1997-04-24 第140回国会 参議院 内閣委員会 第8号
○政府委員(首藤新悟君) 座間以外は厚木海軍飛行場におきます家族住宅、育児所等、それからあとは相模総合補給廠、さらには吾妻倉庫地区、それから横須賀海軍施設でございます。
○政府委員(首藤新悟君) 座間以外は厚木海軍飛行場におきます家族住宅、育児所等、それからあとは相模総合補給廠、さらには吾妻倉庫地区、それから横須賀海軍施設でございます。
それから吾妻倉庫、秋月弾薬庫倉庫、それから九四年には富士営舎の地域における道路、硫黄島通信所における貯油施設、川上弾薬庫における倉庫の建設、九五年度には厚木飛行場における駐機場の整備、嘉手納における貯油施設、キャンプ瑞慶覧の道路整備。
それから吾妻倉庫地区というのがありますが、今これは貯油施設として使っておりますので、保安上建設ができない。それから深谷通信所等々でございます。したがって、最終的にはまとまった住宅建設用地としては池子以外にはないんだという結論に達したわけでございます。
○峯山昭範君 この間事故のありましたところは燃料タンク二十八基でございますか、それでいまおっしゃった吾妻倉庫地区というのは何か三十七基ある。違いますか。それから鶴見の貯油施設というのは十九基あると聞いておりますけれども、ちょっと違いましたら正確な数を……。
それから吾妻倉庫地区が三十八基でございます。
○政府委員(伊藤参午君) 米軍貯油施設としまして神奈川県にございますタンクとしましては、そのほかに横須賀に吾妻倉庫地区がございまして、ここに貯油タンクを持っております。
その後、本年の三月、吾妻倉庫地区、海上自衛隊が共同使用することになりましたので、ここが候補地になり得ないかということで検討いたしましたが、現在までのところ保安規則その他移転候補地の一つになり得るというふうにわれわれ考えております。今後市側あるいは関係先と調整をいたしまして、その方向で市側の御計画に沿えるように最大限の努力をしたいと思っております。
最近、御承知のように吾妻倉庫地区というのが日米共同使用ということで承認をされました。吾妻ということで検討いたしますと、保安基準その他の関係から言いまして、一応比与宇弾火薬庫の移転先になり得るのではないかということで、現在私どもで検討しているところでございまして、今後そういった線で市当局その他関係機関とも調整を進めていきたい、このように考えております。
○多田政府委員 この問題につきましては、一応市当局の御意向、あるいは跡地利用に関する市当局の御計画その他の関係もございましょうと思いますし、さらに吾妻倉庫地区に移すということでございますと、それに先立ちます施設の整備というような問題もございまして、現段階ではっきりいつごろということをちょっと申し上げかねる状況でございますが、鋭意市当局等とも御相談をしながら、できるだけ早い時期に実現するような方向で努力
それから吾妻倉庫地区は化学消防車が三台、オイルフェンスも準備されております。それから佐世保関係は、ただいま先生の方からお話がありましたので省略させていただきます。ただ、佐世保におきましてはただいま先生の方からお話がありましたタンク車、それから化学消防車それぞれ相互的に応援し合って消火に当たるというふうに聞いております。 大体以上でございます。
吾妻倉庫地区がタンクの数が九十五で容積が三十九万キロリットル、それから小柴貯油施設がタンク数二十一で四十二万キロリットル、それから鶴見貯油施設がタンク数十八で十二万キロリットルであります。
——消防庁の方で、いま三菱の水島製油所のタンク事故をきっかけにして全国の石油タンクの総点検をやられたわけですが、たとえば、いま吾妻倉庫地区九十五タンクというお話もありますが、こういう米軍の方の貯油施設やタンクの状況については、状況はつかんでおられますか。
ですから、これは次回に譲るといたしまして、さらに具体的なことでお尋ねをしておきたいと思いますが、横須賀の吾妻倉庫地区及び浦郷倉庫地区、弾薬庫がございますが、これを点検されたことはおありですか。防衛庁、御答弁いただきたい。
それで、在日米軍の貯油施設は、八戸貯油施設、それから小柴、鶴見、吾妻倉庫地区、それから赤崎、奄崎、横瀬、針尾島弾薬集積所、ホワイトビーチ、那覇港湾施設、陸軍貯油施設というように、弾薬集積所も実際は貯油施設として使用している。これは防衛庁から、ことしの一月に私のほうへいただいた資料の中にあるわけですが、これの貯油容量というのは、あるいは貯油可能な量ですが、それはどれくらいのものになるのですか。
貯油施設の容量でございますが、横浜の小柴にあります貯油施設が四十一万キロリットル、それから鶴見にございます貯油施設が十三万キロリットル、それから八戸は、これはあそこでタンカーから揚げまして三沢のほうへ送っておりますので、容量が少なくて一万キロリットル、それから横須賀の吾妻倉庫地区にございますのが四十万キロリットル、それから西のほうで佐世保に参りまして、赤埼貯油施設というのがございますが、これが百五十七万
吾妻倉庫地区というのがありまして、吾妻倉庫のほうには爆雷、魚雷、これが中心です。そこにいろいろ運び出した。一月から二月の七日までに二百台のトラックで集積をしたつまり池子の弾薬貯蔵所から運び出した。これで浦郷、吾妻のほうに持っていった。ここまではわかっている。
それから名古屋調達事務所、神戸港湾ビル、博多輸送事務所、神奈川ミルクプラント、相模総合補給廠、米陸軍出版センター、八戸LST係留施設、所沢補給廠、富岡倉庫地区、小柴貯油施設、鶴見貯油施設、横浜冷蔵倉庫、鶴見野積場、横浜貯油施設、池子弾薬庫、吾妻倉庫地区——これは海も使っております。それから追浜海軍航空隊施設——名称は海軍ですが、陸軍の所管です。