1948-06-07 第2回国会 参議院 財政及び金融委員会 第32号
同市に對する拂下はすでに多大の便宜が與えられていることでありますので、これ以上はどうかということで、これは議院の會議に付する必要を認めないということに決したのであります。 請願第百四十七號「しよう腦製造業界の民主化に關する請願」であります。
同市に對する拂下はすでに多大の便宜が與えられていることでありますので、これ以上はどうかということで、これは議院の會議に付する必要を認めないということに決したのであります。 請願第百四十七號「しよう腦製造業界の民主化に關する請願」であります。
○田中(茂)政府委員 尾張一宮驛に對する復興計畫は、同市の復興都市計畫と對應いたしまして、將來東海道本線及び名古屋鐵道の各線を總合し、また豊橋、大垣間の省線電車という問題もありまして、遠い將來を考慮いたしまして、一般の諸施設をこの際改良の計畫を立てておこうというのでございます。
高岡市当局の御説明によりますと、高岡市の西の端に貨物駅を設置して同市の発展のために、物資の集散を円滑にするとともに、高岡駅の救済策を講ぜられたいというのであります。これに対して地方立野村の方は、通勤、通学者の救済のために旅客駅を設置されたいというのであります。
事件の概要は、第一回、当日四月四日、前記小野方を引き揚げた朝鮮人側は、浜松市旭町國際マーケツト(責任者 呉判述)附近に集結し、午後十時ごろ同市大工町元小野組輩下香具師本宮末吉方へ朝鮮人金彰石ほか六名が拳銃を擬して、乱入、同家及びその器物を破壊するに至り、小野組子分も猟銃をもつてこれに対抗し、双方次第に人員を増進し、遂におのおの約五十名くらいが市内田町、鍛冶町、傳馬町の各中心街において相互に発砲乱闘するに
先般來本委員會におきましては、治安の見地から日本に在留いたしておりまする朝鮮人の犯罪問題につきましては、特に多大の關心を抱きまして、今日までいろいろ研究を續けて參つたのでございますが、たまたま本日の四日から七日に亙りまして、靜岡縣濱松市において、同市在住のテキ屋、及び興行師の親方であるまする小野某なる縣會議員を主盟といたしまする小野組一家の者と、朝鮮人とがそれぞれ約二百名ばかりずつ、何れも徒黨を組みまして
朝鮮人側の方は同市の旭町にありますところの國際マーケツトというものを經營いたしておりますところの、朝鮮人の呉判述という者外數名が、その喧嘩の相手の中心でありまして、その國際マーケツトは昨年の四月頃建設いたしまして、爾來マーケツトの中に各種の商店、喫茶店等を經營いたしまして、通稱闇市と言われているものでありますが、同年八月頃から同マーケツト二階に、ダンスホールを經營いたしておりましたが、その時分から近在及
同市も受入に対しましては極めて積極的でありまして、授産補導についても熱意を以て働きつつおられるようであります。 これを総括して申上げますと、現在受入態勢は臨時的、應急的で、決して根本的ではないのであります。即ち今後は個別に、適材適所に配置移動が行われるものと思われます。
最後の日程第二一九の請願の要旨は、石巻市は當地方における政治行政の中心であるのみならず、經濟的にも文化的にも中心地であつて、關係地方民の同市に往來する者は多數に上つている。しかるに現在交通機關として利用し得るものは絶無であるという状態である。ついては速やかに石巻、雄勝間に國營バスの運輸を開始されたいというのであります。
ついてはこれが打開策として同市沼垂に電話分局を設置されたいというのであります。兩件に對する政府側の意見を聽取いたします。中山政府委員。
御承知のように伊勢崎市は本年九月の水害で未曽有の災害を受けたのでありまして、戰災によつてこれ以前に市の大半を失つた同市といたしましては、今度の水害のために再度の災害を受けたわけでございます。從つて農工商業の全部門にわたりまして、この災害によつて深刻な打撃を受けた次第でございます。
せられましたところの地区といたしましては、昭和二十年八月二十七日九州地方に起つた風水害、これに対しましては宮崎縣の延岡市、昭和二十年九月十七日の九州地方及び中國地方に起つた風水害、これに対しては宮崎縣の都城市及び延岡市、昭和二十一年十二月二十一日の南海地方に起つた震災及びそれに伴つて起つた火災、これに対しましては高知縣の高知市及び中村町、昭和二十二年四月二十日長野縣飯田市に起つた火災、これに対しては同市
○公述人(中條勇次君) 私は前辯士と同市の者でありますが、大體東京都における特別區の希望を申上げたいと思います。五月我々は改選以來區長といたしまして、又自治區といたしまして、特別區といたしまして二十三區連合いたしまして自治權擴充委員會というものを作りました。
縣市民その他有力者多数出迎えの中に取り敢ずそれぞれ駅長室で挨拶を交換いたしまして直ちに同市基町にございまする引揚民孤兒收容所の視察をいたしました。続いて廣島市当局の案内によりまして、同市内の原爆の被害状況を約一時間に亘つて視察をいたしました。
よつて同市の開港計畫が實現して、また出入船舶數等が増加いたしまして、特にこのことが必要であると痛感せられるような状況になりました時分に、あらためて考慮してしかるべきだと私どもは存じておるのであります。