2006-10-26 第165回国会 参議院 国土交通委員会 第2号
最近発生いたしました事故に至らないインシデント、輸送障害につきましては、八月に発生いたしましたJR東海名松線の車両逸走のインシデント、さらには、九月に発生いたしましたJR東日本京葉線の東京駅構内の変電所火災によります長時間輸送障害など、鉄道の安全、安定輸送につきまして利用者に不安を与えるようなトラブルが発生しておりますのは、委員御指摘のとおりでございます。
最近発生いたしました事故に至らないインシデント、輸送障害につきましては、八月に発生いたしましたJR東海名松線の車両逸走のインシデント、さらには、九月に発生いたしましたJR東日本京葉線の東京駅構内の変電所火災によります長時間輸送障害など、鉄道の安全、安定輸送につきまして利用者に不安を与えるようなトラブルが発生しておりますのは、委員御指摘のとおりでございます。
○棚橋(泰)政府委員 第二次線、国鉄から申請がありましたうちの岩泉線と名松線という二つにつきましては、運輸省で道路事情その他を調査をいたしましたところ、転換基準から見て無理がある、こういうことで国鉄に再考を促した、こういうことになっております。ただ、それは転換基準がおかしかったということではなくて、その適用の仕方というものの判断においての問題だったというふうに考えております。
加えて、代替バスの運行が極めて困難だという理由をもって岩泉線やあるいは名松線などについて取り扱いが留保されているわけであります。
そこで、具体的なことを申し上げますが、三重県に松阪市から美杉村奥津まで走っておる名松線という列車がありますね。これを一つの例として挙げたいのですけれども、これは御存じのように昨年の台風十号によって大変な被害を受けました。そこで、これは国鉄当局も御存じだと思うのですけれども、私ども県選出の国会議員一同が運輸大臣や国鉄総裁にいろいろとお願いをいたしました。
この名松線はほとんど全線にわたって災害を受けまして、一時全線をストップさせざるを得ない状況であったわけでございますが、その後、手前の方から復旧に入りまして、八月九日には松阪ー家城間二十五・八キロを開通させました。九月一日に家城から伊勢竹原まで入りまして開通させたという経緯をとったわけでございます。
名松線の問題でございます。私もこの三重県の美杉村あるいは雄町町、現地へ参ったわけでありますが、美杉村の被害もこれまた深刻な事態であります。谷という谷はもう崩れておりますし、家も川も道もそれこそ大変な状況であります。同町に、国鉄の名松線もこの美杉村の地域は甚大な被害を受けておられるわけでありますが、美杉村にとっては名松線はまさに大動脈であります。
名松線だけがどうもまだはっきりしないということのようでございます。 実は地元住民は災害に打ちのめされ、また、先ほどの話のとおり、第二次災害におびえているのが現状でございます。その中において復旧に全力を挙げている。特にこの名松線の地域、美杉村というところは二百億以上の災害が出たところでございます。
東の方からまいりますと、両毛線、吾妻線、それから御殿場線、小海線、二俣線、飯田線、名松線ということでございます。 このうち両毛線に関しましては、利根川の鉄橋の被害でございまして、水が引きませんとちょっとめどが立ちませんが、水が引きましたら早急に復旧したいというふうに考えてございます。
そういう過程で、たとえば名松線について言うならば、五十一年一月九日に、当時の局長であった渡辺勇作氏が地元との間で、線を廃止しないための施策として営業近代化を実施するのだ、こういった意味での覚書を公文書によって明らかにしているという経緯があります。同時に、現在あなたのもとで副総裁をやられている馬渡さんも局長時代に同趣旨の文書を地元自治体に対して明示したという経緯があります。
名松線廃止に対する反対理由として、沿線の白山高校は、全校生徒の六四%が国鉄を利用しており、廃止されると、下宿等をさせるため家庭の負担増や世帯分離等、一層過疎化を生ずる。また、老人、子供及び病院の通院等多くの問題がある。自動車の運行も、山すその道路で曲折が多く、冬季は積雪のため不通となり、通学、通勤にバス利用は不可能である旨の意見が述べられました。
今回の国鉄地方線の名松線沿線に五カ町村がございます。したがいまして、この郡の町村会長として、関係町村長の考え方も含めましてここに発言をさせていただきたいと存じます。 私が申し上げますることは三点ございます。一つには、国鉄の使命について、二つ目には、地方線の問題点について、三点は、直接関係をいたしまするところの名松線廃止反対の問題でございます。 第一点は、国鉄の使命についてでございます。
