをお願いいたします。
ただ、高齢社会ということで、皆さん、膝が痛いなどで和式トイレは勘弁してくれ、洋式トイレの割合を増やしてほしい、また車椅子が入るだけのドア、横幅が設定されていないなど、共通化をしたらかなり全国のトイレが、公衆トイレが楽になるのにというところがございますので、そういう問題意識は関係省庁と働きかけています。
また、外国の方、障害の有無、あるいは高齢者の方には、和式トイレや、余りにも多過ぎるボタンがどこを押せばいいのかわからないという、今インバウンドの外国の方からも苦情が出ている次第でございます。 あと、災害が多いので、日本のトイレを災害に強いトイレにしなきゃいけないということでございまして、そういう意味では、本当に各省庁にまたがったトイレの普遍的なことを内閣官房で取り扱っている次第でございます。
すぐ分かりました、和式トイレ使えないんですね。洋式トイレの前にずっと並んで、それは欧米系だけではなくて、アジア系の方もそこにいらっしゃっている。だから、そういう問題をこれから考えていかなければいけないんだというふうに思っております。
そうすると、和式トイレ、大変になる。実際に、腰の悪い人あるいは膝が悪い人が、和式トイレ、座るのはできるんだけれども、立ち上がることができない。実際に救急車が出動するようなケースも現れているということを考えると、和式も残っていいんだけれども、やはり洋式というものを高齢社会においても増やしていかなければいけないだろうというふうに私は考えております。
参議院の議員会館には和式トイレが二つあるということを今回初めて知りましたけれども、やはり会館は新しいですから、圧倒的に洋式になっております。しかし、左側を見ていただきましたら、JR東京駅、新宿駅、あるいは上野公園を見ますと、東京駅、新宿駅は台帳管理をしていないから和洋の区別は数が分からない。
私どもが入ったときに、避難所は、タイルの上にブルーシートが敷かれて、畳もない、間仕切りもない、場所によっては和式トイレしかない、そうしたところで、一日に、内閣府の方を中心にして、要望をさせていただきました。我が党の鹿児島の県会議員、それから町会議員の方からも地元で要望書を出したところでありますけれども、テレビ報道等で見る限りは、大きく改善されているというふうにお見受けしました。
それで、和式トイレでもありますし、ベランダなんかはこれもうさびついてしまっていて、布団はとても干せないような、そのような状況でした。杉さんと一緒に状況を確認したんですが、杉さんも、こんな状況ですと、若い職員の人が例えば結婚してお嫁さんをここに連れてこれるかというと、これは無理だよねというようなことも非常に言っておりました。本当にそのとおりであるなと。
御指摘のとおり、和式トイレも多く残っている現状にございます。 今後、国立公園を訪れる外国人観光客の数が増加していくという状況に対処するためにも、外国人にとっても快適に利用できる公園利用施設を整備する必要があると考えております。
これは、上限五十万円、三分の二の補助率なんですが、例えば、お店がチラシを印刷して新聞に折り込むとか、商談会に参加する運賃、交通費だとか、あるいは、新しいお客様を、私も地元で言っているんですけれども、若い人たちに飲食店に来てもらおうと思ったら、和式トイレじゃだめだから洋式トイレに切りかえるとか、あるいは、畳、座敷だったらきついのでテーブルを置くとか、そういうことに、上限五十万円ですけれども補助金を出す
今回、初めての予算として、個店対策として三分の二の補助、上限が五十万円なんですけれども、例えば飲食店が和式トイレだ、そうするとお客さんが来にくい、洋式トイレにかえよう。あるいは、ホームページに載せる、これも、やはり自分でホームページはつくれないから、外注するとお金がかかる。
私も三度被災地に入りましたが、入る中で、避難所の中でお年寄りの方とお話をした際、やはりトイレの不便を大変感じたという声がたくさんの方から聞かれまして、トイレに関しても和式トイレを洋式トイレにかえるなど、こういった試みも含めて早い整備を、他省とも連携をしながら、今後の補正予算や来年度予算を含めて予算措置をお願いしたいと思っておりますが、いかがでしょうか。
この間、避難所として利用されるに当たって、例えば学校というのは和式トイレが多いものですから、御高齢の方々や足の悪い人たちだとなかなか使いづらいということもございますし、シャワーを備えてみるというのもいいんじゃないだろうかというような、さまざまな意見もあったわけでございます。 今回、実はこの地域の国公私立学校、被害を受けた施設は七千八百八十七校に上っております。
トイレになった時点で、その切りかえがうまくいかなかった、あるいは家庭や一般生活に洋式トイレが入ってきたときにすごく不安になった今の六十代、七十代世代の方も、あればなんですけれども、しかしながら、今の子供たち、あるいはその子供たちの御家庭の親御さんたちの多くの声は、トイレ自体が使い方がわからなかったり、使えなかったり、余りにも洋式トイレに本当に毎日の生活でなれてしまっているものですから、小学校前に和式トイレ
なお、トイレを改造する際に、和式トイレを洋式トイレに変更することも当然のことながら補助の対象と認められているところでございますので、設置者の判断により適切に整備をしていただいているところでございます。 私ども、状況を見ますと、和式のトイレしかないところについて改造する場合は、大体、併設型のトイレというような形で改造が進んでいるようでございます。
何かぞっとするようなお話なんですけれども、先ほども、有村委員ですか、トイレの話をなさいましたが、私もあるお母さんの話を聞きましたら、入学前の説明会、小学校入学する前の説明会で、お母さん方に、和式トイレの使い方を子供たちに事前指導して入学させてくださいというふうなお願いがあったそうです。
せめて和式トイレを改造して洋式にするとか、またおむつ交換のときのベッドがわりに、ボックス席を取り外して長いす席にかえるとか、そういうようなことをもう少し研究してもらえぬものなんだろうかという訴えです。 私は、学校を卒業するに当たって、修学旅行というのは一つの語りぐさに生涯の中に出てくると思う。