2000-12-07 第150回国会 衆議院 憲法調査会 第6号
我が憲法上、天皇の大権の前には議会の存在なく、国民の生命、自由、財産の保障もない、憲法の明文を遵奉して極端なる君主政治を実現することを得るは我が憲法の特色である、天皇大権を使えば極端なる君主独裁政治を実現することもできるということを言っているわけです。 この時点では、まだ統帥権の問題はほとんどあらわれておりません。
我が憲法上、天皇の大権の前には議会の存在なく、国民の生命、自由、財産の保障もない、憲法の明文を遵奉して極端なる君主政治を実現することを得るは我が憲法の特色である、天皇大権を使えば極端なる君主独裁政治を実現することもできるということを言っているわけです。 この時点では、まだ統帥権の問題はほとんどあらわれておりません。
もともとデモクラシーは、君主政治、貴族政治と並ぶ政治の形態であります。その民主政治を支えている平等の原理や集団意思決定の際の多数決原理などは、一つのイデオロギーとして、すなわち民主主義として大人同士の社会一般にも適用されるものでありますが、もともとは政治の原理であります。
ところがそういう精神的な支柱がない、あるいは君主政治というものがなくなった、そして民主主義というものになった。しかし、民主主義というものは漠然としておって、それが精神的な支柱になり得ていない。
アメリカのリンカーンは、民主政治は長く権力を握っていると腐敗をして君主政治になる、だから私は二期以上大統領をやらぬと言って、彼は素直に大統領をやめた。それがアメリカの歴史になり、今日、アメリカの大統領は二期以上できない法律になっている。憲法で決めてある。福田さん、まだ二年で帝王や君主の思想になっちゃいけません。民主でなければいけない。それは耳を謙虚に傾けるという姿勢なんであります。
縦割り制度を一番盛んにやっておるのはアメリカだと思いますが、やっておる例がたくさんありますので、それも一応検討してみましたが、それに対しましては相当熟練した人がいなければ——縦割りというものは統制制度ですから、君主政治みたいなものですから、その人の命令によってはっきり動いていく、横にはいっていないということで、確かに能率的なものだと思いますけれども、遺憾ながら、今当社におきましては、縦割り制度をやるだけの
そうして忠誠ということは、一体君主政治においては忠誠ということはよくわかりますけれども、民主主義においての忠誠ということはどういうことになるのでしょうか。これはまだ私にはよくわからない。国民に対してお互いに国土を守るということが忠誠ということならば、国土を守る義務ということを国民全体が考えるということは適当でありまたなさねばならぬことだと思います。
○国務大臣(鳩山一郎君) 戦前におきましては民主主義ではなく、主権が国民にあったわけではないのでありまして、君主政治であった。そうして一身を犠牲にする、こういうことに主点を置いて教育をしてきた。これからは自分自身というものは尊いものだということを教えていく必要があろうと思います。そこが違うと思います。
これは君主政治でありますから、最後には天皇が三権の対立を調節せられるというようなことになつておりました。今のような民主主義になりますとそこらのところに疑問が起る。長くなりましたが、憲法裁判所を考えるよりも、もう少し前に憲法の円満な運行ができるように一種の憲法裁判所、その他の憲法争議のための裁判所が何か必要であるのじやないかというような気がしております。
古い時代、君主政治のときには割合に楽でありまして、君主がこれを決定する。君主は一国の権威者として国民が信頼しておる、事実は別といたしましても、そういう建前が成立いたしまするので、そこで明治憲法の時代には、枢密院に諮詢して天皇が御決定になるということで、一ぺんだけはこれが行われております。
○大達国務大臣 私は、教育勅語が主権在君といいますか、君主政治そのものを教育勅語によつて主張しているものとは思いません。しかしながらいわゆる立憲君主制下におけるさような状態を前提として、ものの言い方がそれを前提とした言い方になつている。これはその通りだと思います。ただ教育勅語それ自体は、いわゆる主権は君主にあるのだという政治的な考え方を主張しておるとは思いません。
速記録をごらんくださればよくおわかりのように、教育勅語はあの形態においては、いわゆる君主政治の時代であつて、内容がみな君民の間の関係になつております。その点はいけないと思つております。しかしながらあそこに書いてありますところの「夫婦相和シ朋友相信シ」というようなことは、いつでも、どの世の中でも、世界のどこへ行つても通ずるものだということを私は申し上げた次第でございます。
そこで戦後民主主義にかわつた、すなわち君主政治から民主主義にかわつた。その民主主義におけるところの社会に人間の本性がちやんと合うようにやつて行く、こういうふうに行かなければならぬと思います。教育基本法というものは、教育勅語にかわるべきものだということで、できておるはずでございますけれども、毎日々々個人が自分の行動を整理して行くということには少しほど遠いわけであります。
要しますのにただいまは混乱時期でございまして、独立して一年になるとかならぬというような考えもございますけれども、御承知の通りに百八十度の転換をした、君主政治から民主主義になつて、その民主主義をいよいよわれわれの手によつて手放しで自由にやつて行けるということになつてからまだ一年になりません。少くとも占領下におきましては、われわれが考えておりましてもその通り行かない情勢であつた。
君主政治から民主政治に変つた。ここでこの思想というものが転回をしておりながら、言葉というものはやはり今まで使われたものが変つていない。即ち漢字思想が入りましたときには、漢字を以て思想が入つて来た。でございますから、今回こういうような百八十度の転回をしました場合には、やはり民主主義の言葉が新しく入つて来ればいいのですけれども、そういうわけには参りません。
私どもは、君主政治のもとに成長して、天皇陛下をば非常に尊ぶ癖がついておりますから、こんな書き方を見ると、ただただ驚くのほかはございませんので、元の内閣よりも、もつと低い内閣であります。日本の元の内閣は、総理大臣以下一人残らず、天皇陛下のお許しを得なければ任免黜陟はできない。今度の憲法によると、臣民が天皇陛下にかわつて主権を持つ。その主権者が選んだ、比較的たつとい衆議院が指名する。
御承知のように、君主政治のもとにおきましては、君主は最高の統轄者であり、政治の中心でありまするから、崇高なる地位に立つておることは言うまでもないのであります。特別的規定をおきましてその地位を擁護し、その權限を十分に行使せしめる方法をとつておると思うのであります。