1962-10-29 第41回国会 衆議院 文教委員会文化財保護に関する小委員会 第1号
それより前には芦屋に住んでおる乾山研究家の山田多計治氏、根津美術館の奥田直栄氏、画家で文字の研究家である加瀬藤圃氏、乾山会会長の相見香雨氏、独立美術の小林和作氏、京都の陶芸家の加納白鴎氏、日本陶磁器協会の梅浜彦太郎理事長、こういう人たちは以前にみな黒説を発表しておるのであります。
それより前には芦屋に住んでおる乾山研究家の山田多計治氏、根津美術館の奥田直栄氏、画家で文字の研究家である加瀬藤圃氏、乾山会会長の相見香雨氏、独立美術の小林和作氏、京都の陶芸家の加納白鴎氏、日本陶磁器協会の梅浜彦太郎理事長、こういう人たちは以前にみな黒説を発表しておるのであります。
特に私はここで申上げて置きたいと思いますことは、日発側から社外重役をたくさん入れろという一番中心的なものは、本院におきましても証人として意見を述べられておつたところの例えば関東の新井章治氏であるとか、或いは関西の池尾芳藏氏であるとか、或いは九州の村上巧兒氏であるとか、或いは同じく関東の名取和作氏であるとか、こういう、こちらから推薦したところの、日発側から推薦したところの人は一顧だに加えずに、全部これはそのまま
政府委員 公益事業委員会 委員 松永安左エ門君 公益事業委員会 事務総長 松田 太郎君 公益事業委員会 経理長 中川 哲郎君 事務局側 常任委員会専門 員 林 誠一君 説明員 公益事業委員会 委員 宮原 清君 証人 新井 章治君 名取 和作君
○証人(名取和作君) 補足したいことがありますので……、先刻私はこの人事問題について日発の人たちが小坂邸を立つて、通産大臣邸に向つた。そのあとから私は出かけて行つて、子供に今申上げたようなことを含めて松本委員長に会いましたそのときに、私はすぐに神戸へ帰りましたから、こういうことを松木委員長に申し送つたということを、小坂総裁には通じませんでした。そのことを附加えておきます。
……証人名取和作君、宣誓書を御朗読願います。 〔総員起立、証人は次のように宣誓を行なつた〕 宣誓書 良心に従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。 証人 名取 和作
ところが名取和作君は、二十七日朝私のところを尋ねて長く話した結果、承知しておつた。息子さんは事情を知らないから、親父よりは需用家の代表として富士電機の社長和田君を推したほうがいいということを前に言つたことがあるから、そう申込んだという話です。名取君は先日私のところへ来て厚意を受ける受けると言つておつたのを、それをいかんといつてお断りになるのは、実に乱暴だと思う。
それに対して松本君からお話がありましたが、私の親友の名取和作君が二十七日に私のところに遊びに来まして、君もひとつ苦労だろうが一役買つてくれないかということでお願いして、名取君の名を書いて出した。それから村上巧兒君もそういう侮辱を受けて気の毒だと思いましたから、どうするかと言つたら、君が推薦するならば出るというようなことを言つたことがあります。
名取和作さんが実は二十七日のときに総裁の家に見えまして、そういうことなら自分は出よう、こういう約束をせられたのでありますが、御令息のかたで新聞記者のかたが、おやじが出ることは困るということで断つて来られたのであります。これは御本人に連絡があつたかどうか知りませんが……。それからもう一つは九州の村上巧兒さんであります。この人が就任を断られた。