1954-03-02 第19回国会 参議院 労働委員会 第8号
それが例えば先ほど申しますように、名古屋岬と甘い、或いは枝光の硝石灰の作業と言い、或いは又洞岡の粉コークス工場というようなものが、それらのものであつたということでございます。
それが例えば先ほど申しますように、名古屋岬と甘い、或いは枝光の硝石灰の作業と言い、或いは又洞岡の粉コークス工場というようなものが、それらのものであつたということでございます。
のそ中から名古屋岬だとか、洞岡だとかが復活したという話ですが、そうしますと、今のところ、あげられた個所から言いますと三つぐらいですが、三つじやなくて十二社が全部復活したわけですか。
そこで焼成工場のお話がございましたが、名古屋岬の貨車下し場、これも請負にされたようでありますが、その名古屋岬の実態は今のような点について、どういうことになつておりましたか。一つ御答弁を願いたい。