これも一つ例をあげて申しますと、伊勢湾と大阪湾を結ぶところに名松線というのがございます。これは中京地区と近畿地区とを結びます鉄道として重要な役割りを果たしておりますが、初め奈良県の桜井から三重県の松阪市に抜ける桜松線という名前で出発をいたしましたけれども、それが途中まででとまっておりまして、いま名松線という名前になっております。
○藤井説明員 名松線の延長の議論でございますが、ひとり名松線に限らず、開通して非常に一般のお役に立つというようなことであれば、これは建設すべきものは議論の余地がないので、この線に関しましては、現在予定線になっておりますが、調査線にしたらどうだというような陳情もございまして、建設審議会といったようなものがございまして検討いたしておりますので、大体御趣旨に沿うような方向で検討を進めたい、かように思います
名張−松阪間の名松線、これは完成しないうちに戦争を迎えた。ずいぶん昔の話です。奥地開発ということで非常に重要な路線であったのですが、赤字で廃止問題も審議会の勧告では出ている。しかし国鉄当局では、奥地開発という意味もあるし、キロ数も長い、また物資の輸送も相当ある、通勤者もある、こういう関係から、さしあたりはそういう気持ちがないように聞いておりますが、この機会にはっきり言明していただきたいと思います。
○磯崎説明員 名松線につきましては、例の諮問委員会の勧告書の八十二線区に入っております。一時いろいろ具体化しようという話もございましたが、先生もおっしゃったように距離が非常に長い。それから最近沿線の状況が非常に変わってまいりましたので、現時点におきましてはこれを廃止する意向を持っておりません。
号) 北海道の国鉄赤字線の廃止反対に関する陳情書 外十四件 (第一五二号) 高知県の国鉄赤字線の廃止反対等に関する陳情 書(第一五三号) 過疎地域のバス運行助成に関する陳情書外一件 (第一五四号) 新東京国際空港の建設促進に関する陳情書 (第一五五号) 西日本鉄道の電車運賃値上げ反対に関する陳情 書(第一五九号) 運輸行政の一元化に関する陳情書 (第一九四号) 国鉄名松線及
そのほか、名松線あるいは近鉄名古屋線は十一月八日というように、全通いたしまして、三重県の経済の中心である名古屋との関係が、これで交通が全部完全になりましたので、物資の輸送その他の連絡につきましては、もう完全になったというような次第でございます。
この間やっと工事に着手したという話ですが、名松線はどうですか。こういう閑散線区というようなものは大体において工事はあと回わし、もちろん人間の通る量も違うから幹線と支線では違うという考えがあるかもしれませんが、サービスは悪くても、洪水があってもせめて最低限通れる復旧の作業は並行してやる。小海線はいつ災害にあって、いつから始まる格好ですか。
次は、雲出川、これはちょうど津の近くを流れておる川でございますが、これも、支流とともに、上流部におきましては随所ではんらんをいたしまして、山くずれとともに、道路、国鉄名松線を寸断いたしました。ようやく、自衛隊のおかげで、昨今トラックが入り得る状況に相なった次第でございます。また、松阪の近くに櫛田川という河川がございます。もちろん中小河川でございます。
特に関西線、越美南線、名松線といったようなところが現在なお開通見込み不明というような状況でございますが、一部冠水をいたしておりますところは、一般の復旧対策によりまして水を吐かさなければならぬという問題がございまするが、いずれにいたしましても、災害復旧には全力をあげておる状況でございます。
その後対策その他については変更があると思いますが、まず国鉄の被害につきましては、関西線、武豊線、越美南線、紀勢線、名松線、山陰線、篠山線、この第一ページに書いてございますのはまだ開通をいたしておらないところの表でございます。中でも関西線が線路冠水のためにどの程度の被害か現在わかっておりませんで調査中でございます。武豊線は大体きょうあす開通の見込みであります。
それから次に越美南線並びに名松線、これにつきましても同じように大きな災害にあっておりまして、越美南線はここに深戸—美濃相生橋げた流失とありますが、大きな橋げたが流失いたしましたために、これも開通の見込みが今のところ立たないというような状況でございます。
○松本(一)委員 松阪から奥津まで約四十七キロは、名松線として今開設されておりますが、大正の末に松阪から櫻井に出、しこうして大阪に出る櫻松線として設計考案されたのであります。ところが、昭和三年に着工されましたときは、櫻井へ行く計画が途中で松阪から名張に行く計画となつて、名も名松線と改められたのであります。そうして松阪からただいまの奥津までの約四十七キロほどの路線が昭和十年に開通をいたしました。